テレビドラマ・映画 (ブログ・アーカイブ)


 

2007年09月08日:法の庭

2007年06月11日:今朝の秋

2006年09月10日:死亡推定時刻

2006年08月28日:黙秘

2006年07月05日:ドラマ・スペシャル HERO

2006年05月30日:泥の川

2006年05月10日:北北西に進路をとれ

2006年01月13日:黒いカバンの女

2006年01月13日:相棒 〜汚れある悪戯〜

2005年12月08日:相棒 〜冤罪〜

2005年12月03日:父がきた道

2005年10月10日:ハルとナツ

2005年09月26日:蓮杖那智フィールドファイル 〜凶笑面〜

2005年09月17日:エド・マクベイン 〜殺意〜

2005年09月15日:気になる映画

2005年09月08日:ドラマ「ネタ元」からジェンダーを考える


 
 
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■2007年09月08日:法の庭

 録画したままになっていたドラマ「法の庭」(8月17日放送)を観ました。
 いつものとおり「筋」の紹介は無し。本宮ひろ志のマンガが原作とのことですが、マンガ・コミック系は全く読まないので要するに知らないストーリーです。
 主役3人は松雪泰子、山口智充、吉田栄作。前半では、検事、弁護士、判事という "仕事" によるキャラクターの誇張がやや気になったのですが、後半はむしろ、そんなに簡単に(仕事の枠を破って)いきなり "人間らしく" 振る舞えるのか?、という点に少し違和感も・・・。ま、ドラマですから。
 もうベテランと言ってもよい吉田栄作の安定感は当然として、山口智充というタレントの才能・力量には驚きました。これまでバラエティ番組でしか見たことが無く、温かみのある、嫌みのないタレントだとは思っていたけれど、俳優としてこれほど存在感のある演技もするとは、たいしたものです。
 しかし、このドラマで強烈に印象に残ったのは、脇役たちです。
 中でも、山口が所属する弁護士事務所の所長の伊武雅刀、殺人犯を演じた吹越満、検察事務官の松澤一之の3人は素晴らしかった。
 伊武さんは、まあいつもの伊武さんなのですが、独立したいと言い出す山口を脅すシーンでの、刻々と変化する "眼の表情" なんてゾクゾクします。
 吹越満は伊武さんとは逆で、どんな配役をやっても "そのもの" にしか見えない、という不思議な俳優です。このドラマでも "本当に悪い奴" を鮮やかに演じています。
 松澤一之は、公判廷で無理な論告をして裁判を滅茶苦茶にし、部屋に戻って落ち込む松雪に対して、「検事(松雪)は、弁護士よりも(もっと)被告人に親身になってました。僕は・・感動しました」と静かに語って、少しぎこちなく一礼するシーンが最高です。というか、彼のセリフらしいセリフは何とこれだけなのです。
 というわけで、主役に特に不満はないけど、脇役が最高!というドラマでした。


 
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■2007年06月11日:今朝の秋

 日曜深夜のNHKアーカイブズで、ドラマ「今朝の秋」を観た。
 何度観ても素晴らしい。
 有名な作品なので、下手な要約はしない。練り上げられた脚本(山田太一)、悲しさ、やりきれなさ、怒り、あきらめ、といった人の心の動きを、ぎりぎりまで抑えて引き出す演出(深町幸雄)、そしてそれに応えた俳優たちの好演(笠智衆・杉村春子・加藤嘉・杉浦直樹・他)、美しく深い音楽(武満徹)、もう何も言うことはない。
 自分だけが判っていて、いろいろ考えると居ても立ってもいられないと自分では思っている、しかし傍から見れば、視野が狭く無神経でうるさい女でしかない元妻、後段になるとその印象を次第に変化させていく杉村春子の演技の凄さ。
 ドラマの最後、再会を約して去って行く別れた妻を見送る無言の笠智衆の、微妙に変化する表情には胸が詰まる。
 笠智衆、杉村春子、加藤嘉、今は亡き人々がくれた宝石のような時間・・・。


