くらしの中で1
(blog アーカイブ 2005〜2007)


 

2007年09月08日:俳優・松澤一之さん

2007年05月23日:訃報・熊井啓さん

2006年05月31日:街の音

2006年02月09日:伊福部昭さん逝去

2005年12月21日:ペペ (2010年3月追記)

2005年11月13日:金時鐘さん

2005年11月12日:訃報・ムスタファ・アッカド

2005年10月10日:あなたが大切だ

2005年09月22日:ヴィーゼンタール

2005年09月14日:醒めてちゃいけないか?


 
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■2007年09月08日:俳優・松澤一之さん

 松澤一之さんは、ほとんど脇役専門のベテラン俳優です。彼は、ほんの一瞬の表情・眼差しの変化で、悲しみ、絶望、怒り、喜びなどを鮮やかに表現する名優です。
 私にとってもっとも強烈に記憶に残っているのは、渡辺謙主演の「指名手配」というシリーズの「長崎篇」(1999年)での演技です。
 このドラマで彼が演じたのは、渡辺謙の刑事が容疑者を追って潜入する造船所で、偶然身分を偽って働いていた別の事件の犯人という役でした。
 警察の気配を、自分を追ってのものと錯覚してうろたえたために疑惑をもたれ、結果的に捕まってしまうのですが、彼が連行される警察の車両を、泣きながらいつまでも追いかける何も知らない妻と、その姿をリア・ウィンドウから必死に見つめる彼の絶望と悲しみに満ちた表情が、今でも目に浮かぶくらい凄いものでした。
 ドラマ全体で言えば、まったくのサイド・ストーリーなのに、メインの話以上に記憶に焼き付いています。彼はそういう "脇役" なのです。
 ちなみに、メイン・ストーリーの犯人は、急逝した東野英心でした。


 
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■2007年05月23日:訃報・熊井啓さん

 また一人、日本の映画の「質」を支えてきてくれた人が亡くなった。この国には、まだまだ熊井さんにとりあげてもらいたい(おそらくご自身も取り組みたかったであろう)問題が山ほど有るのに・・・。

 
<映画監督>熊井啓さん死去 社会派映画の巨匠

 「サンダカン八番娼館・望郷」「海と毒薬」など骨太の社会派映画で日本現代史を問い続けた映画監督、熊井啓(くまい・けい)さんが23日午前9時51分、くも膜下出血のため東京都内の病院で死去した。76歳。葬儀は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻明子(あきこ)さん。自宅は非公表。
 長野県生まれ。信州大卒業後、独立プロの助監督を経て1954年、製作を再開した日活に入社。64年、「帝銀事件・死刑囚」で監督デビュー。実際の事件を徹底した取材と推理で検証し、犯人とされていた平沢貞通死刑囚を無罪とする立場で事件をドキュメンタリー風に再現した。68年には三船・石原両プロ提携の「黒部の太陽」を監督。黒四ダム建設をダイナミックに描いた。69年フリーに。
 70年出血性胃病で倒れるが、1年半かけて三浦哲郎の「忍ぶ川」を映画化。作風を一転させた女性映画で、毎日映画コンクール日本映画賞などを受賞した。74年「サンダカン八番娼館・望郷」でも女性を描き、米アカデミー外国語映画賞にノミネートされた。80年「天平の甍(いらか)」では戦後初の中国ロケを敢行。「海と毒薬」(86年)では第二次世界大戦中の生体解剖事件を題材に、日本人の精神構造を鋭くえぐり、毎日映画コンクール日本映画大賞やベルリン国際映画祭審査員特別賞などを受賞した。
 97年には「愛する」でハンセン病問題を取り上げ、00年「日本の黒い夏 冤罪(えんざい)」では松本サリン事件を題材に、冤罪が生まれる過程をリアルに描いた。デビュー作以来、映画で社会を問い続ける姿勢が変わることはなかった。02年には黒沢明監督が残した脚本を元にした「海は見ていた」を監督した。
 ▽映画評論家・白井佳夫さんの話 極めつきの社会派だが、教条主義に陥ることなく、柔軟な目で日本人のドラマを撮り続けた。スケールの大きさは、長野生まれの自由人ならでは。役者やスタッフは採算を度外視して結集したし、かかわる人すべてを映画好きに変えてしまう才能があった。今はただ、胸が痛む。
<5月23日14時19分配信 毎日新聞>


