教育について考える2

(blog アーカイブ 2007〜)


 

2010年03月06日: "パワポ授業" という病

2009年03月29日: "学問離れ" のデータがまた一つ

2007年12月05日:またまた "理科離れ"

2007年12月04日: 「学力低下」をめぐって

2007年09月21日: 「勉強離れ」について


 
 
戻る

 

 
 
 ■2010年03月06日: "パワポ授業" という病

 偶然見つけた古い記事だが、重要な内容なので紹介する。
 この加藤先生の意見に私も100%同感であるが、さらに付け加えたいことを以下に書いておく。
 <決して、パワポやスライドを全否定するわけではない。 "資料提示" には大変有効なツールであり、私も利用している。念のため・・>

 実は、学生の一部にはこの記事で言う「暗闇の紙芝居」を好む者が(結構な比率で)居る。つまり、その状態で「対話をしなくて済む」のは学生にとっても同じだからで、こういった学生は教員と目を合わすこと、教員から話しかけられることを極端に嫌い、どんなに広い教室で(少人数で)あっても、教室の最後列から "後ろに詰めて" 座ろうとする。彼等は、暗闇の教室で "教員の視線" から解放され、連写されるパワポの画像をぼんやり眺め、90分が過ぎるのを待つのである。
 後ろから詰まっていく教室で、健全な学習意欲や生真面目さをもつ一部の学生が群れから離れて前の席に座るのは、ある種の "勇気" が要ることでさえある。教員が「前に移れ」と指示した際に、一部の学生が席を移りながら瞬間的に浮かべる安堵の表情にそのことが伺える。
 もちろん、加藤先生が書いているとおり、「暗闇の紙芝居」は教員のエゴ、手抜き以外の何ものでもない。学生の顔も見ず、話が伝わっているかどうかも関知せず、自分の言いたいことだけを一方的に喋って、理解できないのは学生の学力が低いためと言い張る。休講せず、毎回90分目一杯話していれば、学内で公式に批判することは難しいからである。
 学生・生徒にとって、「勉強」への意欲や倫理観を素直に外に表わすことが難しく、勇気が必要であるというこの国の多くの学校の状況、そして大学に見られる「教育軽視(蔑視)の教員天国」という疾病、情けなさを通り越して将来への恐怖を感じる。


【正論】暗黒の「紙芝居」教育はご免だ プレゼンの道具が変じて…
産経新聞(IZA) 2009/11/24 07:34更新


 ほうぼうの大学が公開講座、教養講座のたぐいを開設して一般市民に講義をきかせてくださるのがありがたい。わたしもときどき聴講にゆく。受講料は500円くらい。タダのところもある。教室で現役の先生たちの専門的なおはなしをうかがうのは勉強になる。
 だが、ここ数年、気になってしかたないことがある。それはこのごろの大学教授がやたらにスライド映写で授業をなさることだ。
  スライドといってもこれはパソコンのなかに画像を貯蔵しておいてそれを投射するパワー・ポイントという新発明。あらかじめ作成しておいた文字、グラフ、写 真などをスクリーンに映し、レーザー・ポインターで指しながら説明してくださるのである。いうなれば「学術紙芝居」である。
 これをはじめてみたのはもう20年もむかしになろうか、ある国際会議で某経営学者が、いろんな組織図やグラフをみせながら学説を展開なさったときのことであった。これは便利だ、とそのときは感心した。
 その発明はビジネスの世界に導入されて商談の手段につかわれるようになった。いわゆる「プレゼンテーション」、略して「プレゼン」用の道具である。
 これが大学でも採用され、講義の内容を学生に説明するのに便利だ、ということになった。その手法があっというまに普及してしまったのである。
 その結果、極端なばあい、先生は教壇にあがると即座に照明を消して室内を真っ暗になさり、かねて用意のスライドをみせながら講義をなさることになった。