 
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■2006年09月10日:死亡推定時刻

 原作が大変良かったので、フジテレビによるドラマ化作品(9日放送)を期待半分・不安半分で観た。
 前半は原作に非常に忠実に、後半は一変して原作を大きく離れる脚本だった。
 原作の後半では、捜査の違法性=自白の任意性を巡る議論、誘拐犯の“電話の声”をめぐる母親の証言、といった地味な話題を緻密に積み上げながら、法廷でのやりとりという狭い世界を中心に粘っこく話が続く。
 実は、原作のもつ特異なリアリティ、静かな緊迫感は、安直な“ドラマ”を拒否したところから生まれている。真犯人は不明のまま、多くの疑問点を残しながら死刑から無期懲役へと変わるだけの2審(これはドラマも同じ)、そして上告を暗示して終わりという結末も、ドラマチックとは正反対の独特の余韻を残しているのである。
 これに対して、ドラマでは被害者(の父親)である渡辺恒藏に焦点を当てている。原作でもある意味で最も魅力的な人物なのでこれは納得できる。しかし、原作ではほとんど触れていない渡辺兄弟の子供時代を大きくクローズアップした演出は、手法的にも描き方自体も「砂の器」を連想させるものとなった点で微妙である。
 一方、原作でかなりの比重がかけられていた警察の捜査、取り調べの問題点についてはほとんど触れられていない。特に裏読みするつもりはないが、“ヒューマン・ミステリー”と銘打つために、社会的な問題提起よりも“人生ドラマ”を重視したのだとすればやや安易な印象は拭えない。
 さらに、原作には無い自白による真犯人の特定、被害者(の父親)である渡辺恒藏との対決といった“クライマックス”を設定している。テレビの一話完結ドラマとしてはどうしても“盛り上がり”が必要となるということでの演出なのだろうが、原作を読んでいた者から見るとこの原作の(上記のような)特徴を打ち消す結果となったと感じられた。
 出演者はいずれも演技力のあるベテラン俳優で固められ、原作のイメージを損なわないキャラクターであった。なかでも特筆すべきは渡辺恒藏役の松平健である。有能、成り上がり、拝金主義、冷酷非情、孤独、といった多くの要素をもつ複雑な人格を、薄っぺらなステレオタイプに堕ちずに表現した、と言う意味で最高の配役であったと思う。
 主役の弁護士役の吉岡秀隆は好演であったが、鼻に付く独特の「吉岡秀隆臭さ」を、今後どれだけ消して行けるかが大きな課題になると感じられた。
 全体として、優れた原作を活かした良質のドラマであったと言えるが、原作を改変した部分については評価が分かれるところであろう。


 
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■2006年08月28日:黙秘

 8月14日にTBS系列で放送されたドラマ「黙秘」。
 主人公は、子どもの頃に大好きだった母親が若い男と駆け落ちしたことで“捨てられた”という心の傷をもち、人を愛せなくなった裁判官矢沢(渡部篤郎)。彼は事務官の美里(藤谷美紀)と関係をもちながら上席裁判官の娘と互いに打算だけの結婚を決め、妊娠を告げた美里をあっさり捨てようとしようとしている。しかし、かつて痴漢の冤罪をそのまま有罪とされて人生が崩壊した男(飯田基祐)が、その仕返しのために矢沢の身辺をかぎ回ってこの関係を知り、ゆすりを仕掛けている。
 一方、越後湯沢の温泉旅館に住み込みで働いていた年齢の離れた男女の男(堀内正美)が、川でシートにくるまれた死体で発見され、年上の“女”(佐久間良子!)が容疑者として連行されるのだが、2人は偽名を名乗っていて正体がわからない。地元警察のベテラン刑事(モト冬樹)が訊問に当たるが女は本名を含めて完全な黙秘を続け、そのまま起訴されることになる。
 矢沢は新潟地裁に転勤となり、始めて担当する裁判がこの殺人事件となる。第1回公判の人定尋問で、この黙秘を続けてきた被告人は突然自分と男の本名を明かし、矢沢は彼女が自分を捨てた母親であったことを知る。当然、裁判の担当は外れるのだが、同時に「殺人犯の母をもつ」ということで縁談は消え、出世の途も閉ざされる。
 捜査の過程でこの女が男を殺したとは考えられなくなった刑事は、送検済みの事件にもかかわらず休暇をとって調べ続け、やがて癌を患っていた男が事件の半年前に生命保険に加入していたことをつきとめる。そこから刑事は、余命を覚った男が自分が捨てた実家の母と妹のために最後の償いとして保険金を残すために自殺したこと、自殺では支払われない短期加入のために女が殺人の偽装工作を行なったこと、を推理する。
 東京では、“ゆすり男”が今度は美里に接近し、自分を破滅させ、彼女を捨てた矢沢に一緒に報復しようと迫る。ところがまだ矢沢を愛している美里はこの男を呼び出して刺してしまう。
 母親との縁は30年前に切れたと言う矢沢に対して、刑事は彼女が30年間そのことを悔いつづけてきたことを教え、彼女を救えるのは矢沢だけだと諭す。そして東京での美里の事件も伝える。
 最後に、裁判官の地位を捨て、弁護士となった矢沢は美里に心から詫び、力になりたいと申し出る。