 
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■2006年05月31日:街の音

 仕事帰りに最近ハマっている赤羽商店街(東京北区)をフラフラ。
 豪雨に近い俄雨をドトール・コーヒーでやり過ごし、駅前まで戻ると何やら音楽が聞こえる。国籍不明の中年男性が一人でギターを弾いているのだが、旋律・奏法が明らかにポルトガルのもの。付き添っている若い女性に訊ねると、オーストラリア人だが1/4ポルトガル系とのことだった。
 私の大好きな Jose Varrense-Dias に似たメロディの美しさと切れの良さに惹かれてCDを衝動買い。ところで、この種の外国人ストリート・ミュージシャンには何故か若い(が、しっかりした)結構素敵な女性が付き添っていることが多い。なぜだろ?

 夜8時、地下高速道路の建設のために幅50メートルにも拡張された西池袋の山手通りで突然「ラジオ体操」の音楽が聞こえる。よく見ると、工事のために上下車線の間に設けられた鉄板敷の小さな広場で、これからシフト勤務に就くのであろう作業グループが音楽と号令に合わせて体操していた。車が轟音を立てて走り抜ける往復車線の間で、作業服やトビ職風の衣装にヘルメットをかぶり、夜間工事のための黄緑に光るV字ベストを着けて、“上体反らし”や“その場跳び”を続ける姿は不思議に感動的だった。
 瞬間に見えた“日本らしさ”、見えないところで彼らが大都会を“造って”いること、様々なことが頭に浮かぶ、一種の異次元空間だった。


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■2006年02月09日:伊福部昭さん逝去

 作曲家の伊福部昭(いふくべ・あきら)さんが亡くなった。
 もっともっと評価されるべき人だったと思う。
 伊福部さんの名は知らなくても「ゴジラの音楽」と言えば、たいていの人が知っているのではないだろうか。
  ?ゴジラッ ゴジラッ ゴジラッ ゴジゴジラッ ・・・というアレである。
 伊福部さん、酸素を消されたり、生き埋めされたり、殺されちゃったゴジラ一族と一緒に、どこかであのリズムに乗って踊ってるだろうな。
 ご冥福をお祈りします。
 
<訃報>伊福部昭さん91歳=作曲家 映画「ゴジラ」も作曲
 「ゴジラ」などの映画音楽、北海道の原野を思わせる雄大な民族色豊かな交響的作品などによって幅広い人気を持つ作曲家、伊福部昭(いふくべ・あきら)さんが8日、東京都内の病院で直腸がんのため死去した。91歳。自宅は世田谷区尾山台2の7の7。葬儀の日取りなどは未定。
 北海道・釧路生まれ。北海道帝大専門部卒。アイヌ音楽や樺太のギリヤーク民族の音楽を研究、「民族の特異性を経て普遍的な人間性に至る」ことを作曲理念に据え、ほぼ独学で民族色豊かな作品を作り出した。1935(昭和10)年、「日本狂詩曲」でパリのチェレプニン賞に入選。同曲は翌年米国でも演奏され、国際的な脚光を浴びた。来日したロシア出身の作曲家、チェレプニンに近代管弦楽法を師事。「土俗的三連画」、「オホツク海」など独自の交響作品を次々に完成させた。
 時代の趨勢(すうせい)にかかわりなく民族的な作曲姿勢を貫き、「釈迦」などを作曲。東京音楽学校講師、東京音楽大学学長などを務め、故・芥川也寸志、故・黛敏郎、松村禎三、故・石井真木、三木稔など多くの作曲家を育てた。
 また、約400曲の映画音楽を作曲、なかでも54年、東宝映画「ゴジラ」では、重厚な行進曲風のテーマで強烈な印象を与え、以来「ゴジラ」シリーズの多くの音楽を担当、大きな人気を得た。
 ここ数年、体調を崩していた。「ビルマの竪琴」で毎日映画コンクール音楽賞。紫綬褒章。勲三等瑞宝章。03年に文化功労者。【梅津時比古】
(毎日新聞/Yahoo 2月9日)


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■2005年12月21日:ペペ

  一応の“安定した職場”や“専門的職業”に就いていた人が、そこを跳び出して新しい夢に賭けている姿を見るのは楽しい。そして、その夢が何らかの形を創り始めた瞬間に出会えると、こちらも幸せな気分になれる。
 鳥取県出身、まだ決して有名とは言えない、“アイドル”と呼ぶには少し年長の2人組「ぺぺ」の今後に心からのエールを!

