日本の政治を考える (blog アーカイブ 2008〜)


 

2015年09月17日:日本の国会の異常性

2015年09月17日:「落選運動」について

2015年07月19日:安倍政権について

2009年04月10日:千葉県知事選における森田健作氏の勝利

2008年06月18日: "イラン救出" について

2008年06月10日:秋葉原通り魔便乗発言

2008年02月23日:クラスター爆弾と日本政府


 
戻る

 

 
 

■2015年09月17日:日本の国会の異常性

 日本も、議会制デモクラシーを国の基本とする「先進自由主義国」の一つ、であるはずである。
 しかしながら、この国の国会における「議論」や「採決」は、他の国々におけるものと明らかに異なる点がある。

 このブログで既に何度も言及してきたが、それは、政府・与党から提出される法案について、与党の議員からは批判的意見、修正意見が一切出ないこと。一部の少数野党(の議員)を除いて、法案への賛否が常に与野党の議席数(出席者数)と一致すること、である。
 多党連立内閣の国は当然として、米国、英国の議会の場合でも、多くの法案について与党議員の一部は反対、野党議員の一部は賛成、というケースは少なくなく、政府提案が大幅に修正されることも珍しくない。

 これは、議会制デモクラシーのもとでの「議員」というのは、選挙民による付託と政治家としての信念のみに依拠する存在であって、それ以外のなにものにも左右されてはならない、ということが当然の前提として共有されているからである。

 先の記事でも書いたが、今回の安保法制について、自身を選んだ有権者の過半が採決に反対している与党議員は決して少なくないはずである。彼ら全員が、各人の「確固たる政治信条」に基づいて(次の落選も覚悟で)法案を採決すべきと言うのなら、それはそれで結構である。
 しかしながら、「党で決めたから、党首の意向だから・・」ということであれば、それは有権者への裏切りであり、言わば「親分」に従うヤクザと同じ論理に過ぎない。

 常に、議席数と同じ投票結果にしかならないのであれば、国会の議論・採決など無意味であり、選挙終了とともに開始される「多数党独裁(51対49でも)」制度に過ぎないのである。
 国民の意識や議員の資質が大きく変わる、などということが期待できないのであれば、自民党長老議員の一部の人たちが主張するように、「中選挙区制」による多数政党制の復活しか途は無いのかもしれない。


 
戻る    一覧に戻る

 

 
 

■2015年09月17日:「落選運動」について

 安保法案の採決に反対している「SEALDs(シールズ)」を中心に、法案に賛成する議員を次の選挙で「落選」させよう、という呼びかけが出てきた。

     安保法案:合言葉は「賛成議員を落選させよう」
      毎日新聞 2015年09月17日 11時01分(最終更新 09月17日 13時50分)


 これは言わば「当たり前」の訴えなのだが、メディアでは "ユニークな運動" 扱いされている点に強い違和感を覚える。
 各種の世論調査では、およそ80%の有権者が「今は採決すべきでない」としている。現在でも、与党の政党支持率は40%程度と見られるので、少なく見積もっても、与党支持者でも半数が採決に反対していることになる。 この種の問題については、世論にかなりの地域差が有ることを考えると、自分を国会に送った有権者の過半が反対していることに「賛成」しようとしている議員も少なくない、ということになる。選挙民の意志に反した行動をとる代議士を、次の選挙で落選させるのは当然である。
 むしろ問題なのは、政権・政策への批判や不満が、これまで "選挙と全く結びつけられずに" 語られてきたことの方である。
 例えば、テレビによる街頭でのインタビューで、「反対です・・・」と語る "市民" に、「では、前回の選挙でどの政党(の候補)に投票しましたか?」と何故訊かないのだろう。
 仮に「選挙に行かなかった」という答えなら、「では、今の事態をどう考えるのか。次の選挙ではどうするのか。」と(有権者としての責任を)問うべきであろう。
 「与党(候補)に投票した」という答えなら、自身の意思に反する政策を強引に進めていることについての「見解」と、次の選挙への考えを訊くべきであろう。
 現在の事態を招いたのは、政治家の資質もさることながら、「主権者」たる自覚を持たずに選挙を蔑ろにし、責任を放棄してきた我々自身とも言えるのである。


