大学と社会を考える1

(Quora アーカイブ 2018/02〜/06)


 

2018年06月25日:理系出身者は文系出身者に対して優越感を持っていますか?

2018年06月19日:なぜ経団連は国立大学を減らしたいのですか?

2018年04月12日:今、学校や大学が直面している問題は何ですか?

2018年03月23日:純粋な経済的貧困で、十分な教育を受けられないことはある?

2018年03月20日:大学の格差や序列はどのようにして生まれたのでしょう?

2018年03月15日:大学の国際・外語系学部はなぜ女性が多数?

2018年03月01日:オンライン講座は、大学にとって脅威となり得ますか?

2018年02月24日:学歴偏重の社会というのは次第になくなってきている?

  
*Quora という Q&A サイトに投稿した「回答」。一部修正してあります。


 
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■2018年06月25日:

Q:私は文系出身として劣等感がありますが、はっきり言って、理系出身の人は文系出身の人に対して優越感を持っていますか?もしこれが正しければ、その優越感はどこからくるのでしょうか?生涯賃金の違いでしょうか?
 
 ここで「きれいごと」や「建前論」など書くつもりはありません。現在の日本社会に、根拠も無く「理系(出身者)を優等視する」「文系出身者を劣等視する」空気というか偏見が存在していることは事実だからです。日常会話でも、「XXさんの息子さん、OO大の理学部(に合格)ですってーーーまあ、優秀なんですねェ」「あの人、大学は理工学部なんだってーーーへえ、アタマ良いんだ」などというやりとりも珍しくないのです。
 そもそも、日本社会で「理系・文系」の話が始まるのは、早くは中学3年からですが中心は高校時代です。つまり、大学受験に備えて2年次・3年次にコース分けする学校が多く、そこで「国公立大受験と私立大受験」という軸と交差する形で「理系か文系か」という選択に迫られるのです。本当に残念で悲しいのは、そこでの判断基準が(生徒自身の判断も含めて)単なる「数学の成績」であることが多いことです。本人の本当の適性や潜在能力の全てを、高校の数学の試験点数だけで決めるなどということがいかに馬鹿げているか、考えるまでもないのですが。でも結局、この「数学の成績」が「頭の良さ」にすり替えられ、根拠の無い優越感と劣等感に転化して行くようなのです。
 ただ、こうして形成される優越視・優越感と劣等視・劣等感の存在は、今の日本社会にとって最悪の「病気」の一つと言っても過言ではないと考えます。例えば、(Quora への質問にも見られましたが)「理系の学生や出身者は、文系の学問など簡単にマスターできるが逆は無理」とか、人文社会系、特に「人文系の学問など単なる雑学」といった発言が平気でまかり通る「反知性主義」に汚染された社会になっています。かつてオウム真理教事件が起きたときも、犯人グループに有名大学の理工系出身者が多かったことについてメディアは「優秀なエリートが何故?」という実に馬鹿げた記事を書きました。そうではなく、彼等が高学歴の割にあまりにも人文・社会的教養が欠落した "理工バカ" だった故に、麻原彰晃に簡単に洗脳されただけのことなのに、記者はそんな簡単なことも認識できなかったのです。
 最後に、例えば MIT (日本では何故かマサチューセッツ "工科" 大学と呼ぶ)は経済学や社会学を主専攻としている学生・院生の比率もかなり高いのですが、彼等(彼女ら)が数学や物理学あるいは分子生物学などを主専攻とする人々に対して劣等感をもっていると思いますか?
 あなたは、自分が「文系出身として劣等感をもつ」ことについて、何か具体的な根拠を示すことができますか? できないから、生涯賃金などと荒唐無稽なことを考えるのではありませんか? 自分が学んできた(学んでいる)専門分野に誇りをもって、自分自身を磨き上げて、そして “闘って” ください。


 
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■2018年06月19日:

Q:なぜ経団連は国立大学を減らしたいのですか?
 