 
受刑者のアイドルに感謝状 異色の女性デュオ「ペペ」

 刑務所などの矯正施設で延べ130回以上コンサートを行い、「受刑者のアイドル」とも呼ばれる異色の女性デュオ「ペペ」が21日、東京・霞が関の法務省で杉浦正健法相から感謝状の贈呈を受けた。
 ペペは鳥取県出身の井勝めぐみさんと北尾真奈美さんの2人組。一日署長を務めた鳥取県警倉吉署で勧められたのをきっかけに2000年12月から刑務所などの訪問を始め、10月までに約80施設を回ったという。
 杉浦法相から感謝状を直接手渡され激励を受けた2人は、「私たちの活動に目を向けてもらえて光栄。これを機に頑張っていきたい」と話した。
(共同通信/Yahoo 12月21日)

 
 ペペは順調に活躍を続けている。新しいウェブサイトは こちら 。 (2013年04月、追記) <2018年8月・確認>


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■2005年11月13日:金時鐘さん

 12日の朝日新聞夕刊に在日コリアンで詩人の金時鐘(キム・シジョン)さんのインタビューが掲載された。
 金さんの言葉はいつも美しく、重い。以下にその一部を抜粋する。

 「敗戦で朝鮮人に立ち返って以来、日本語との対峙というか、流麗で美しい表現から切れることを自分に課してきましたから。それでかたくなな日本語になりました。」
 「岩盤のようなこの世に生きて、誰もがひっかき傷のような生の痕跡を残したいと思う。それが詩です。」
 「詩人には、言葉にできないものを抱えて生きるその他大勢の人々の思いを表現する責務があります。」
 「純粋さが詩の命ならば世俗にまみれた純粋さを見つけ出さなければ。さもなくば詩は観念の申し子にすぎない。」
 「時代が大きくカーブを切り、人類史的に見ても誇るべき憲法が損なわれようとしているのに、現代詩の表現に時代の陰りはほとんど見えません。不安のおののき一つ見えない。今の日本ほど詩が軽んじられている国は地球規模で見てもありません。」

 もっともっと多くの人に知ってもらいたい人だ。


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■2005年11月12日:ムスタファ・アッカド

 映画「砂漠のライオン」を監督したムスタファ・アッカドが亡くなった。享年75歳。
 ヨルダンで起きた爆破テロに巻き込まれて負傷し、搬送先の病院で亡くなったとのこと。
 「砂漠のライオン」は、ムソリーニのイタリア軍の侵略に対して抵抗したシリアの英雄オマール・ムクタールの生涯を描いた約3時間の大作で、1981年の作品である。
 あの「アラビアのロレンス」とならんで、ヨーロッパに対して戦うアラブ人を肯定的に描いた数少ない映画の一つであったと思う。ヨーロッパとは言っても、どちらもドイツ、ドイツに協力するトルコ、イタリアという枢軸国側に限られてはいるのだが。
 ムスタファ・アッカド自身シリア生まれであった
 かなり以前に観たので明確ではないが、一種の熱気と、制作側の「こだわり」(“長い”ことも)の強さ、のようなものを感じた記憶がある。
 主役のムクタールをアンソニー・クインが演じ、それなりに格好良かったのだが、見終わったあとでは「やっぱりクイン」という印象になったことも憶えている。なにしろ“存在感強烈な”俳優であったから。また、クインと共演の多いイレーネ・パパスも出ていた。
 なぜ、オマー・シャリフ(エジプト生まれのアラブ人)を起用しなかったのか、とも思ったが、同じアラブ人同士故の事情があったのかもしれない。
 なお、アッカドは1976年に「ザ・メッセージ」というイスラム教の預言者ムハンマドの伝記映画?を作っている(未見)が、ここでもアンソニー・クインとイレーネ・パパスが出ている。しかもこの作品は制作国が「モロッコ」となっている。


 
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■2005年10月10日:あなたが大切だ

 公共広告機構という機関がある。
 各種のメディアを通じて“公共的な”広告を流す機関である。
 “公共”という言葉が必ずしも“われわれ”を意味しないこの国において、ある意味で潜在的な危険をはらむ機関であるとも言える。
 しかしながら、これまでのところ、この機関が伝えるメッセージは一定の健全性を保ち得ていると私は思う。