 最近では珍しい“重い”ドラマだが、しっかりしたつくりでなかなか良かった。屈折したエリートを渡部篤郎が好演、刑事役のモト冬樹も好い味を出していた。
 特記したいのは、恩師の妻と駆け落ちしたことでやはり“予定された”人生を喪い、結局癌に倒れる男を演じた堀内正美。
 主な場面は飲み屋で酔い潰れるシーンと隠れて実家の様子を窺うシーンの2つしかないのだが、それだけでこの男の背負った悲しみが強く伝わってきた。神戸の震災に遭った後、NGO活動に力を注いでいるためか、テレビで見かけることが減った俳優だが、やはり素晴らしい。
 私には、結局このドラマの中心は「駆け落ちした二人の悲しく強い愛情」だったように思えた。繰り返しになるが、最近では飛び抜けた傑作であった。


 
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■2006年07月05日:ドラマ・スペシャル HERO

 以前の連続ドラマは観ていなかったが、宣伝につられて・・・。
 結論から言えば、なかなか面白かった。
 気になった点としては、コミック原作ものにありがちな傾向なのだが、それなりにリアルな部分と、荒唐無稽・非現実的な部分とが混在していたことである。
 特に、徹底的にギャグ路線を通した地検の検事・事務官たちの演技と、シリアスに熱演した準主役の企業幹部(中井貴一)の性格造形とが、まるで水と油になっていた。もっとも、敢えて描きわけたのだと言われればそれまでだが。
 それにしても中井貴一は素晴らしかった。例え水と油でも、このドラマの彼(の演技)は心に長く焼き付くものだった。
 残念だったのは、私の好きな俳優の一人である利重剛が演じた二代目社長役の出番が少なかったことである。基本的には善人、少し弱い・だらしない部分をもち、その一方で「かつがれ社長」としての自覚もあるといった人物を、わずかな登場シーンの中で的確に・リアルに演じて見せた利重の演技力もまた最高であったのだが。


 
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■2006年5月30日:泥の川

 29日夜NHK-BS2で“田村高廣追悼番組”として放送。

 はるか以前に一度観ているが、ほとんど新たな気分で観た。
 とにかく素晴らしい映画だ。宮本輝の原作も良いのだが、これが第一作だったという小栗康平の才能に脱帽。まず心に残るのは、無言の俳優たちが表情だけで演じる人間の心の動きである。
 田村高廣が演じるうどん屋のおやじ(主人公のぶの父)が、“郭船”に住む男の子(きっちゃん)が唄う「ここはお国を何百里・・」を聴きながら、次第に表情を暗く強ばらせていく、歌い終えて不安な表情のきっちゃんに気付き、急いで笑顔をつくって「上手だなあ・・」と嘆息する様子。
 預かった2人分の小遣いをズボンのポケットの穴から落とし、やり場のない気持ちと、のぶに何とかして償いたい気分から“宝物”のカニの巣を見せ、次第に暴走してしまうきっちゃんの悲しさ。
 そして、男に抱かれている姿をのぶに覗かれ、“見ないでくれ”という哀願、“見てはだめ、立ち去れ!”という叱責、そして何とも言えない悲しみの全てを込めてのぶを見つめたきっちゃんの母(加賀まりこ!)の眼。
 衝撃を受けて逃げ帰るのぶと遭遇し、彼が“見てしまった”ことを知ったきっちゃんの姉ぎん子の絶望。
 これら全て、そしてもっともっと多くのことが一切の余計なせりふ、説明抜きで描かれていく。良い映画を見終わったとき独特の、心が洗われた気分と軽い疲労を久しぶりに感じた夜だった。