 
戻る    一覧に戻る

 

 
 

■2015年07月19日:安倍政権について

 断っておくが、私は特に「反自民」ではない。
 政権党が一定の周期で交代する「二大政党制」が理想と考えているが、今の日本で現実的に政権を担い、国政を混乱なく運営できる政党は自民党しかない、と考えている。

 しかしながら、現在「政府中枢」にいる何人かの政治家の異様なほどの独裁志向、傲慢な態度によって、「安倍政権」には100%反対である。
 これまでにも書いてきたが、議会制デモクラシーの下では「総理大臣」は政府という行政組織の代表者に過ぎず、断じて国民の "指導者" などではない。国民の意見と国会の議論を "丁寧に聞いて、正しく理解して" 政策を遂行する責任者なのであり、逆に自分の意見を「国民の皆様に "丁寧に説明してご理解いただく" 」などとは勘違いも甚だしい。
 また、国家の意思決定の最高責任者は「国民」とそれを代表・代理する「国会」であって総理大臣個人ではない。「 "私" の責任で全て進める」というのなら、それは独裁国家に他ならない。

 二大政党による政権交代がほとんど実現しなかったにもかかわらず、この国で国家権力が暴走しなかったのは、自民党という政党がもつ独特の「党内多様性」によるものであった。
 ところが、小泉 "郵政" 選挙後その党内多様性・党内デモクラシーは一挙に失われ、小選挙区制によって党内のタテ社会化がさらに進行したとされる。その挙句に誕生したのが「第二次安倍内閣」である。
 現在「安保法制」に議論が集中しているが、この内閣が本当に危険なのは「思想・信条の自由」「言論・表現の自由」に対するあからさまな否定、教育を「人材製造」としか見ない露骨な干渉、といったこと全体を含む「戦後民主主義」の全否定であり、その思想に基づく憲法=国家体制の改変の主張だと考える。

 このまま「アベ政治」が続けば、行き着く先は国内的には "北朝鮮並み" の独裁体制であり、国際的には絶望的な "孤立" しかないと思う。
 それを止めることができるのは、短期的には自民党内の "対抗勢力" だけである。そして彼らに奮起してもらうためには、「このまま行けば来年の参院選挙で自民党は惨敗する」という "空気" をわれわれ自身が作り出すことであろう。
 長期的には、「野党の再編と成長」を期待することになるが、こちらについては残念ながら全く見通しがたたないのが現実である。


 
戻る    一覧に戻る

 

 
 

■2009年04月10日:千葉県知事選における森田健作氏の勝利

 少し古い話だが、森田健作氏が千葉県知事に当選したことに関連して、「小沢一郎ー西松建設」問題の影響が民主党が推す候補の得票を減らし、結果的に森田氏の当選につながった、というような主旨の発言や報道を見た。
 馬鹿げた話である。それに、千葉県民や森田氏に対して失礼千万でもある。
 あの選挙は、単純明快に森田氏が勝ち、民主党が推した吉田候補が敗れた、すなわち千葉県民が森田氏を選んだというだけのことである。
 民主党代表にして最も古い自民党的体質をもつ政治家を巡って起きたスキャンダルは、この選挙に影響を及ぼしてなどいない。
 では、なぜ吉田候補は支持を得られなかったのか。候補乱立、出遅れなどもあったであろうが、最大の問題は両者の政策の根本的な違いにあったと考える。
 吉田候補の唯一最大の主張は「企業経営的センスの県政への導入」であった。
 しかし、今全国を覆っているのは小泉改革という "何でも民営化" 、 "弱肉強食的市場原理主義" がもたらした荒廃と格差である。
 同じ時期に、千葉県の伝統ある主要都市の一つの銚子市では、「財政改革」のために市立病院を閉鎖しようとした市長に対して、市民の健康と福祉を守れとしてリコール運動が起きていた。
 国民は、財政健全化というスローガンのもとで "最も弱い人々" に何が起きたのか、そこで企業がどのように行動したのかを知ってしまったのである。
 官僚や "企業人" にはもう期待できない、期待したくないと思った千葉県民が、普通の市民の感覚に近い (言わば素人っぽい) 森田氏の主張を受け入れ、期待したいと考えた結果と見るべきであろう。


