地理学の目 (ブログ・アーカイブ)


 

2010年03月01日:津波の予測について

2005年10月14日:国勢調査の課題

2005年05月14日:「地名を決める」ということ

2005年05月10日:地球なんか愛せない

2004年10月26日:中越地震について

2004年09月05日:道路標識のローマ字

    
    

 
 
 
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 ■2010年03月01日:津波の予測について

 なぜ「おわび」なのだろうか?
 産経新聞の見出しに到っては「謝罪」である。
 災害予測・予報というものの本質が大きく歪められている、その中核を担う専門機関である気象庁自体が歪めていると感じる。

 大方、「(波の高さという)結果が、予報を大きく下回ったこと」について、報道陣から "コメント" を執拗に求められたことによるのだろうが、大きな誤りである。
 1メートル足らずと予報して、2メートルの波が来たらまさしく重大問題である。しかし、少なくとも一定の科学的努力の上に立って「最大3メートル」と予報しての1.2メートルならば、まったく何の問題もない。(12センチだったのならともかく・・・)

 今回の結果的な誤差については、専門研究機関として不断に求められるレベルの「反省」は当然必要であろうが、「おわび」や「謝罪」などすべきではない。
 「人身被害ゼロ」というのは立派な結果である。もしももっと軽い、楽観的な予報を発表し、結果的に人身被害が出ていたらどうだっただろうか。
 本当に、この国は「科学的思考」や発言が簡単に否定される国になってしまったようだ。

津波注意報を解除 気象庁おわび「津波の予測過大」

 南米チリ中部沿岸の大地震で発生した津波で、気象庁は1日午前10時15分、太平洋沿岸全域に出していた津波警報や注意報をすべて解除した。同庁の関田康雄・地震津波監視課長は同日午前の記者会見で、「津波の予測が過大だった。警報が長引き迷惑をかけたことをおわびしたい」と語った。
 津波警報は2月28日午前9時33分に発表され、解除までには約25時間かかった。観測された津波の最大の高さは岩手県久慈市の久慈港と高知県須崎市の須崎港で1・2メートルで、同庁が東北の太平洋側で最大3メートルの津波が来るとした予想を大幅に下回った。
 同庁は今回、地震の規模や海外の津波の観測データをもとにコンピューターで津波の高さを予想。2月27日の地震発生時点では津波の高さを「1メートルいくかいかないか」と予想したが、翌日になって1〜3メートルの津波が来ると修正した。関田課長は「シミュレーションと実際の観測結果を精査した上で、今後シミュレーションを改善したい」と話した。
朝日新聞(Asahi.com) 2010年3月1日12時58分


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 ■2005年10月14日:国勢調査の課題

 国勢調査が問題になっている。
 ただ、例によって様々な異質の“問題”をごちゃまぜにした論評が多く、話は一層迷走しているようである。

 問題の中心は「回収率の低下」である。
 その原因は、単身世帯の増加、オートロック式のマンションの増加、といった「接触の困難」と、様々な理由による「回答拒否」に大別される。
 「回答拒否」には、調査自体への無理解や個別の質問項目への抵抗感、といった「国勢調査そのもの」に関わるものと、配布・回収(者)への不信感など「調査方法」に関わるものとが含まれている。
 この「調査方法」の問題は、上記の「接触の困難」と実は一体の問題であり、社会構造の都市型への変化に調査方法が対応できていないことの明確な現れである。いかに“対応できてない”かは、封筒に入れた提出を今回初めて本格的に導入したことからも明らかである。

 個人情報について最も堪え難いのは、顔と名前の一致するレベルの近隣住民や職場の同僚に、知られたくないことを知られることなのである。
 いくら研修を受け、守秘義務を課せられていると言っても、住民側から見れば「噂好き」「詮索好き」という印象の人物が結構多く選ばれている。また、高齢の調査員が勝手に“自分の生活時間”で訪問するために、不快感や迷惑を与えて拒否につながるという例もある。

 この点で、町内会長や自治会長などを調査員とすること、そもそも地域住民から調査員を選ぶことへの批判、さらには「対面調査方式」に固執することへの疑問はかなり前から存在しているのだが、総務省は何故かこの点を一切無視し、自治体も耳を貸さず今日に至っているのである。