 ≪「対面」の効能いずこへ≫
  それがたとえば考古学の講座で必要に応じて古い土器の写真をみせてくださる、というのならはなしはわかる。生物学しかり、古美術しかり。映像をちょっとみ せてことばで説明してくだされば理解はゆきとどく。視聴覚教育のための技術がここまで進歩したことはご同慶の至りである。
 しかし、必要なときだ け補助的に映写する、というのではなく、講義時間いっぱい、ずっとスライドの連続、という先生がふえてきた。思想史、哲学、経済学、などの学問でもスライ ドになっている。引用文などもあらかじめ用意されたスライドに書かれているのを投射するだけだから黒板に書くにはおよばない。
 教授先生のほうはそれでよろしかろうが、われら受講生のほうはまことに迷惑である。まず、講義をききながら要点をノートにとろうとしても室内が真っ暗だからそれができない。
 なによりも先生の顔がみえない。むかしは教授と学生はおたがいに顔をみながら教室で問答した。教育といい、学習といい、それは「対面授業」であることを暗黙の前提にしていたのである。
 わたしはけっしていい教師ではなかったが、それでも教授時代には学生たちの顔をみながら講義をすすめた。内容がむずかしそうならやさしい事例で説明する。それでもダメならちょっと脇道にそれて注意をひきつけたりしてあれこれくふうしていた。

 ≪個性を抹殺する電子黒板≫
  ところがいまどきのスライド授業は暗黒のなかでの一方的なオハナシである。なによりも教授諸公はじぶんの手元のコンピューター操作にいそがしく、予定のス ライドを順序よく映写することに専念なさっているから背後のスクリーンばっかりみていて学生の反応なんかみているヒマがない。せっかくおなじ教室にいるの に「対面授業」になっていないのである。ときにはパソコンのご機嫌がわるいから講義はできない、などと公言なさるかたもおられる。これにはおどろいた。
 このごろのお医者さまのなかにも電子カルテになってからコンピューター画面ばかりみていて、いっこうに患者の顔色さえみてくださらないかたがおられるという。それとおなじ情景である。
  さきごろ、わたしは小中学校に国費で導入されるという「電子黒板」というものをはじめてみてびっくりした。これは正式には「黒板」ではなく「白板」で、こ こに手書きで文字を書くと、あらふしぎ、それが活字体になってでてくる、という仕掛け。さらにクイズ仕立ての問題が用意されていて、これもキレイな絵や文 字がいっぱい。
 むかしは、先生がチョークで黒板に文字や数式をお書きになるのをお手本にして、じぶんもあんなふうにじょうずに字を書けるように なりたい。そうおもってこどもたちは育ってきた。それなのに電子黒板は手書き文字を活字体に変換させて文字の個性を抹殺し、またクイズ仕立ての画面で勉強 させようとする。
 この導入計画はいまのところ棚あげになったらしいが、小学校から大学まで「紙芝居教育」がひしめきあっているのはあんまり健康なことではあるまい。ある大学の公開講座を真っ暗な教室のなかでききながらわたしはそうおもったのであった。
(社会学者・加藤秀俊)


戻る    先頭に戻る

 

 
 
 ■2009年03月29日: "学問離れ" のデータがまた一つ

 内閣府の「世界青年意識調査」で、学校に通う意義についての質問に、欧米では「知識を身に付ける」という回答が多かったのに対し、日本は「友情をはぐくむ」が最も多かったということである。
 この傾向は別に今回が初めてというわけではない。
 前回(第7回)でも、日本、韓国、アメリカ、スウェーデン、ドイツの5カ国の中で、日本だけ「友情を・・」がトップになっているのである。
第7回調査における同じ質問の結果
 この「友情をはぐくむ」なる選択肢は、本人の努力によって達成するものではないという点で他の項目とは全く異質のものである。
 要するに、日本では学校が "学ぶ場" や "自分を高める機会" とは認識されていないということである。そんな重大なことを子どもたちが勝手に決める訳はないのであって、大人たちがそのように仕向け、あるいは刷り込んでいると考えざるを得ない。
 何度も書いているが、この国の教育にとって今本当に大変なことは、 "理科離れ" どころではない "学問離れ" である。
 それは結局大人たちが引き起こしたことなのであり、教育現場に見当違いな非難を浴びせるのではなく、この国の社会や大人たちの学問や教育に対する意識、価値観を改め、学ぶことを大切にする "空気" を行き渡らせることこそ、緊急にとりくむべきことであろう。