 
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■2006年5月10日:北北西に進路をとれ

 私にとって、この映画は大好きな作品の一つである。ただし、ストーリーの面白さやヒッチコックの職人芸的演出の凄さはその一部で、実はロケ地の選択がとにかく最高というヘンな理由で好きなのである。
 その一、ヒッチコック得意の“ハラハラ・シーン”の舞台となった、アメリカ農業の象徴とも言える「トウモロコシ畑」。あの畑そのものの馬鹿げた広さ、そして植えられているトウモロコシの巨大さ(身長1メートル90のケーリー・グラントが完全に見えなくなる)。どんな "地理書" を読んでも実感できないスケールを是非見て欲しい。
 その二、中盤でサスペンスの舞台となる“急斜面に建つ家”のデザインの素晴らしさ。セットではなく実在の別荘を使ったらしいが、映画を最初に観たときには「将来、同じような家を建てて住みたい」と本気で思って、建物のイメージをつかむために何度も続けて観た。
 その三、最後のクライマックスの舞台となるラシュモア山の“岩の質感”までリアルに伝わる映像。山肌に歴代大統領の顔を彫刻した有名観光地であるが、この映画のような角度と距離で撮った映像は始めて見た。

 以上、映画を観る態度としては邪道な理由でヒッチコックには申し訳ないが「好きな映画」だ。


 
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■2006年01月13日:黒いカバンの女

 正月ドラマをもう一つ。
 意外な傑作、と言っては失礼かもしれないが、観終わった後の余韻が大きかったのが「黒いカバンの女」。
 橋爪功、名取裕子によるほとんど“二人芝居”と言うべき作品だが、出だしの軽さから一転して最後にはとても重い話として終わる、という展開が面白かった。
 特に良かったのは、説明シーンが少なかったこと。当然「崖の上の告白シーン」など全く無し。最終的に名取裕子が演じた“女”の正体についてもよく判らないまま終わるのだが、その“判らなさ”そのものが何ともリアルで余韻を残した。
 例えば、名取が出雲崎の街を乗り回したタクシーの若い女性ドライバーは実は娘だったのではないか? いや、女性ドライバーの中に、死なせた(堕ろした)娘の面影を観ただけなのではないか? などなど。観た一人ひとりが、心の中で“物語”の続きを考え、誰かと話し合いたくなる作品だったのだから。
 最初は喜劇的なほどの無茶苦茶な自己中心女、途中は一種薄気味悪さを感じさせるほど執念深くしつこい女、そして最後には深い悲しみを秘めて死んでゆく女、という役を完全に演じきった名取裕子に脱帽。
 そして、敢えてその引き立て役に徹した橋爪功の好演にも喝采を送りたい。


 
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■2006年01月13日:相棒 〜汚れある悪戯〜

 録りだめていたドラマをほぼ観終わった。
 まずは「相棒」。いつものように手堅い作りで、海浜公園でのヘリからの札束ばら撒き、という派手なシーンが前半の山場。
 とにかく印象に残ったのが葉月里緒奈の異様なほどの美しさ。また、倫理観が壊れてしまっていて、とんでもない“悪戯”を始める金持ちのドラ息子を演じた甲本雅裕も好演。
 日本の映画やドラマが極めて苦手としてきた、高学歴者やエリート・金持ちを的確に描くことができる、というのがこのドラマの大きな特徴の一つだと思うが、今回の甲本が演じた役も“壊れ方”を含めて大変リアルだった。


