現代社会を考える4 (blog アーカイブ 2015〜)


 

2015年12月19日:「夫婦同姓規定」裁判について

2015年11月10日:"ミャンマー" 総選挙について

2015年10月14日:刑事ドラマのような事件

2015年08月19日:プリクラと "外国人"

2015年07月10日:電話セールスをめぐって

2015年07月08日:「給食費未納」をめぐって


 
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■2015年12月19日:「夫婦同姓規定」裁判について

 既に報じられているように、最高裁で「憲法違反ではない」という判決が出た。
 15人の裁判官の10人が合憲、5人が違憲という判断の多数決であった。

 「ニッポンの良き伝統が破壊されずに済んだ」という保守系の妙な高揚、失望・絶望と騒ぐリベラル系の異様な反発、どちらも同じように見苦しいと感じる。
 メディアの報道も、これら両者の「コメント」をただ並べるだけで、「この裁判では何が "判断" されたのか」という点をきちんと伝えていない。

 判決は、大きくは、1.(同姓が)社会的に定着している、2.通称使用が普及してきており、(原告が訴える) "苦痛" は軽減されている、という2点であり、民法の規定は「憲法違反とまで言えるものではない」ということである。そして、「裁判ではなく、もっと(国会等で)議論を深めるべき。」という付帯意見も付いている。
 つまり、最高裁は決して「あくまでも夫婦同姓であるべきだ」などとは言ってないのである。

 「逆」を考えてみると面白い。
 仮に、民法の規定が「一定条件の下に別姓を選択することを認める」となっていて、これに対して「別姓夫婦の存在は日本文化を破壊するもので、精神的苦痛を与えるものだから、この規定は憲法違反だ」と主張して裁判を始めたらどうなっていただろうか。おそらくその場合はより明確に「憲法違反ではない」となったはずである。
 だから、この付帯意見が重要なのである。

 以前から気になっていたのだが、この裁判の基となった主張について、かなり意図的かつ巧妙な話のすり替えが行われている。すなわち、「夫婦別姓の "選択" を可能にせよ」という主張を、あたかも「夫婦同姓を廃して、別姓を制度化せよ」という(とんでもない)主張であるかのようにすり替えるのである。
 原告たちが主張しているのは「別姓の "禁止" が憲法違反だ」ということであって、「同姓が憲法違反だ」と言っている訳ではないのに、である。
 例えば、メディアが好んで行うアンケートや街頭インタビュー調査などでも、「 "あなたは" (同姓・別姓)どちらに賛成ですか」というものばかりであった。
 典型的な例として、現在 Yahoo ニュースが実施しているものを示す。

 12月19日早朝の時点で約15万票の "投票" があり、およそ67%が「選択しない」26%が「選択する」となっている。
  Yahoo ニュースの回答者は30代・40代の男性に極端に偏っていることが知られているが、この結果は(意外に)他の同種の調査と大きくは異なっていない。
 しかし、この質問は、今回裁判となった問題とは全く異なって(ズレて)いるのである。
 この問題をきちんと考えるのであれば、質問は
  「あなたは、別姓の夫婦という存在を認めますか?」
 であるべきであり、選択肢は
  1.自分もそうしたい
  2.自分は同姓にするが、別姓夫婦も認める
  3.認めない、全て同姓にするべき
 でなければならない。

 「多様性を認める社会に・・」などときれい事を並べながら、一方でこのような論点のすり替えが横行していることに困惑する。


 
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■2015年11月10日:"ミャンマー" 総選挙について

 ビルマ(ミャンマー)の総選挙、投票は平穏に終了したが、開票・結果の確定には時間がかかるということである。
 これまでのところ、与党側も敗北を認める発言をしていて、無事に政権交代に繋がると見られているが、若干の不安も残る状況である。長期独裁政権が選挙で敗れた際に、しばしば「不正の存在」などを言い立てて選挙無効を主張、武力での制圧に乗り出すことがあるから・・・。

 日本のメディア報道で実に奇妙なのは、「民主化」がビジネス・チャンスだと言わんばかりの浮かれた空気と、野党指導者アウン・サン・スー・チー氏への妙な思い入れである。そこに共通するのは、相変わらずの異常なほどの「都合の悪いことは全部忘れる」という病である。

 決して忘れてならないのは、日本が、ほとんどの先進国が制裁を科す軍事独裁政権に対して、一貫して支援し続けた「唯一の国」であったという事実である。小さいことだが、「ミャンマーではなくビルマ」というスー・チー氏の主張に応えて「BURMA」と呼び続けた欧米各国に対して、日本政府は率先して「ミャンマー」と呼ぶことに決め、学校やメディアに通達までしていたのである。
 それもこれも、軍事独裁下の "ミャンマー" こそが日本ビジネスの希望のフロンティアだったからである。民主化が現実に進展すれば、これまで進出を控えていた欧米各国との競合も始まり、人々の権利意識も(正しく)高まることによって、従来のような「美味いビジネス」は困難になる可能性が高い。すなわち、「民主化とビジネス・チャンスは矛盾する可能性が高い」のであり、一部の専門家は、この点を "控えめに" 指摘しているのだが、全体の能天気な論調には棹させないようである。