日本は「友情」、欧米は「知識」=学校の意義で若者調査−内閣府
 内閣府は27日、若者の意識を国際比較した「世界青年意識調査」の結果を公表した。学校に通う意義について、欧米では「知識を身に付ける」という回答が多 かったのに対し、日本は「友情をはぐくむ」が最も多かった。内閣府は「知識を身に付ける意義を低く見ると、社会に出た時に現実とのギャップを感じることに つながるのではないか」としている。
 調査は1972年からほぼ5年ごとに行っている。8回目の今回は2007年に日本と韓国、米国、08年に英国、フランスを対象に実施。各国とも18〜24歳の男女1000人ずつをめどに回答を集めた。
 3月28日5時11分配信 時事通信


戻る    先頭に戻る

 

 
 
 ■2007年12月05日:またまた "理科離れ"

 タイトルの通りで、まったくうんざりする話である。
  "理科離れ" に、ではない。この問題化の姿勢、歪んだ価値観にうんざりするのである。
 それでは、日本の子どもたちは国語や社会科について訊ねられたら、世界最高水準の学力と意欲を示すとでも言うのだろうか? まさか!
 数式問題では一流でも、読解力や論述力の必要な応用問題では途端に低レベルになること自体、国語力が欠けていることの何よりの証拠ではないか。
 要するに、今、日本の子どもたちは "勉強すること" に魅力を感じなくなっており、その結果意欲も限りなく減退し、そして学力は低下し続けているのである。
 仕事の性質上中学生と接する機会は無いが、高校生や大学1年生は身近に見ている。特別優秀な少数の学生・生徒は別にして、多くの場合非常に気になるのは "世の中で起きていること" に対する全般的な関心の低さである。
 正しく言うと、世の中で起きていることに対して、 "自分が学校で学んできたこと" を使って理解しようとする姿勢が殆ど見られない、ということである。
 留学生が驚く "血液型迷信" では理科教育が、ねずみ講式詐欺に嵌まる若者の存在は数学教育が、選挙への無関心は社会科教育が、全く意味をもたなくなっていることを示している。彼らを見ていると、そもそも学校で学んだことが役に立つなどとは思ってないのではないか、と思われる節さえ有る。
  "子は親の鑑" が正しいのだが、最近では "鏡" だと思い込んでいる人も少なくないようだ。むしろ、この後者の意味で強く感じるのが、この国の大人たちにしても "学校教育が大切で価値あるもの" だと本当に考えているのか、という疑問である。
 企業のエリートなら小中学校の校長など簡単に務まる、と高をくくって自殺者を出した例があった。教育再生などと称して、実際の学校教育現場とは無縁な評論家や企業経営者ばかり集めて、偏見まみれの勝手な思いつきを出させていたのはつい最近のことだ。
 国の学術の根幹を支える高等教育はまさに百年の大計で扱わなければならないのに、大学の管理運営に企業のセンスを、などと馬鹿げた改革を持ち込み、あげくの果てに国立大学というシステムを放棄したのはこの国の政府である。
 このような、社会、政治、経済の全体に蔓延る "学問軽視" "教育蔑視" の空気が、子どもたちの意識に投影しているのは明らかである。
 毎回同じことを書いているが、問題は "理科離れ" などではない。国家的な "学問離れ" を改めない限り、この国の将来は絶望的だろう。