 
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■2005年12月08日:相棒

 今回のタイトルは「冤罪」。
 いきなり、血まみれのガラス灰皿を持った手のアップ ー ゆっくりパンして、死体(男)の顔から震える女性の顔のアップ ー 街をさまよう女性の全身ショット ー 緑川警察署に入る女性 ー 「人を殺した」という女性に騒然となる警察内部・・という具合に一気に話が進む。
 ところが、この女性を取り調べた緑川署の刑事は、20年前に殺人容疑をかけられたこの女性の兄を逮捕・送検した刑事であり、この女性の弁護士として駆けつけてきたのは、20年前に兄を起訴した担当検事だった。
 さらに、刑事がこの女性をあっさり「過剰防衛による傷害致死」で送検したことに、警視庁特命係の右京と亀山が疑問を抱き、やがて女性の兄が冤罪であり、今回殺された男が真犯人であったことが明らかとなる。
 そして、この事件は冤罪の発覚を恐れた元検事と刑事による殺人教唆ではないかと主張する右京たちを小野田刑事局長が抑え、結局女性は復讐目的の殺人の単独犯として起訴される。
 ところが、初公判の罪状認否で女性は、自分は刑事と元検事に真犯人を教えられ、殺人を唆されたと供述する。沸騰するマスコミと大混乱に陥る法廷。
 しかし、右京は冤罪のまま病死した兄の復讐を忘れなかった女性が、「教唆されたとして本当に彼等の言いなりになるだろうか?」と言う。何故、公判まで沈黙を守ったのか。もしかしたら「今度は彼女が(刑事と元検事の)2人を“冤罪”に追い込もうとしているのではないか」と。

 先にも述べたとおり全く無駄な場面がなく、一気に最後まで見せ、そして余韻が残る。ERなどに迫るテンポの良さと密度の濃さがあった。
 問題の女性を青山知可子という女優が演じた。せりふは少なかったが大変きちんと演じていて、法廷で刑事と元検事を名指す場面ではなかなかの迫力だった。
  広く有名な女優というわけではなく、かなり変わった経歴で「カラー・セラピスト」というもう一つの顔をもつ。正統派の美人顔でデビュー当時はセクシー女優などと言われていたようだが、映画・テレビドラマの出演は意外に多く、香港映画にも出ていたり、Vシネの出演も多い。最近ではCMの出演が多く、それも何故か“ヒラヒラ”系の派手な衣装に身を包んで出てくるのだが、いまいち“本当の高級感”には欠けていて、「根は庶民」といった微妙な印象を残す不思議な女優である。


 
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■2005年12月03日:父がきた道

 月曜ミステリーで放送。高村薫の原作で数少ない未映像化作品である。
 主役の元刑事で現在は有力代議士のお抱え運転手を阿部寛、その恋人を余喜美子、代議士の第一秘書を渡辺エリ子、代議士を神山繁、運転手の父親(かつて代議士と因縁のあった)を内藤武敏、という演技派のベテランで固めた配役に魅かれてじっくり観た。
 大変に面白く素晴らしかった。
 まず阿部寛を見直した。かつて、モデル出身の背ばかり高い不器用な2枚目だと思ったことがあったが、全面撤回。高村作品に必ずといって良いほど出てくる、“2枚目”で、しかし“何を考えているかわからない”、時々一瞬の“狂気”を感じさせる男、を見事に演じていた。
 そして、渡辺エリ子も“父”への屈折した愛情と疎外感、そしてプロ意識の間で揺れ動く“必死さ”や孤独、悲しみを全身で表現していて胸を打った。
 神山繁は一部に演技過剰を感じさせるところもあった(田中角栄をイメージしすぎたか・・)が、“代議士”というキャラクターを演じられる数少ない俳優であることは十分に証明した。前田吟が演じた野心家の中堅代議士が全然代議士には見えなかったのと好対照である。前田吟は企業の部長くらいを演じさせると絶妙だが、今回はミス・キャスト。
 知らない俳優だったが、中堅代議士の秘書役が異様に存在感があり、他の出演作品を見てみたいと思わせる役者だった。
 そして、高村作品には常連のようなイメージのある余喜美子。今回もすっかりハマって好演、もう言うことなし。決して“美女タレント”ではないのだが、本当に“美しい女優”である。
 途中、渡辺エリ子が回想する「ただ一度、父と手をつないで海を見ていた時の、父の手の暖かさ・・」という言葉と映像は、「火の記憶」など松本清張の世界も連想させるものだった。
 久しぶりに「大人のドラマ」を観ることができた。


 
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■2005年10月10日:ハルとナツ<

 NHKのスペシャル・ドラマ「ハルとナツ ー届かなかった手紙ー」が終わった。
 5夜連続放送というのは、見る側にとってかなり無茶な方式である。NHKは未だに「お茶の間でご家族そろってテレビに見入る」幻想に浸り、多くのチャンネルの一つに過ぎないという事実を無視しているように思える。