 アウン・サン・スー・チー氏が「民主化の星」であったことは間違いないのだが、欧米のメディアが同氏を熱心に取り上げてきた大きな要因は、英国留学経験をもち(亡夫も英国人)完璧な英語を話す(発信する)人物だったことである。そして、同氏もまたその英語力と欧米メディアの影響力を最大限に活用することで、自身の安全を確保しつつ民主化運動を続けてきたのである。その歩みを見ても、スー・チー氏はその優美な外見とは真逆の、本当に百戦錬磨のタフな政治家であることが判る。
 そのスー・チー氏が、自身を軟禁・弾圧した軍事独裁政権を支援し続け、「軍事政権への支援は間接的に民主化の妨げになるので控えて欲しい」という要請にも一切耳を貸そうとしなかった日本という国、日本政府を果たしてどう見ているだろうか。これまでの、日本の政治家やメディアとのやり取りを見ても、スー・チー氏が日本人の大好きな「親日」政治家などでは全くないことは確かである。


 
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■2015年10月14日:刑事ドラマのような事件

 まるで刑事ドラマのような事件。記事だけでは判らないことが多い。
 薬事法違反容疑の内偵中にこの警官が惚れてしまったのか、それとも、警察の情報を得ようと容疑者の女性の方から接近したのか、それは "組" の指示だったのか、それとも・・・。
 また、警官自身が「 "組織" を辞めたい」と相談したとあるが、「 "警察" を・・」ではなく「 "組織" を・・」とは奇妙な表現である。「潜入捜査」でもしていたのだろうか。
 結城昌治さんの小説だったらどう描いただろうか、などと妄想が膨らむ。
 元記事では実名+下の名前に(ふりがな)まで付けているが、単に話題として取り上げるだけなので、このブログでは警官の名前は伏せる。


交際相手に情報伝え逃がした疑い、巡査部長逮捕 宮崎

 宮崎県警は13日、薬事法違反の疑いが持たれていた女に捜査情報を漏らしたとして、刑事部組織犯罪対策課の巡査部長、■■■■(○○○)容疑者(35)を犯人隠避の疑いで逮捕し、発表した。■■容疑者は当時この女と交際しており、「間違いない」と容疑を認めているという。
 監察課の説明によると、■■容疑者は交際していた女が薬事法違反の容疑者になっていることを知り、昨年8月下旬に「近々、逮捕状がでる」などと伝え、逃がした疑いがある。この情報をもとに女は逃走し、昨年10月4日、指定薬物を所持していたとして薬事法違反の疑いで逮捕された。
 ■■容疑者は銃器・薬物対策の担当。今年9月上旬に「(逮捕された)女と交際していた。組織を辞めたい」と上司に相談し、発覚した。■■容疑者は妻帯者で「女とは昨年5月ごろに知り合った」と話しているという。
 鬼塚博美首席監察官は「誠に遺憾で、深くおわびしたい。事実関係を明らかにし、厳正に対処する」とのコメントを出した。(金山隆之介)
 朝日新聞デジタル 10月13日(火)21時21分配信


 
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■2015年08月19日:プリクラと "外国人"

 8月19日、TBS(東京地区)の報道バラエティ「Nスタ」が、「あのプリクラが外国人に人気・・」という話題をとりあげた。

 「画像加工機能付きのインスタント写真撮影+シール化」というこの機械が登場して20年になるということで企画されたようである。
 番組では、「外国人観光客にも大人気!」という説明で、日本国内のプリクラ機を楽しそうに利用している "外国人観光客" を紹介していたのだが、そこに、テレビでこの種の話題をとりあげる際に、必ずと言っていいほど出てくるステレオタイプな「歪み」が強烈に現れていたことに失望した。
 すなわち、登場した「外国人」が全ていわゆる "白人" だったのである。

 日本政府観光局(JNTO)の統計によれば、2014年度の訪日観光客数は約1090万人、内83%がアジアから、中でも中国、台湾、香港、韓国の東アジア4カ国・地域で70%を占めている。細かい数字はともかく、圧倒的に東アジアからの観光客が多いことは、「爆買い」などの報道もあって、広く知られているはずなのに、である。

 テレビ東京系だけは、ビジネス重視という特徴から東アジアに注目する番組が多いが、他の民放各局、特に昼間のバラエティ番組などではいまだに「東アジア系は "ガイジン" ではない」という感覚なのだろう。
 「外国人観光客」という話題をとりあげる際に、バックに流すのは常に "白人" というコンプレックス剥き出しの習慣をいつまで続けるのだろうか。