<国際学力調査>「理科に関心」最下位 数学的活用力も低下
 経済協力開発機構(OECD)は4日、57カ国・地域で約40万人の15歳男女(日本では高1)が参加した国際学力テスト「学習到達度調査」(PISA)の06年実施結果を発表した。学力テストで、日本は数学的活用力が前回(03年)の6位から10位となり、2位から6位に下げた科学的活用力と併せ大幅に低下した。また、理科学習に関するアンケートで関心・意欲を示す指標などが最下位になり、理科学習に極めて消極的な高校生の実態が初めて明らかになった。
 ◇57カ国・地域が参加
 調査には、前回より16多い57カ国・地域が参加。日本では無作為抽出された高校1年の約6000人が参加し、学力テストでは「数学的活用力」「読解力」「科学的活用力」の3分野を、アンケートでは、理科学習への関心・意欲などを調べた。
 日本の数学的活用力は前回534点から523点に低下した。特に女子が男子より20点低く課題が残った。また、読解力は前回と同じ498点だったが、順位を一つ下げ15位となった。8位から14位と落ち込んだ前回と同様、OECD平均レベルではあるが、改善しなかった。科学的活用力はOECDが先行して公表しており既に前回548点から531点に低下したことが分かっている。
 関心などのアンケートでは、理科を学ぶ「動機」や「楽しさ」などについて、それぞれ複数の項目を尋ねた。このうち「自分に役立つ」「将来の仕事の可能性を広げてくれる」など、「動機」について尋ねた5項目では、「そうだと思う」など肯定的に答えた割合がOECD平均より14〜25ポイント低かった。これらを統計処理し、平均値からどれだけ離れているかを「指標」にして順位を出したところ、日本は参加国中最下位だった。
 また、科学に関する雑誌や新聞などの利用度を尋ねた「活動」の指標でも最下位。科学を学ぶ「楽しさ」を聞いた指標も2番目に低かった。こうした関心・意欲の低下が順位の低下につながった可能性もあるとみられる。【高山純二】
(毎日新聞 12月4日18時25分 )


戻る    先頭に戻る

 

 
 
 ■2007年12月4日:学力低下をめぐって

 PISAで示された結果をどう考えるかについては様々な議論がある。
 解りやすくまとめている記事を見つけたので紹介。


学習到達度調査:日本人の学力さらに低下? 教育テスト研究センター理事に聞く

 経済協力開発機構(OECD)が57カ国・地域の15歳(日本では高1)を対象に実施した「学習到達度調査」(PISA)の06年の結果が4日、発表された。00年に始まったPISAは今回が3回目で、日本は、読解力15位(前回は41カ国・地域で14位)、科学的リテラシー6位(同2位)、数学的リテラシー10位(同6位)と、各分野で順位を下げた。PISAは、生徒たちのどんな力を測っているのか。国際学力調査に詳しい、NPO「教育テスト研究センター」の鎌田恵太郎理事に聞いた。【岡礼子】