 決して日本の経営者の全てでは無いのですが、現在の経団連の中には「社員」に対して「体力、単なる技術・技能、そして絶対服従の忠誠心」だけを期待し、独創性や批判精神、広い視野や教養などは余計なものと考える人々が居て、しかも力を持っているのです。
 その考えに従えば、そもそも「大学」など無用で、工業高校・商業高校や専門学校だけで良いということになります。皮肉なことに、私立大学は「独立企業」なので簡単に潰すことができないのに対して、国立大学は「政府の方針」で潰すことができる、ということで政府に働きかけているのです。
 また、現在の政権幹部の中にも、反知性主義者やメディアや大学が政府を批判する(逆らう!)ことに異常に反発する人物が居て、やはり国立大学を敵視し、彼等の価値観からすれば「役に立たない癖に批判ばかりする」人文系を減らしたいと考えているようです。
 そんなことしていたらさらに人材不足になるのでは、と思うところですが、日本政府は既にその要求に従って専門学校を見かけ上大学と同格にする「専門職大学」という新しい教育機関を認め、2019年春にはいくつかの学校が開校します。つまり、国全体としての学術研究のレベル(評価)が急激に転落していることなど、彼等は何とも思ってないのです。
 この一部の経営者や政権幹部の頭にあるのは、戦前と同様の「研究者や官僚は少数の帝国大学だけで育成、それ以外は全て専門学校」という教育制度のようなのです。


 
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■2018年04月12日:

Q:今、学校や大学が直面している問題は何ですか?
 
 今、(日本の)学校や大学が直面している問題は、大きく次の2つと考えます。
 第一は、少子化による入学者数の減少です。公立の小中学校の場合、地方では廃校の連続で遠距離通学児童や複式学級の増加による教育の困難が生じています。また、私立が多い大学では、地方の小規模大学を中心に学生数の減少による経営困難校が多発、既に廃校に追い込まれる例も出ています。
 第二は、国際比較でも明らかな「教育に対する公的支出の少なさとさらなる圧縮」です。一方で経済の低迷、所得格差の拡大による保護者の困窮もあるため、授業料を上げることも難しく、また現行の税制では民間からの寄付金や奨学金の増加も見込めないため、それが高校以下では教員の過剰労働に、大学では中途退学者の増加や研究費の減少による研究水準の低下に繋がっています。


 
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■2018年03月23日:

Q:今の日本で、家族の無理解や本人の意識の問題ではなく、純粋な経済的貧困のせいで十分な教育を受けられないということはあるのですか?
 
 「ほとんど無い」とか「少ないだろう」という回答を、 "露骨に期待している" ように見える質問です。
 そもそも「一つの財布」で生活している家族の "理解" とか、そこで生きながら自分の将来を考えなければならない本人の "意識" から切り離した "純粋な経済的貧困" とは、いったい何を言いたいのですか。私には、「若者の貧困」に関するネットデマや「弱者叩き」の風潮に流された質問にしか見えません。
 大学教員時代、意欲も能力もありながら経済的困難のために退学して行く学生を、毎年のように見てきました。「貧困」は本人の学費や生活費だけの問題ではありません。病気や老齢の家族の介護、家で唯一の労働力として生計を担うなど、貧困から学業の断念に追い込まれる経緯は多様なのです。


 
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■2018年03月20日:

Q:大学の格差はどのようにして生まれたのでしょう?いろいろ調べてみたのですがよくわかりません。歴史の長さとかで比較すれば創立年では早慶よりも駒沢とか立正といったところの方が古いようですし、どのようにして現在の序列のようなものが形成されたのか非常に興味があります。
 
 国立大学と私立大学では大きく異なります。
 国立大学の場合、ある意味「制度的に格差が生まれてきた」のです。
 現在、国立大学となっている中で、戦前から存在した学校は創設当時は「帝国大学、高等商業、高等工業、高等師範、師範学校、農学校、(旧制)高等学校」などであり、創設当初の「格」で言えば帝国大学のみが「大学」だったのです。現在でも、北大・東北大・東京大・名古屋大・京都大・大阪大・九州大の7校が何かと特別に扱われるのは、これらが旧帝国大学だからです。(今は変わりましたが)過去長いこと、教授の定年が東大で最も早く(若く)、次いで京都大、東北大・・となっていたことで、つまり順次地方大学に「天下れる」ように定められていたくらいなのです。
 有名私立大学の場合、端的に言って「出身者に政財界の有力者が多いかどうか」が大きく影響しているようです。また、大学院をもたない多くの私立大学では「教員を外から招く」ため、全国の大学に多くの教員を送り込んでいる大学が優位に立つ、ということもあります。これらの「人材輩出力」で早稲田・慶應の二つの大学が抜きんでていたということで、その結果、官僚以外でエリートを目指すためにはこの2大学へ、となって全国から秀才が集まり、さらに教育・研究のレベルも上がり、という循環が続いて確固たる地位を築いた、ということです。
 以上のトップクラスの大学以外では、結局「就職の有利さ」「漠然とした人気」などで志願者が増えると競争が激化して入試の難易度(偏差値)が上がって学生の平均学力も向上。企業からの評価が高くなってさらに人気上昇、という循環があり、それを入試メディアや予備校が詳しく伝えることで普及・固定化する、ということの繰り返しで「序列」が形成されてきたのです。この部分については、他の方も挙げている「市場原理」そのもので、キャンパスの美しさやタレント教授の存在、さらには特定の運動部の活躍などで「序列を上げた」例さえ実在します。
 駒沢・立正、さらには現存する日本で最古の大学である高野山大学などの仏教系大学の歴史が古いのは、ヨーロッパにおける神学大学と同じです。これらの大学は元々僧侶を養成する学校で、一般の私立大学と同じになったのは戦後からです。