 それはまあ良いとして、私もところどころ歯抜けながら一応全体にわたって観た。
 まず、ロケ撮影によるブラジルの風景は最高だった。また、まさにNHKの“力”ここにあり、と言わんばかりの豪華な配役で、出演者たちの演技も多くは素晴らしいものだった。
 そして、橋田壽賀子の脚本はヒドいものだった。
 一口で言えば、過去の“海外移民モノ”と“おしん”の「継ぎ接ぎ」そのものだったね。
 また、これだけブラジルをテーマとし、ロケも行いながら、“名前のある”ブラジル人の役柄がたった一人(ハルの息子の嫁)しか出てこない、と言うのも凄い脚本だ。

 姉妹生き別れのブラジル移民という設定について、過去テレビ東京で放映されたドキュメンタリー関係者から“模倣”ではないかと言う指摘と抗議が出ているようだが、日本に残ったナツのストーリー展開についても、どう見ても“おしん”V2でしかなかった。
 橋田壽賀子衰えたり!ということかな・・・。

 ただ一つ、私が大変気に入った部分があった。それは最後に年老いたナツが“日本を捨て”てブラジルにわたる、という設定である。
 ブラジルの“大家族”を無条件に礼賛しているように見えるのは嫌だったが、日本に絶望するナツの心情は巧みに描かれていた。そうなんだよ、真剣に考えると、はっきり言って日本の将来、と言うより「日本で生きていくわれわれの将来」はまるで明るくないのだよ。

 話を出演者に戻すと、主役の2人については、森光子と野際陽子はまあ特に言うことなし。子供時代の2人、特にハル役の子は見事だった。その間をつなぐ娘役は・・・いやはや、例によって“眼を開きっぱなし”の米倉涼子と、“口を曲げっぱなし”の仲間由紀恵だからね。話題にしたくもない。
 それよりも強烈だったのは、なんと言っても“内藤洋介”。ドラマの始めの方と最後だけ出てきて圧倒的な存在感だった。これだけ見事に“老ける”ことのできる俳優は少ない。

 最後に、このドラマは「放送80周年記念橋田壽賀子ドラマ」と銘打たれているのだが、ちらっと見ると「橋田壽賀子80周年記念」のように見えて妙な気分になる・・・・!。


 
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■2005年9月26日:蓮杖那智フィールドファイル・凶笑面<

 放送は16日だったが、録画ーCM抜きで見るため約1週間遅れでコメント。
 主演(蓮杖那智)は木村多江、助手に岡田義徳、事件の起きる旧家の老婦人に香山美子、そこで働く(訳ありの)老女に左時枝、地元の刑事に清水紘治という配役。
 私は原作については全く知らないので、このドラマ限りの話。
 女性民俗学者の蓮杖那智とその助手が、山奥の“隠れ里”のような村に民俗調査に入り、そこで殺人事件に遭遇し、危険な目に遭ったりしながらそれを解決するという、これまでにも見られた設定のドラマである。
 最近、大学の研究者・教員を主役にしたドラマがちらほら見られるが、同じ稼業の人間から見るといくつか不満な点が有る。
 何と言っても、いかにも“嘘っぽい”ものが少なくないこと。例えば服装、考古学や地質学であれば、現場に出るときは“博士”でも必ず作業衣を着るので、一人だけ背広などということはあり得ない。また、歴史学や民俗学だからといって、自宅では必ず和服を着るわけではないし、ベレー帽など被らない。などなど。
 このドラマで画期的なのは、何と言っても教授が女性で助手が男であること。そして、その教授に妙な髪形やヘンな眼鏡などさせなかったことが素晴らしい。
 それは良かったのだが、フィールドワーク中の民俗学者がシーンが変わるたびに“衣装を替える”のが何とも違和感だった。助手が悲鳴を上げる大荷物の中身が “服”だというのでは、それは学者ではないよ。野暮ったくとかボロい、と言うのではなく、プロであればフィールドには機能的な服を最小限しか持参しないのが常識だから。それでも、スカートは着用しなかっただけまだ良しとすべきなのかもしれないが。
 また、愛川欽也や橋爪功が演じたものに多いが、“教授”とは名ばかりの単なる素人探偵に過ぎないケースはつまらない。せっかく“専門職”を登場させるのだから、その専門で格好良く決めてもらいたい。
 このドラマでは、教授と助手は一応“民俗学”をやっている点が良いが、事件の話そのものの荒唐無稽さが、かなりつらいものであった。一応“今”の話だとしているのに、舞台となる村(人)はまるで横溝正史の世界だし、民俗学というのがこんな話題ばかりだと思われても困る。
 サイドストーリーだが、助手が出張旅費の件で大学の総務課長(西村雅彦!)と再三やりあう、そのやりとりが何ともリアルで爆笑した。西村もオーバーぎりぎりのところで、リアルな実感を出すのはいつもながら流石である。
 最後に、木村多江は民俗学者・教授に見えたか? まあ悪くないのではないか、少なくとも「役者替えてくれ」という印象ではなかった。もともと好きな女優なので少し点が甘いかもしれないが。