 多くの人にとって、個人情報を(商業的に悪用される場合を除き)自分を個人的に知らない全くの“他人”や職業的に規制される人々(医師、警察官、行政職員など)に見られることへの抵抗は比較的少ない。
 こんなときにこそ、今のところ「公務員法」の適用を受ける「郵便局員」の活用を考えるべきではないのか。彼等は「信書の秘密」をたたき込まれているプロであり、土地勘ももっているが、上記のような意味での近隣住民ではないからである。さらには“配達”だけ行い、ポストに投函して回収という方法もあるではないか。
 もっとも、“民間企業”になると公的な業務はさせられないので、一切検討の対象にしないのだろうが・・・。

 この調査方法の問題に正面から取り組むことを避けて、質問の簡略化などを言うのはいかにも“その場しのぎ”の官僚的な無責任発想である。統計の連続性、信頼性という最も重大な部分に関わりかねない「質問」の変更などを安易に持ち出すのは、既に85年の歴史をもち、これからも日本の社会の断面をできる限り正確に捉えていかなければならない「国勢調査」というものの意味も、まともに理解していない証拠である。

 「国勢調査そのもの」への無理解や抵抗については、地道に丁寧に啓蒙・広報する以外に方法はない。“5年に一度”のことなのだから、それこそNHKで大型特番を組むなどして努力すべきである。「24時間テレビ」などのような“祭り”にしてしまえば良いのである。

国勢調査トラブル多発、総務次官が制度抜本見直し明言

 林省吾総務次官は13日の記者会見で、各地でトラブルが多発している国勢調査について、「社会経済情勢の変化や国民のプライバシー意識の高まりを踏まえて、どのような調査方法、内容がいいのか改善策を取りまとめる」と述べ、次回2010年調査に向けて制度を抜本的に見直す方針を明らかにした。

 国勢調査は1920年(大正9年)以来、5年ごとに行われている。国の委嘱を受けた国勢調査員が調査票を各世帯に配布し、回収する方式をとっている。ただ、最近は未回収率が95年で0・5%、00年で1・7%と増加傾向にある。さらに、現在実施中の調査では、調査員を偽って調査票をだまし取る事件が10日現在で90件を超えたほか、回収拒否などで調査が難航し、調査員が途中辞退するなどトラブルが相次いでいる。

 このため、総務省は、国勢調査員から体験談を寄せてもらい、有識者の意見も参考に改善策を作成する方針だ。具体的には、住居の畳数などを聞く調査項目の見直しや、情報管理の徹底化、インターネットによる回答の導入などが検討課題になりそうだ。
 読売新聞/Yahoo 10月13日


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 ■2005年5月14日:「地名を決める」ということ

 「南セントレア市」という奇妙な(恥ずかしい)市名をめぐるドタバタを始め、近年「地名」については馬鹿げた、悲しくなるような話題が多い。しかし、その中で、5月11日の河北新報が伝えたニュースは大変嬉しいものであった。

 その内容は、今回の大合併で近接する都市と実質的には併合に近い形で合併し、名前も消えることになる中規模の町の一部が、その町に併合される以前の旧い集落名を大字(おおあざ)名として残すことに決めた、というものである。

 このように、やっと「地名は守るべき伝統文化の一つ」という認識が広まってきたことがなによりも嬉しい。この「文化としての地名」というテーマは、これから少し続けて書いていくつもりである。

大字名選びに住民投票 山形・温海の山五十川地区

 山形県温海町の山五十川(やまいらがわ)地区で、合併を機に読みにくい大字名を変えるかどうかを問う住民投票が行われた。9日に行われた開票の結果、現地名を支持した人が約6割に上り、変更にはいたらなかったが、投開票には地元の児童も加わり、「地域を見つめ直すいい機会になった」と喜んでいる。

 山五十川地区は180戸、約650人の集落。昭和の大合併以前は「山戸(やまと)村」で、現在も地区唯一の小学校や郵便局、駐在所などは「山戸」の名が付き、山戸能という伝統芸能もある。一方、「山五十川」は明治時代の旧村名。5キロ離れた海側に「五十川(いらがわ)」地区があり、「山側にあるから山五十川と付けられた」という説もある。五十川地区と混同され、郵便物の誤記や誤配も多いという。