 
戻る    一覧に戻る

 


 
 

■2008年06月18日: "イラン救出" について

 予想通りの "声" が出てきたものだ。
 6月17日夜の Yahoo トップニュースに下記のような見出しが出た。
  <イラン救出 自己負担にとの声>
 この見出しの記事は、18日になると何故か "昨日の話題" の "海外ニュース" にアーカイブされるという奇妙なことになっているが、下記のようなものである。

救出費用は自己負担に=イランの邦人解放で−笹川氏

 笹川堯衆院議院運営委員長は17日午前の自民党役員連絡会で、イランで誘拐された日本人大学生が8カ月ぶりに解放された事件に関し「外務副大臣がスタッフを連れて、3度イランに行っている。これはみんな国民の税金(で負担している)」と指摘した。その上で「政府が渡航の自粛を要請しているところに行った人については、今後、外務省で厳しく徹底する必要があるのではないか」と述べ、救出に要した費用は本人の負担とすべきだとの考えを示した。
6月17日13時0分配信 時事通信

 このニュースには注目すべき点が2つある。
 第一は、何でも "アメリカと同じ" が大好きな保守系の政治家の一人であるのに、 "コクサイ社会 (つまりアメリカのこと) では・・・" と言ういつものセリフが無いことである。
 また第二は、さほど大きな、全国民的に関心の集まっているような事件でもないのに、なぜわざわざこのような発言をしたか、である。
 第一はきわめて簡単なことで、アメリカ政府は絶対にこのような考え方はしないから。
 アメリカだけでなく民主国家と呼ばれる国であれば、例えどのような理由・経緯であれ "誘拐された自国民の保護" に全力を尽くすのは当然であり、費用を負担させるなどという馬鹿げた意見などあり得ない。仮に、自国の法令に違反した行為があれば (後で) 容赦なく処罰はするが、国家としての義務である "救出" とは別の問題である。
 大変興味深いのは第二の点である。
 総選挙が時間の問題となっている現在、ベテラン政治家たちの発言はほぼ全てが "選挙" を意識したものとなっていることは明らかで、笹川代議士のこの発言も、一定の割合の国民が賛同する=支持を集めることを見越してのものと思われるからである。


 
戻る    一覧に戻る

 

 
 

■2008年06月10日:秋葉原通り魔便乗発言

 大きな事件があった際の "大臣コメント" というのは、官僚の作文を元にしゃべるだけ、というのが一般的。
 だから、防衛相、国家公安委員長など実際に事件に対峙する官庁の大臣の発言は慎重・現実的になる一方で、総務省(旧自治省・郵政省、もっと昔は内務省!)や文部科学省などの大臣の発言は騒ぎに "便乗" して "かねてから狙っていた規制や調査" などを持ち出すものとなる。

秋葉原通り魔:有害情報規制に努力 増田総務相

 東京・秋葉原の通り魔事件で、加藤容疑者が事件までの経緯を携帯電話サイトの掲示板に書き込んでいたことが、10日午前の閣議後の閣僚懇談会で取り上げられた。
 石破茂防衛相が「『これから人を殺します』と犯行予告が出ている。技術的に察知してアクションが取れないのか」と指摘したのに対し、増田寛也総務相がネット上の有害情報の規制策について「努力してみる」と応じた。また、泉信也国家公安委員長は「できる限り情報を入手できるように、警察庁が9日付でインターネット接続業者に通達した」と説明した。また、泉氏は、殺傷力の高いダガーナイフの規制について閣議後会見で「一般に使う家庭の主婦が持っている包丁もあるので、慎重に考えなければならない」と述べた。
 渡海紀三朗文部科学相は閣議後会見で「今の子どもはキレるといわれるが、脳科学で解明したい」と述べた。近く発足させる発達と徳育に関する調査研究会で、脳科学者や発達心理学者を集め、幼児期の脳の働きと行動について解明に乗り出す。
毎日新聞 2008年6月10日 13時29分