 ッッPISAで測る「読解力」「科学的リテラシー」「数学的リテラシー」とは。
 リテラシーは通常、「読み書き」「識字力」の意味ですが、日本と欧米ではとらえ方が違います。「読み書き」という言葉から私たち日本人が考えるのは「読むこと」「書くこと」で、それ以外のことは意識しません。しかし、欧米でいう「リテラシー」はもっと幅の広い概念です。
 ッッどう違うのですか。
 データや文章など、さまざまな素材を読み解き、理解したうえで、自分なりの知識と経験を基にして考える。さらに、自分の意見を組み立てて相手に伝える。この一連の行為のすべてを「リテラシー」と言います。
 ッッ「読解力」は、「文章を読んで意味が分かる力」だけではないのですね。
 「母語によるコミュニケーション能力の基礎」ととらえると分かりやすいかもしれません。どこの国でも一番大事にしている能力です。素材を読み解き、考えて伝える点では、3つの力は同じです。数学的知識や経験を使えば「数学的リテラシー」で、科学的知識や経験を活用すれば「科学的リテラシー」です。
 ッッPISAでは、どんな内容が出題されるのでしょうか。
 科学的リテラシーであれば、資源やエネルギー、環境問題、生命科学などが出題されやすい分野でしょう。「クローン羊について、あなたはどう思いますか」という問題が出題されたことがありました。
 ッッその場合、クローン羊に関する情報は提示されますか。
 知識がないと答えられない問題ではありません。基本的な情報は文章の中に書かれています。さらに、自分が持っている科学の基礎知識や、社会背景的な知識も使って、自分の考えをまとめます。
 ッッ総合的な学習で扱いそうな内容ですね。
 ある程度は授業で取り上げているかもしれませんが、日本の学校では、資源エネルギーや科学技術という切り口で、社会的な問題を取り上げる機会は少ないのではありませんか。欧米では、生命科学、地球科学、テクノロジーといった分け方で科学を教えます。子供たちが社会に出て直面する問題のテーマとしては、その方が分かりやすい。
 ッッPISAはなぜ始まったのですか。
 80年代後半に各国で教育法規の改正が始まり、90年代に各国で教育カリキュラム改革が行われました。そんな中、97年から03年にかけて、「2020年に義務教育を終了した子供たちに必要な能力」を考える国際的なプロジェクトがスイスで開かれました。このプロジェクトと平行して、PISAの準備が進められました。経済がグローバル化し、情報化も進みつつあったため、教育も国際的に共通の尺度で測定して、足りないところを補っていく必要があると考えられたためです。
 ッッ子供たちに必要な力を測ろうということですね。
 昔なら、「リテラシー」は、母語で読んで書いて、計算ができれば良かったかもしれません。しかし現代では、科学技術やIT機器を活用する力も求められます。PISAには外国語はありませんが、英語のリテラシーも必要です。科学技術、情報、外国語と必要なリテラシーは増えてきています。これらの力が一定の基準に達していなければ、子供たちが社会に出てから困るという考えです。
 ッッPISAの問題はどのように作られるのですか。
 コンペ形式です。オーストラリアやオランダ、米国などの教育機関、日本の国立教育政策研究所も問題を作っています。その中から、文化の違いに左右されない、男女で差がつかない素材を選んで出題されます。問題と採点基準が各国に配られて翻訳され、調査を実施した後は、採点基準に従って採点します。結果がOECDに返される仕組みです。
 ッッPISAの結果をどのように見ればいいでしょうか。
 現行の(日本の)学習指導要領で対応が不十分なところが、結果に表れてしまうと思います。大幅に順位を回復することは望めないでしょう。ただ、日本はPISAで問われるような教育をしていないのですから、そういった教育をしている他国に比べると、低いということです。
 ッッ「学力低下」と言われそうです。
 「もっと知識を詰め込まなければ」と思いがちですが、そうではありません。子供たちに求められているのは、自分が持っている知識を使って考え、人に伝え、人と議論しながら自分の考えを高めていける力です。順位が低かったとしても、そこが劣っていると考えればいい。「詰め込み」では駄目だと気づいている保護者も大勢います。
 ッッ「学力」の意味を考えてほしいということですか。
 「学力」という言葉は欧米にはありません。日本で一般的に言われる「学力」は「知識理解力」です。一方、OECDが重要だとしているのは(1)知識を使いこなす能力(2)対人関係能力(3)自主的、自立的な行動力ッッです。子供たちが社会に出た時に必要な力は何かという議論が、日本ではまだ足りないように思います。
=================
◇かまた・けいたろう NPO「教育テスト研究センター」理事、ベネッセ教育研究開発センター主席研究員。福岡県出身、九州大学理学部卒。専門は国際教育比較、教育テスト。
 (毎日新聞)


戻る    先頭に戻る

 

 
 
 ■2007年09月21日: "勉強離れ" について

 ベネッセの調査結果をただ紹介するだけで、ジャーナリストとして仕事をしたことになるのだろうか?
 新聞社ならば、関連する膨大な情報をもっているのだから、 "何故こうなってしまったのか?" について、試論でも良いから何か提示すべきであろう。