 
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■2005年9月17日:エド・マクベイン 〜殺意〜

 14日水曜日、テレビ東京系列でドラマ「エド・マクベイン 〜殺意〜」が放送された。
 エド・マクベインも、彼の「87分署」シリーズも知らない、と言われると話にならないが、ミステリー、警察小説としては最高のシリーズの一つである。かつて、鎌田敏夫の脚本、渡辺謙の主演で「わが町」というシリーズで放送されたこともある。同じシリーズの「キングの身代金」は黒沢明の「天国と地獄」の原作でもある。
 古い話はさておき、今回のドラマである。内容を詳しく紹介するのは面倒なので、「見た人」だけに語ることになるが、許してくれい。

 個別に見ると、主役の久留島(原作ではキャレラ)を演じた上川隆也とその聴覚障害者の妻を演じた忍足亜希子はいずれも適役で好演だった。
 原作のキャレラは有能だが生真面目で優しい性格、警官としては“深く考えすぎる傾向”をもつ。キャラクター的に見れば上川は「わが町」の渡辺謙よりも合っている。
 実際に聴覚障害者である(もちろんプロの俳優でもある)忍足も原作のイメージに近く、健常者が障害を“演じる”ときに避けられない不自然さが(当然のことながら)まったくない、という点で際立っていた。

 では総合的に見ると・・・このドラマは全然ダメ。
 ダメと言い切る理由は以下の3つ。
 第一は、「87分署」シリーズの魅力の根源とも言える「集団ドラマ」の要素が全く欠けていたこと。それなりの俳優を配置したにもかかわらず、他の刑事達はほとんど印象に残らず、チームとしての面白さも全く感じられなかった。
 第二は、それと反対に久留島が“一人ヒーロー”的に描かれたこと。自殺とされた事件を、本庁との激しい摩擦もなく、一人で(ポワロみたいに)鮮やかに解明してみせたことで、警察ドラマとしてのバランスが崩れてしまった。
 第三は、重要な主役の一人である「爆弾女」を浅野ゆう子が演じたこと。決して嫌いな女優ではないが、これはミス・キャスト。この役は、ドラマの全編にわたって、肉体的には殆ど静止したままで鋭い緊張感と激しい感情の起伏を演じなければならない。高度の演技力がなければダメであり「わが町」では根岸季衣が演じていた。
 テレビ東京関係者がこのささやかなブログを見る可能性は殆ど無いだろうが、もしもシリーズ化する可能性があるのなら、上記の第一・第二の点は是非考えていただきたいと切に願う。


 
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■2005年9月15日:気になる映画

 アメリカで、売り出し中の若手俳優が“メディア・言論の危機”を考えさせる硬派の映画を作った。また、アフリカで起きた民族衝突の悲劇を通して国際社会=先進国の不作為の罪を鋭く告発する映画に、MGMやユナイテッドアーチスツという大手企業が出資している。
 イラクやハリケーンで今やボロボロの混乱状況にあるアメリカだが、大統領はアホでも良質の人々の真面目な努力は続いているし、それを正当に評価する体制も健在である。
 さて、日本はどうか。「愛を叫ぶ」のも「電車男」も文句を言うつもりはないが、あまりにも“身の回り3メートル”な映画ばかりではないだろうか。
 今の日本は、“自由”や“人権”や“平和”について真面目に語れない社会になってしまっているのではないか。

「グッドナイト&グッドラック」(配給・東北新社)
 1950年代の米国。マッカーシー上院議員の“赤狩り”が吹き荒れる中で権力に抵抗し、ジャーナリズムの良心を守ったといわれるエド(エドワード)・マローを描く映画。
 テレビの ER でスターになったジョージ・クルーニーの監督第2作。
 映画の紹介とクルーニーへのインタビューが下記にある。
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/geinou/sep/o20050909_10.htm