 
戻る    一覧に戻る

 

 
 

■2008年02月23日:クラスター爆弾と日本政府

 代表的な無差別殺戮兵器の一つである「クラスター爆弾」の禁止条約について、日本政府は禁止条約そのものに "反対" を表明している。
 例に拠って「実効性がない」などと国際的にはまったく通用しない理由を挙げている。
 この種の議題は常に「国家としての基本的な思想・姿勢」を表明するものであり、「他の国が賛成しそうにないから」反対だ、などというのは、「思想も理想も無く、ただパワーバランス」だけしか見てない国、ということを政府自らが宣伝しているようなもので、まさに国辱ものである。
 条約に反対する他の国々は「武器として必要だ(使いたい)」と主張しているのだから、賛否はともかく主張は明快である。
 しかし、この典型的な "攻撃用兵器" を、「自衛のための限られた戦力しか保有しない」筈の自衛隊が "専守防衛のために必要だ" と主張するのはいかにも異様であることから、この訳の判らない理由になるのだろう。
 もちろん、駐日アメリカ軍による "持ち込み" への配慮、生産・輸出企業への配慮を最大限行なった結果であることは言うまでもないだろう。
 何よりもやりきれないのは、この件に関するメディアの関心の低さである。
 自分たちを(一応)代表する政府が、世界に向かってクラスター爆弾の「禁止」に反対しているということは、すなわち、日本国民がこのような兵器の保有・使用を望んでいると主張していることになるのである。これは、国民に知らせるべき重大事項ではないのだろうか。

クラスター爆弾、禁止合意持ち越し 国際会議が閉幕
 多数の子爆弾が不発弾として残り、民間人に被害を与えるクラスター(集束)爆弾の禁止条約締結を今年末までに目指す「オスロ・プロセス」の国際会議が22日までニュージーランドのウェリントンで開かれ、今年中の条約締結などを掲げる宣言を採択し、閉幕した。全面禁止を訴えるノルウェーなどと、部分禁止を求める西欧主要国や日本などとの対立は解けず、条約案の最終合意を目指す5月のダブリンでの会合に持ち越された。
 会議筋によると、英国やドイツ、フランスなどは目標を識別して破壊する最新型のクラスター爆弾などについて禁止対象から外すよう求め、宣言への署名の保留も示唆した。日本も「実効性を担保するために主要な生産・保有国が参加できる枠組みとすべきだ」と部分禁止を主張した。
 議長のゴフ・ニュージーランド国防相は、今回の宣言への署名が次回以降の会合の参加要件になるとしたため、宣言は部分禁止を主張する国々の意見も別途付記する両論併記の形となり、西欧主要国と日本も最終的に宣言に署名した。
  ーー以下略ーー
(Asahi.com 2008年02月22日22時02分)

「地雷廃絶日本キャンペーン (JCBL) 」によれば、
  ーー前略ーー
 クラスター爆弾は、現在73ヵ国が保有し、そのうち35ヵ国で210種類を製造しています。日本も国内の3社が生産をしているクラスター爆弾製造国であり、4種類のクラスター爆弾を貯蔵している保有国です。少なくとも12ヵ国が輸出し、58ヵ国が輸入したと言われています。米国、ロシア、英国、ドイツ、イスラエルが「輸出大国」です。今までに世界中で約3億6千万個の子爆弾が使用され、不発弾3千万個が23ヵ国に残っていると言われています。世界中の武器庫に保管されているクラスター爆弾の子爆弾は40億個に上ると推定されています。
  ーー後略ーー

詳しい情報は下記サイト。
地雷廃絶日本キャンペーン

その後、政権交代にともなって日本政府は態度を変えた。福田内閣のもと2008年5月28日のダブリンでの国際会議では一部を除いて禁止するとの条約案に同意、麻生内閣になった後の2008年11月28日の安全保障会議で自衛隊が保有するすべてのクラスター弾の廃棄を決定、12月3日にオスロで開催された禁止条約署名式には中曽根弘文外相が出席して署名した。(2008年12月10日追記)


 
戻る    一覧に戻る