 温海町を含む周辺6市町村が10月、新「鶴岡市」になるのを機に「地名を変えたらどうか」と機運が盛り上がり、同地区の自治会が山戸と山五十川の二者択一で投票を行うことを決めた。有権者は小学1年生以上の約600人とした。
 8日、対象者過半数の308人が地元の公民館などで投票。翌日開票の結果、山五十川が181票、山戸が123票だった(白票など4票)。

 開票作業に参加した山戸小6年の三浦千和さんは「こういう投票は初めてなので勉強になった。愛着のある今の地名でいいと思っていたので、自分の投票通りになってよかった」とにっこり。
 山五十川公民館長の三浦喜和男さん(62)は「住民レベルで地域自治を考えるいい機会になったし、投票で決まってすっきりした。これからも山五十川の名前に誇りを持ち、大事にしていきたい」と話している。
(河北新報 5月11日)


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 ■2005年5月10日:地球なんか愛せない

 誤解の無いように書いておくが、私はなにも「地球なんかぶっ壊せ」と言っているのではない。人間は地球を基盤とする自然のシステムをもっと良く知り、それに敬意と怖れをもたなければならない、というのが私の基本的な考え方である。「地球を愛するワタシ」などという馬鹿丸出しのことを言わないで欲しい、ということである。

 では、今開かれている「愛・地球博」なる巨大催し物の「愛」とは何か、私は単に「自己愛」だと思っているのだが、そのことを良く示す問題が起きた。
 愛知万博瀬戸会場の野外劇場における「市民プログラム」(8日)で、和太鼓などによる催しが正午から約2時間半行われたが、それについて、繁殖期を迎えている鳥類などに悪影響が出ると自然保護団体が抗議した、という問題である。

 自然保護団体側は「音」が動物に与える恐怖について訴えているが、これは大変重要な問題である。重要と言うのは、この件に限らず、生物への影響を話題にするときに、水質や大気の「汚染」や奇形の個体の発見などに異常に偏り、現実の生活(生存)環境への「刺激」が軽視され過ぎているからである。
 「音」「光」「におい」などについての人間の感受性は、多くの生物の中では相当に劣っていると考えるべきである。「自然との調和」を本当に真剣に考えているのなら、少なくとも、瀬戸会場では自然に存在しない一切の「音」「光」「におい」を厳しく制限するべきなのである。
 なぜならば、愛知万博は当初瀬戸会場を主たる会場として計画されたが、「海上の森の自然を守る」として中心を長久手町の現会場に移したという経緯があるからである。

 残念ながら、こんな指摘は博覧会関係者には通じないだろうと思う。毎日新聞の記事が、抗議文を出した団体の「人数」をわざわざ記していることにも、その辺の読みが感じられる。
 ただ私がうんざりするのは、企画の段階で「ロックコンサート」は駄目だが「和太鼓」なら良い、というような判断が間違いなくあっただろう、ということである。
 周囲の自然への影響をできるだけ少なくすることを、真剣に科学的に考えるのではなく、自分(達)の行動(活動)がどれだけ「自然っぽく見えるか」だけを考えているのが見え見えだから、「自己愛」だと言うのである。

愛・地球博:「和太鼓演奏が鳥類に悪影響」−−海上の森野鳥の会など抗議文

 愛・地球博(愛知万博)の瀬戸会場で行われる和太鼓などの演奏で、繁殖期を迎えている鳥類などに悪影響が出るとして、「海上の森野鳥の会」(会員約50人)と「カスミ網バスターズ」(メンバー7人)、万博反対団体などで構成する「愛知万博から海上の森を守るネットワーク」は共同で9日、万博協会と瀬戸会場市民プログラム事務局に抗議文を提出した。
 瀬戸会場の「野外劇場」で行われている市民プログラムで今月8日、和太鼓などによる催しが正午から約2時間半行われた。今後も複数の同様のプログラムが予定されている。3団体は、瀬戸会場がある瀬戸市の「海上の森」で、オオタカなどの営巣を確認しており、「動物は音を頼りに身を守っている。動物はおびえており、音が響いている間、鳥のさえずりは消える」と指摘。「環境博を標榜(ひょうぼう)する以上、街の中などふさわしい場所でやって」と要望している。【荒川基従】
 毎日新聞5月10日朝刊(Yahoo)


