教育について考える3

(Quora アーカイブ 2018/02〜/06)


 

2018年06月21日:国立大学教員の外国人、海外の超一流大学での研究に挑戦すべき?

2018年04月14日:なぜ大学生は大学にはいるとやる気を無くすのでしょうか?

2018年04月07日:図書館司書の資格は取得する価値がありますか?

2018年04月03日:論文で勉強などをされるとき皆さんはどうされていますか?

2018年03月22日:日本の英語教育、具体的に何が失敗だったと思いますか?

2018年03月19日:日本の教育は今後、どのように変えていくべきだと思いますか?

2018年03月14日:講義形式の授業の問題点は何? 今後どのように改善していく?

2018年03月05日:追試や補講などの救済措置を用意しなければいけないのは何故?

2018年02月28日:教室で一番良い席はどこだと思いますか?

  
*Quora という Q&A サイトに投稿した「回答」。一部修正してあります。


 
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■2018年06月21日:

Q:日本の大学で国費留学生として修士と博士を修了しその後学振研究員として2年間研究した後、5年前から地方の国立大学で教員(任期なし)として働いている外国人です。最近になり今の仕事を一度辞めて海外の超一流大学で数年間研究し日本へ戻りたいと思うようになりましたが、戻ってから今と同じ様な職を見つけられるか不安です。自分を更に成長させるため、今の仕事を辞めてでも挑戦すべきでしょうか?
 
 「自分をさらに成長させるため、海外の超一流大学で研究する」のは素晴らしいことだと思います。行く先(大学・研究室)が受け入れてくれるのであれば是非行かれることを勧めます。
 ただ、数年後に日本で大学教員として就職出来るかどうかは残念ですが明確ではありません。気付いていると思いますが、現在の日本政府は産業界の言いなりになっていて「企業で即戦力となるかどうか」に異常にこだわっています。そのため、大学等の高等教育についても人文系や基礎的な理工系の研究分野については非常に軽視していて、地方の国立大学をとりまく環境も厳しいものとなっています。また、私立大学は「少子化」の影響を強く受けていて、地方大学を中心に存立さえ危ぶまれる状況となっています。したがって、日本に帰国(再来日)した場合、あなたの専門・専攻・研究テーマによっては再就職が困難であることも充分考えられるのです。
 もう一つ、在日年数から考えて「永住資格」を持って居られるのではないかと思いますが、日本の永住資格は出国して一定期間再来日しないと消滅することにも注意してください。むしろ日本に「帰る」ことにはこだわらず、世界で活躍することを目指す方が良いのではないかとも考えます。
 いずれにしても、日本に留学してくれて、さらに教員として貢献して下さってきたことに心から感謝するとともに、研究者としての今後の人生が大きく開けて行くことを願って応援します。


 
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■2018年04月14日:

Q:大学生の自分が聞くのもおかしな話ですが、なぜ大学生は大学にはいるとやる気を無くすのでしょうか?
 
 今では、よほどの有名難関校でない限り、受験はそれほど深刻な経験ではないと思います。様々な推薦入試枠も多くなっているので。で、おおよそこんな(下記)ことではないかと・・・

1.回りと歩調を合わせて何となく(するりと)大学に進学してしまったが、考えてみたら特にやりたいことがある訳ではない。
2.大学受験、頑張って自分の学力で入れる一番良い大学・学部に受かったが、この専門に特別興味があったのではないことに気付いた。
3.もともとそんなに「やる気」がある方ではない。進学してしまったが、大学では誰も何も指示してくれないので、どうしたら良いかわからない。
4.高校時代と同じように頑張ってみようかと思ったが、選択科目ばかりで判りやすい競争もない、成績評価も良く判らない。

 一つ助言するとすれば、個人的に「教員と話をしなさい」ということ。高校までと違って、大学では教員が学生を追いかけて話しかけることはまずありません。話をしたければ学生から話しかけること、まともな教員なら必ずきちんと相手してくれるはずです。まともじゃない場合も・・時にはありますが、そしたら次の教員を探してトライです。何か面白いこと、やる気の出るきっかけが見つかるかも知れませんよ。


 
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■2018年04月07日:

Q:図書館司書の資格は取得する価値がありますか?資格を取得できる環境にはありますが、簡単に調べたところ、非常に狭き門である事が分かりました。一応とっておくべきか、使わない可能性もあるため他に勉強すべきこともあるから止めておくべきか悩んでいます。
 
 図書館司書の資格については、身も蓋もないことを言えば次のとおりです。

 慶応義塾大学や筑波大学のように、学部4年間を通して、さらには大学院まで専攻として「図書館情報学」を学んだ場合は、専門性が評価されるので、専門機関・専門職への就職が十分期待できるようです。しかし、教員養成系の大学や一般の大学の人文系学科の「ついでに取れる資格」のレベルでは、実際の教育内容が質・量ともに不十分で評価も低く、その「資格」があることによって大学新卒で「いわゆる図書館に司書として就職」できる可能性は極めて少ないです。
 ただし、一般企業や公務員に就職したのちに、組織内部での情報管理部門や情報サービス部門への配属を希望する場合には、一定の「専門技術」をもつと見てもらえる場合もありますので、まったく無用というわけではありません。その線で狙う場合は、司書課程とは別に自分でも情報管理やデータベースについて学習しておくことを勧めます。
 つまり、「就職に直結」する資格としての有効性には乏しいが、自分の「もう一つのスキル」として身に付けておくことは無駄ではない、と言えます。


 
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■2018年04月03日:

Q:論文で勉強などをされるとき皆さんはどうされていますか? Google Scholar(グーグル・スカラー)や CiNii 等で探せる事は知っているのですが、質のよい論文の探し方がわからないので何を検索していいかわかりません。
 
 すみませんが「論文で勉強・・」というのが良く解らないので、少しズレた回答になるかもしれません。

 まず、私自身の経験・流儀では「勉強」と「研究」や「調査」とでは行うべき内容や手順が異なります。私の場合、「勉強」とは基礎的な知識と方法を身に付けるプロセスと考えますので、読むべきものは「評価の定まったテキスト(教科書)」やその分野における古典的著作を中心とします。論文を読むとしても、同様に評価の定まった著名な論文ということになるので、教科書中で紹介されているか、あるいは編集されて教科書に収録されています。私の専門である地理学でも、日本語では少ないのですが英語の図書ではテーマごとに代表的な論文を収録したテキストが数多く出版されています。つまり「勉強」するのであれば、最近発表されたばかりで評価の定まらない(誤っているかも知れない)論文を "探して" 読むようなことはしません。
 自分でテーマを決めて「研究」されることを「勉強」と表現されたのであれば、話が違ってきますね。研究でも、初期段階では基礎的な情報の収集や分析手法の検討、先行研究のチェックといったことが必要となります。その場合は、当然自分が「取り組むテーマに近い内容を含む論文」を探すことになるので、「探し方がわからない」と言うことにはならないと思います。
 あるいは、「論文を読む」こと自体を一つの「勉強」と考えておられるのであれば、また少し違って来ます。ただ、その場合も「質の良い」論文とはイコール評価の定まった論文ということになり、上でも述べたようにいきなり検索で探すというのは勧められません。


 
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■2018年03月22日:

Q:日本の英語教育が失敗だとすると、具体的に何が失敗だったと思いますか?
 
 日本の学校現場における「英語の授業」には、多くの方が指摘しているとおり「受験の制約」「文法偏重」「教員自身の能力不足」といった問題がある、という点は同感です。
 ただし、私が知る英語圏出身者の多くが、 "普通の" 日本人の英語について「特有の訛り」「(頭の中で翻訳している)レスポンスの遅さ」「時折発する(日本語の構文を直訳した)意味不明文」を指摘する一方で、それらの欠点はあるものの、「ゆっくり話せば結構理解してくれる」「概して文法的にきちんとした品の良い英語を話す」という評価もしてくれます。つまり、「失敗」「成功」と簡単に決めつけることはできないと思います。
 むしろ問題は、「英語で作業や議論をする場」において、日本人が存在感を発揮できないケースが少なくないことで、それは「英語能力」の問題と言うよりももっと根本的な「言語コミュニケーション能力」の問題と考えられます。そもそも、自分の意思や疑問、主張などを論理的に明快に説明する、相手の話の "節目" を的確に捉えて反論するといったことが、(日本語でさえ)まともにできない人が少なくないことは、「国会」中継やいわゆる「討論番組」を見ていれば明白ではありませんか。このような、本来の「言語コミュニケーション」の訓練が、日本の学校教育では決定的に不足しています。その "欠陥" を放置したまま「英会話」を "訓練" しても、結局無意味な社交辞令と雑談しかできない、ということになりかねません。「国語教育」にも大きな問題があるのではないかと思います。


 
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■2018年03月19日:

Q:日本の教育は今後、どのように変わっていくと思いますか?あるいは、変えていくべきだと思いますか?
 