 その公共広告機構の今年のキャンペーンは、なかなか良いので紹介したい。テーマは自殺の予防である。
 テレビ、ラジオでは以下のような言葉が音声で流れる。


     命は大切だ。
     命を大切に。
     そんなこと、
     何千何万回
     言われるより、
     「あなたが大切だ」
     誰かが
     そう言ってくれたら、
     それだけで
     生きていける。

     公共広告機構です。


公共広告機構ポスター


 言うまでもなく、このメッセージのポイントは“命”ではなく“あなたが・・”である。

 あなたは、今日一日の間に、誰かに向かって“あなた”“君”あるいは“名前”で呼びかけたことがあったろうか。あるいは、“私は”という主語でだれかに語りかけただろうか。

 いつの間にか、“私”を隠して「私ども」とか「弊社」とか「国」とかばかり言ってないか、“あなた”を避けて「皆様」とか「諸君」とか言ってないだろうか。

 この「ことば」を考えたコピーライターは素晴らしい。
 このコピーからは、中島みゆきの名曲「誕生」が聴こえてくるような気がする。


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■2005年9月22日:ヴィーゼンタール


 
写真

 ナチの戦争犯罪者を追い続けたサイモン・ヴィーゼンタールが死去した。
 人間はいつかは「死ぬ」と言うことを忘れさせるような少数の凄い人々が居るが、彼もその一人であった。享年96歳。
 世界の主要メディアが大きくとりあげる中で、殆ど無視というか“知らない”態度、というのが日本の現状である。まあ、歴史感覚も全く無く、自分たちの過去にも“盲目”なこの国のメディアらしいと言うべきか。
 さすがにNHK-BSはやや詳しくとりあげていたが、その中で印象的だったのはドイツのケーラー大統領の「ヴィーゼンタール氏は正義の士であり、英雄であった」と彼の死を悼んだ言葉である。あのアイヒマンを始めとして、ヴィーゼンタールが“捕えた”1100人あまりのナチ関係者のほとんどが、ドイツ人であったにもかかわらずである。
 “死の天使”メンゲレとほとんど変わらない“犯罪行為”を行った石井四郎(731部隊)とその部下達を、細菌兵器の研究成果と引き換えに見逃したアメリカに便乗して不問に付し、彼等の残党が作った“ミドリ十字”という会社による薬害エイズ事件を招いた“我々の国”の政治家と比べて、何という違いであろうか。

 サイモン・ヴィーゼンタールについての資料は日本ではあまり多くない。それよりも、グレゴリー・ペックがメンゲレを演じた映画「ブラジルから来た少年」で、名優ローレンス・オリビエが演じて強烈な印象を残したナチ・ハンターの老人のモデル、と言った方が分かりやすいだろう。


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■2005年9月14日:醒めてちゃいけないか?

 近ごろの若者は“醒めてる”、何を考えてるのかわからない、などと文句を言う経営者や政治家が少なくない。一方では、「やっ、そんなことはない! ワタシャ若者に期待しておる!」などと、媚びる一方のおっさんもたまには居るが。
 でも、そんなに醒めてはいないのじゃなかろうか。例えば、ヨサコイ、だのナントカ祭りだのと言う最近突然発生した行事や、24時間テレビと称する騒動の関係者などを見ていると、むしろ何でも良いから“熱狂したがってる”若者が多いように見える。
 これは恐ろしいことだ。若者なんて世間に不満だらけで、斜に構えて“シラケ”ていたり、突っ張って反抗ばかりしているのが本来の姿。
 そして、そういう若者に当惑し、困ったものだと文句を言いつづけるカタギの大人、というのが健全な社会というものなのだから。
 (災害など非常の場合は別にして)若者が妙に熱気にあふれて、みんなで同じ方向に力を合わせている、などという風景は不気味で危険と言う他ない。だって、その典型はあの中国の“紅衛兵”やもう一つ近所の国の“美女応援団”だもの。
 もっと不気味、というより“醜悪”と言うほかないのは、訳知り顔でそういう若者たちに媚び、彼等を煽る“おっさん”や“おばさん”たちだ。「若者たちと心が通じてる私」なんぞという幻想の中の自分に酔って、若者たちの心の底にある冷たい笑いに気付かない醜い中高年。


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