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 ■2004年10月26日:中越地震について

 「地理学者の目」で見えることで、今回あまり言われてないこと。
1.これだけの山間地域に小さい集落が多数分布していること。
  過疎化と廃村が進んでいると思われがちな傾向に反して、多数の人口が山間に住んでいる。
  これは、湧水に恵まれて水田稲作や錦鯉の養殖といった生産活動が可能なためである。
  そしてなぜ湧水に恵まれるかと言えば「断層地帯」だから、つまり、山間の急傾斜地にもかかわらず
  水に恵まれていること自体、地滑り、崩落、そして地震の危険と隣り合わせということが言える。
2.なぜ、これほどの「被害」が出たか、ということ。
  「被害」は分けて考える必要がある。
  第一に、住居そのものの倒壊。
  直下型地震であったこと、老朽化などが要因と考えられる。
  第二に、地盤の崩落、崖崩れとそれによる住居等の被害。
  これについては、崩壊個所の詳細な調査が必要。
  これまでの映像等で見るかぎり、道路(工事)自体が崩壊の起点となっている個所が多いように見える。
  また森林の保全状況がどうであったかも重要である。
  第三に、道路、鉄道などの寸断による社会的ダメージ。
  これには、「寸断」への耐久力の問題という側面もある。
  かつての山間集落は自立的な「力」をもち、一定期間の孤立には耐えることができたが、今回の様子では
  そのような「力」やシステムが失われている様子が見える。
  たぶん、生活様式の変化と高齢核家族化がその原因であろう。


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 ■2004年9月5日:道路標識のローマ字

 来春開港する中部国際空港が、一種の愛称・商標として「セントレア」なる名前を名乗ることは聞いていたが、それにしても馬鹿げたことが起きたものだ。
 連絡道路の標識に「Sentorea」とローマ字表記を加えたら、『正式な「英語表記」ではない』という理由で書き換えを求められた、というのである。
 国際空港として、成田、関西とならんで日本を代表する空港である以上、正式な英語名称とその表示は当然必要であるが、それは当然「Cyuubu International Airport」(敢えて“Cyuubu”とする、理由は別稿で)でなければならないはずである。商標として名付けられた、しかも「造語」である「Centrair」など、いかなる意味でも「正式」などとは言えないだろう。
 何も「セントレア」が悪いと言うのではない。ただ、これはあくまでも日本国内で日本人が施設の「固有名称」として名付けたものであって、あくまでもカタカナで表記される「欧米モドキの日本語」に過ぎない。それが偶々英語の単語をヒントにしたものだからと言って「正式な英語名」などとたわけたことを言っては困るのである。
 要するに、未だに「西洋的なものはカッコイイ」という情けないレベルの人々が、「セントレア」なる商標を思いつき、さらにそれを英語モドキにラテン文字で表記して喜んでいる、というだけのことである。

改め「Centrair」 道路標識ローマ字変更 【名古屋】
 中部国際空港開港に向け、いったん「完成」していた空港へ渡る連絡道路の標識が、夏休みの間に書き換えられた。愛知県道路公社が空港の愛称「セントレア」を「Sentorea」とローマ字表記していたが、空港会社のロゴなどに合わせた正式な英語表記の「Centrair」に改めた。現在は緑色のカバーがかけられ、来年2月の開港を待つ。
 空港島内の貨物地区へ下りる「セントレア東インター」出口を示す標識。国土交通省と内閣府の共同省令が「(標識は)外国人にもわかりやすいようにローマ字表記で併記する」と定めているため、公社は「ローマ字つづりにしなければならない」と解釈。ヘボン式のつづりで表記した。
 だが、セントレアはもともと中部を表す「Central」と空を表す「Air」の合成語。島内のほかの施設も英語表記の看板を掲げており、「利用者が混乱しない統一した表記にすべきでは」(空港会社幹部)と、書き換えを求める声が上がっていた。
 阪神高速にある「ユニバーサルシティ出口」の標識が「Universal City」と英語表記されている例もあり、国交省側も「しゃくし定規にローマ字つづりに限定するものではない」と同公社に説明。公社は「広く解釈できるとは知らなかった」と書き換えた。
 朝日新聞(名古屋)2004年9月4日(夕)


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