 小学校〜高等学校の段階における「公教育」に絞って考えます。大学以上の高等教育については、事情が全く異なるのでここでは触れません。
 日本では、約150年前に近代的な教育制度が整備されたのですが、それは「統一近代国家」を確立するための政策の一環でもありました。そのため、教育の内容・方法については「国定教科書」を始めとする国家権力による厳しい統制による「全国一律」が重視されました。その結果、共通語(国語)の急速な普及とともに「読み・書き・計算」という基礎能力において全国的に一定の水準に到達という大きな成果はありましたが、20世紀に入ると自国中心的な選民思想や国家主義的な思想を植え付ける場ともなって行きました。第二次大戦後、日本は民主国家として再出発した筈でしたが、米国主導で導入された教育委員会制度が講和条約発効直後から有名無実化されるなど、近代民主国家としては異例に中央集権的な教育制度が残ったまま今に至っています。
 「今後の変化」ですが、現在の政治体制が続く限り、残念ながら教育の中央集権性はさらに高まり、視野の狭い自国中心的な教育、世界の認識に逆行する歴史修正主義的な教育がさらに強化されるでしょう。英語能力やIT技術をいかに身に付けても、歪んだ世界観をもっていたり、人権意識に欠けた人間が「世界で活躍」するのは難しく、またそのような意欲や夢も減退して行くと思います。さらに、同じアジアの近隣諸国と健全なパートナーシップを築くことも困難になって、絶望的な孤立に陥る危険さえあると思います。
「変えていくべき」方向。
 英語教育、IT技術教育の推進は当然必要です。ただし、英語教育の場合「アメリカ市民もどき」になるためではなく、日本人として世界で活動するための「ことば」の習得であることを徹底し、対等で開かれた異文化理解、多様性理解の教育と併せて行うことが必要です。IT技術教育でも、第一に重要なのは批判的視点を含むリテラシー教育であり、企業の「社員教育」まがいの "訓練" になってしまうことは絶対に避けるべきです。「高度な技能」は、クラブ活動や高等教育の段階で習得すれば良いのです。
 最も重要なのは、これまでの日本の教育に決定的に欠けていた、自分で考え、自分で論理を鍛え、正しく言語化する能力の育成でしょう。さらには、これまで徹底的に潰され・排除されてきた「権力を疑うこと、個人の人権の重さを考えること、言論・表現の自由の大切さ」など、民主社会の健全な担い手となるための教育の強化も必須と思います。


 
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■2018年03月14日:

Q:現在行われている講義形式の授業の問題点は何ですか?今後どのように改善していく必要があると思いますか?
 
 日本の大学の場合として、
 問題点は、
1.学生数に対する教員数や教室数の不足を、大人数の講義という形でごまかしている大学が多い。
2.優れた講義は極く一部に過ぎず、個別の講義に対する評価・淘汰が充分行われていない。
3.講義には一定の専門技術が必要だが、教員に対する教育・訓練が全くなされていない。
4.上記1〜3の結果、学生も教員も「講義」を軽視する空気が強い。
 今後、改善していくべきことは、
1.特別に優れた講義・教員の場合を除いて、学生数を例えば30人以下に制限する。
2.つまり、自由な質問、討論を伴う講義でなくてはならない。
3.可能であれば、教員を研究中心、講義中心のように専門区分する。
4.その場合、研究能力と講義能力は等しく評価し、採用・昇格等に反映する。
といったことでしょう。
 また、カリキュラム全体の中での講義型式の授業の比率は一定以下に抑え、ゼミナール、ワークショップなどの型式の授業を増やすことも重要です。ただ、更なる教員数の増加が必要になりますが。
 IT技術・機材の導入や、ネット講義、ビデオ講義などを挙げる回答もありそうですが、それらは「必要に応じて使う」道具に過ぎません。基本は「その講義で学生に "何を伝えるか" 」「如何に伝えるか」であり、教員がそこに充分な能力をもち、全力を投じるかどうかの問題だと思います。


 
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■2018年03月05日:

Q:教師が定期試験で結果を出せなかった生徒に、追試や補講などの救済措置を用意しなければいけないのは何故ですか?
 