『ホテル・ルワンダ』(公開未定)
 1994年にルワンダで起こった大量虐殺事件。暴徒化したフツ族の手により約80万人のツチ族が次々に虐殺されていく絶望的状況の中で、ごく小さな存在でしかなかった一人のホテル支配人が1200人ものツチ族の命を救った事実を描いて、当時国際社会が陥っていた深刻な無関心の連鎖がこの国での被害を拡大させたことを告発した映画。
 “営業上”の判断?から輸入公開する業者が現れず、日本では見られないかもしれない、という危機にある。私自身は、営業上の判断だけではないのではないかと疑っているが・・。
 映画のHPは下記。(英語)
http://www.hotelrwanda.com/intro.html
 この映画の日本公開に真剣に取り組んでいる団体のHPが下記。映画の紹介もある。関心のある方はぜひご協力を!
http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/


 
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■2005年9月8日:ドラマ「ネタ元」からジェンダーギャップを考える

 横山秀夫原作のドラマである。ここでは、沢口靖子が演じた主人公の女性記者の「仕事と人間関係」を中心に考える。
 彼女は「信濃日報」(架空)という地方新聞の事件記者である。新聞社も警察もともに典型的な男社会であり、彼女はしばしば「まっちゃん」や「お嬢ちゃん」などと呼ばれ、容姿を話題にされ、「冷えると子供が産めなくなる」などの言葉を浴びている。この女性記者の人物造形は、ステレオタイプであり、しかしリアリティを感じさせる。
 彼女はミスや暴走もあるがとにかく一所懸命である。そして、自分が「女の子」扱いされることにやや過敏でもある。しかし、一方で“地方”新聞や“田舎” 的な人間関係、そして地元にへばりつくようにして生きる同僚に対して、一種“見下す”視線を無意識に持っていることも、ドラマの中で次第に明らかになってゆく。
 ここでは、結末が内包する“曖昧さ”にもう少し迫ってみたい。
 “曖昧さ”は、このセクハラ的状況に主人公がどのように立ち向かっていくのかという問題が、ハッピーエンド的結末の中で棚上げされたことである。
 仮に、彼女がこれらの発言に遭遇する都度、必ずそれと闘い、発言者を糾弾していたらどうなるのか。現実的には彼女は組織の中でも外でも孤立し、むしろそれ故に「女は使えねえ」と評価されるという逆説的な状態に陥るであろう。
 内藤剛志が演じるデスクの「お前こそ女を売り物にしている」という発言は、このこと(の危険性)を指摘しているのである。それでは、“女の愛嬌”も能力の一つと割り切って生きていくべきなのだろうか。
 誤解されないように述べるのは難しいが、私は「ほどほどに妥協すべきだ」とは考えない。しかし「あくまで戦い続けるべきだ」とも思わない。
 その理由は、およそ以下のようなことである。
 例えば、田山凉成が好演した刑事部長は、彼女をいつも“ちゃん付け”で呼び、「冷えると子供が・・」といった典型的なセクハラ発言を連発する一方で、「仕事」に関しては記者としての彼女を決して差別せず、彼女の熱心さを認めて真摯に対応しているのである。そこで彼女が直面する問題は、セクハラ発言を問題化してこの刑事を敵に回すか、そこには目をつぶって記者としての実績を積み上げるか、という選択になる。
 「そのような問題設定こそがセクハラ社会を存続させる」といった意見は、原則論としては誤りではないが、個々の人間についてとりあげる場合は、非現実的な空論である。何故なら、すべての人間にとって人生はただ1回しかないし、その“残り時間”も限られているからである。
 “闘い続ける”側の人々の邪魔をしない、闘う彼(女)等を嘲笑しない、ということは大切である。
 しかしながら、“最大限の自己実現を目指す”ためにいくつかのことを見逃すのは、その個人にとっては単なる“妥協”ではなく積極的な“選択”の結果であり、それをもって“その個人を”非難するべきではない。
 アカデミズムなどの安全地帯からそのような「個人の選択」を批判するのは、単なる傲慢な“フェミニズム原理主義”に過ぎないのではないかと考える。


 
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