 
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■2018年03月15日:

Q:大学の国際・外語系学部はどこも女性が多数ですが、なぜ日本では女性の方が海外や語学に興味を持つことが多いのですか?
 
 ここでは、「女性が多く進学する」裏側の「男性があまり進学しない」背景について先に述べます。
 日本では、高校を卒業予定または卒業したばかりの人々が大学入学者の大部分を占めています。そのため、彼等は大学での専攻を選ぶに当って、大学卒業後の就職における「優位性」を相当に重視する傾向があります。そこで、「人文・社会系分野」の中でも、企業への就職に有利な分野という選択が行われることとなり、特に男子の場合「法学部」「経済学部」「経営学部」といった分野に集中するのです。
 実は企業側にも、それらの分野(の卒業生)が能力的に好ましいと考える側面と、高度経済成長期から潜在的に続く「文学部・人文学部(の卒業生)」に対する不信感・嫌悪感という側面の両方があります。国際と冠した「社会科学系の学部」も一部にはありますが、国際・外語系学部の殆どはもともと文学部・教養学部に近似した学部です。また、日本企業の職場におけるジェンダーギャップも影響して、「外国語能力」は女性にとっては有力な「能力資産」になりますが、男性にとってはそうでもない、という現実があります。
 つまり、明確な夢や学問的興味で(進学先を)選択する一部の高校生を除くと、国際・外語系学部は、女子にとっては「一般的な選択」であるのに対して、男子にとっては「少し特殊な選択」になるということが、結果的に女性が多数となっている理由です。


 
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■2018年03月01日:

Q:オンライン講座は、大学にとって脅威となり得ますか?
 
 「大学」は単なる施設や建物ではありません。教員・研究者・学生・技術職員・事務職員が集まって、組織的に研究・教育を "創造" し、その活動を長期にわたって継続している有機体なのです。
 「オンライン講座」とは、教育的情報伝達の一つのシステム、手段に過ぎません。それがとても有効なものであれば、大学でも積極的に利用するでしょう。逆に、大学のような「教育・研究を創造する組織」を基盤とせずに、有効な活動ができるオンライン講座というのは想像することが困難です。
 よって、今後「オンライン型の教育サービス、研究活動に重点を置く大学」が創設され、増加する可能性はありますが、「オンライン講座が、大学にとって脅威となる」ということはありません。


 
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■2018年02月24日:

Q:学歴偏重の社会というのは、次第になくなってきていると思いますか?
 
 より長い期間、多くのことを学び、研究し、鍛えた、ということには、言うまでもなく一定の価値があり、評価されて当然です。
 ところが、日本では学歴を評価すること自体を(理由はわかりませんが)良くないことと決めつける奇妙な風潮があるように思います。「学歴」の後ろに、常套句のように「偏重」が付いてくることが、それを示していると思います。
 社会に出たばかりの若者が、最終学歴の種類・段階によって区分されるのは当り前で、まったく「偏重」などではなく、 "次第になくなる" ことなどありません。ただ、その「区分」が本人の生涯にわたってつきまとうようなことがあれば、それは単なる「差別」であり、全く別の問題です。
 例えば、日本の全ての大学が教育も研究もボロボロに崩壊し、学生が何も学べないような事態になれば、「大学卒」という学歴は完全に無意味になるかも知れません。ただそんなことになれば、日本と言う国家、日本人という集団そのものが世界から見捨てられることになるので、少しも望ましいことではありません。


 
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