 大学では、本人の欠席や勉強不足で「結果を出せなかった」者のために、救済措置を行うことはありません。よって「しなければいけない」ことなどありません。
 まともな大学であれば、「追試(受けなかった試験を後日受ける)」を認めるのは一定の条件に合致する場合だけで、本人の自己都合やミスよる「試験欠席」を救済することはありません。認めるのは、交通機関の事故などで試験時間に遅れた場合(証明が必要)、親族の不幸や本人の病気による試験の欠席(同)、就職試験の面接等と重なった場合(同)などに限られます。
 試験点数が不足した(落第点の)学生に再度試験を受けさせるのは、「追試」ではなく「再試」です。これはもっと例外的で、例えば卒業年度の学生で、1〜2科目の点数のために卒業できなくなる、あるいは同様に特定の資格がとれなくなる、といった場合に限られます。卒業年度生であっても、落とした科目が多ければ救済はせず留年させます。一般に大学は「学年進級制」ではなく、履修科目は卒業までに合格(単位取得)すれば良く、卒業年度生でなければ「再度履修すれば良い」からです。
 極めて例外的なケースとして、(以前ニュースにもなりましたが)決まった学年で全員が履修する必修科目で、過半数の学生が落第点となった場合というのがあります。これは明らかに「教員(の授業内容または試験問題)が悪いため」と考えられるので、大学の責任として必要な補講や再試験を行います。
 「補講」というのは、通常、教員や大学の都合、災害や事故などで、授業を決められた回数実施できなかった場合に、不足分を補うために後日追加して行う授業のことです。欠席した学生のために行うことなど、(よほど特別な場合を除いて)ありません。上記と同様「再度履修」すれば良いからです。「特別な場合」というのは、学生の欠席の原因が大学側に責任のあるケース、あるいは上記の例と同様に卒業年度生で1科目だけ出席回数が不足といったケースで、大学として救済すべきと判断した場合などです。


 
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■2018年02月28日:

Q:教室で一番良い席はどこだと思いますか?
 
 大学で教えていたときに「着席位置と成績」の相関を調べたことがあります。複数の大学で何度か調査した結果、およそ次のような結論を得ています。
 大学では通常座席が指定されることはありませんが、使用教室の大きさが適切であれば、開始後3〜4週間程度で各人の座る位置が自然に固まります。各机に記されている「机番号」を出席カードに記入させることで調査しました。
 以下は40人〜80人程度の講義型式の授業の場合です。
 着席位置を「前・中・後」と3分して、そこに座る学生達の成績の分布を見ました。
 それぞれのグループから、少数の飛び抜けた好成績者と極端な成績不振者を除き、残りの学生の平均値をとると、成績は明確に「前方組>中央組>後方組」となりました。
 各グループ内での分布でも、「前方組」では多数の好成績者+少数の成績不振者、「後方組」では逆に多数の成績不振者+少数の好成績者という予想通りの結果となりましたが、「中央組」では好成績者から成績不振者まで比較的バラつきがみられました。
 教員の側から気になったのは、前方に着席していながら成績不振、後方にいるのに好成績、という全体の傾向に "反する" 学生の存在です。それとなく話を聞いて見ると、「後方・好成績」の学生の殆どは、要するに「後ろに座るのが好き」ということでしたが、「前方・成績不振」の学生は様々でした。印象に残っているのは、自分の基礎学力が低いことを自覚していて努力の一環として前に座るようにしている、と話した学生が居て、2年後の別の授業で再会した時には見事に成績上位者になっていたことです。
 結論は、
1.学力に自信があり、勉強する意欲もしっかりある学生は、(どこでも)自分が快適と思う席に座れば良い。
2.自信も意欲も特に強い方ではなく受け身で授業に出るという学生は、前方に座る方が良い。
ということです。


 
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