小学生から「負け組」 勉強の目的見えぬ子供たち

 「勉強が役に立つ」と考える東京の小学生の割合は、世界6都市の中で最低であることが、ベネッセコーポレーションが実施した学習調査でわかった。進学希望でも「四年制大学まで」が18%にとどまり、「中学まで」「高校まで」が合わせて21%と、6都市の中で最も“低学歴志向”が強い。学校外での勉強時間も3時間半以上が14%もいる一方で、「ほとんどしないー1時間半」も半数以上いるなど、二極化が浮き彫りになった。
 調査は東京、ソウル、北京、ヘルシンキ、ロンドン、ワシントンDCの6都市の学校に通う10歳と11歳の小学生を対象に、2006年6月ー07年1月にかけて実施した。回答者は5都市で約900人ー1300人、ヘルシンキのみ約500人で、計108校。男女比は半々。各都市の公的な教育機関などに依頼したほか、ホームページの学校情報などを参照して、地域の教育水準、学力レベルが偏らないように対象を抽出した。
 「金持ちになるために勉強が役立つ」と考えている子供の割合は、他の都市が6割を超えたのに対し、東京は43%。「一流の会社に入るために(役立つか)」など、経済的な豊かさや社会地位と関連づけた質問のほか、「尊敬される人になるために」「心にゆとりがある幸せな生活をするために」といった質問でも、最下位だった。
 調査を担当したベネッセ教育研究開発センターの木村治生・教育調査室長は「英米では、授業の中で、勉強の目的や、何に役立つかなどをしっかり説明している。中国や韓国では、勉強して良い大学にいけば、豊かな生活を送れるという意識が社会全体で強い。日本では、勉強の価値を下げるような言説があるのではないか」と推測する。
 北京と東京の子供が、学校外で平日に学習している時間(塾での時間も含む)を比べると、3時間半以上の長時間勉強する子供の割合はほぼ同じ14%。だが、北京は「2時間から3時間半」が計46%いるのに対し、東京は「ほとんどしないー1時間半」が合計で60%と、学習時間の面でくっきりと二極化している。木村室長は「東京は、学習時間に長短がある子供が混在しており、学校の授業で教えにくいのではないか」と格差の大きさを心配する。
 ヘルシンキ、ロンドン、ワシントンDCの子供たちの学習時間は「ほとんどしないー1時間」までで7割に上る。一方で、テレビを3時間半以上見ている子供が、ロンドン25%、ワシントンDC28%いる。東京も22%で3位。平均試聴時間でみると、東京が135分で6都市中、もっとも長い。
 一方、ソウルでは、週5日塾に行っている子が半数いる。木村室長によると、ソウルでは学校の校門前に塾が乱立しており、成績優秀者の写真を掲げたり、学校まで送迎バスが来たりするケースがあるという。
 木村室長は「欧米の小学生の学習時間は短いが、年齢が上がるにつれて長くなる。ソウルと北京は小学生からずっと長時間勉強している。東京は小中学生の方が高校生より勉強時間が長い」と説明した。高校生同士で比べると、東京の子供の学習時間の短さがさらに際立つかもしれない。
 大学院まで進学したいと答えたのは、北京市が最多で65%、ソウルの30%が続く。それに対して東京は14%。四年制大学への進学を希望する子も18%にとどまった。
 学校の成績を7段階に分けた場合、最上位の「1」をとりたいと思っている子の割合も、東京は低い。最多は北京市の86%で、東京は49%。6都市中5番目だった。最下位はヘルシンキの19%だが、がんばれば「1」をとれると思う子供の割合になると、ヘルシンキは一転して5割を超える。北京のトップ(76%)と東京の最下位(37%)は変わらず、小学生の段階で「負け組」意識を持つ児童が東京には多いといえる。【岡礼子】(毎日新聞)


戻る    先頭に戻る