 プリクラは、アジア地域にはすでに広く普及(当然、現地企業によるパクリも少なくないだろうが・・)し、盛り場ではお馴染みとなっている。
 しかし、かつて狙った米国進出では普及できず、現地の意見をもとに様々な改良を加えて新たに挑戦、という経緯をわかりやすく伝えていたのだから、「プリクラの米国進出」というテーマに絞れば良い企画だったのだろうに、まったく残念である。


 
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■2015年07月10日:電話セールスをめぐって

 カニの押し売り、執拗な電話勧誘を行っていた会社が営業停止処分を受けた、というニュースが大きく話題になっている。

 様々なメディアで、「いかに(この種の)被害を防止するか」という話が展開されているのだが、どうにも違和感を感じる。

 「(その種の電話がきたら)一言で断りましょう!」とか、「反論」の仕方を教えて見せたりするのだが、その一方で、「 "良い人" ほど一方的に断れない傾向が・・・」などという話に至って、「早急な対策が望まれます」などという全く無意味な結論で終わってしまう。
 アメリカ、イギリス等多くの先進国で行われている、拒否番号登録制度を紹介しておきながら、「日本では早急な実施は難しい」などと言う。
 つまり、これもメディアにとっては「ネタ」の一つに過ぎないのであって、「警鐘を鳴らす」「広く伝える」と称して埋め草に使っているだけなのである。

 何故、そんなに酷評するのかと言われるかも知れないが、それは、以下のような基本的な問題に、何故か全く触れようとしないからである。

 第一に、「自宅の電話番号の公開」についてである。
 商売用の宣伝媒体であるタウンページは別として、そもそも、金を取って電話サービスを提供している会社が、顧客の名簿を印刷してバラまくこと自体信じられない異常な風習である。
 高齢者や専業主婦であれば、日常、電話連絡をする相手は限られている筈、それ以外の人に宣伝する必要など全く無いのだから、「電話帳非掲載」にするのが "当然" である。高齢者の場合、掲載が "普通" とされた時代に電話を引いてそのまま、という人も少なくないため、本人または周囲の人間が早急に調べて「非掲載」にすることを勧めなければならない。
 既に勧誘電話が来ているような人であれば、さっさと番号を変えて、改めて「電話帳掲載」も「番号案内」も断れば良い。必要な親族・友人・知人には、新しい番号を「個別に」知らせれば良い。実は、これだけのことでセールス電話はほとんどかかってこなくなるのである。
  "気味が悪い" などと言う前に、電話番号は個人の秘密であって「自分が選んだ相手だけに知らせるもの」ということを徹底する必要がある。

 第二に、電話が鳴ったら「急いでとらなければならない」「受けたこちらが先に名乗らなければならない」といった、「職場マナー」もどきの奇妙な風習についてである。
 職場の電話・仕事用の電話と「自宅の電話」とは全く別物である、という認識が欠落しているように思う。
 「自宅に、勝手にかかってくる電話など、出たくなければ出なくて良い」のである。まして、番号非通知の電話、自分が知らない(=身に覚えの無い)番号からの電話など、本来出るべきではない。<番号通知であれば、後でこちらからかけ直すことができる>
 何か重要な連絡だったら・・・などと考える人がいるが、この国では、例えば役所からの重要な「お知らせ」などは必ず手紙(文書)で来ることになっているから全く問題ない。
 あらかじめ知っている相手 "以外" からの電話は「無視するべし」ということを徹底する必要がある。

 この2つの基本的な問題を無視(回避?)して、「上手な断り方」などを指南するのはやはり奇妙である。


 
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■2015年07月08日:「給食費未納」をめぐって

 埼玉県北本市の市立中学校4校が、給食費を納めない(納めようとしない)保護者に対して、「(未納のままなら)生徒への給食の提供を停止する」と通知したという。

「給食費未納なら弁当を」 保護者43人に通知 41人が納付の意思
東京新聞【埼玉】 2015年6月28日

 北本市の市立中学校四校が今月中旬、学校給食費を三カ月間納めていない生徒の保護者四十三人に対し、「未納のままなら七月一日に給食の提供を停止する。停止後は弁当を持参させてほしい」との趣旨の通知を出したことが分かった。
 市教育委員会によると、二十六日現在で四十一人が給食費を納付する意思を示した。残る二人については「支払ってもらえるよう学校側に最大の努力を続けてもらっている。弁当のケースになればいじめなども想定され、細心の注意を払ってほしいと要請した」(酒井一昭学校教育課長)としている。
 給食費は一人当たり月四千五百円で、四十三人の三カ月間の未納額は約五十八万円。四校の給食は以前は給食センター方式だったが、今年四月に自校方式に切り替わった。これに伴い給食会計が市から学校側に移管され、未納問題が顕在化したという。 (花井勝規)


 この事件そのものは、対象世帯全てが納入の意志を示したことで、とりあえず7月に給食が停止されることはない見通しとなっている。ただ、重要なことは、「給食費未納」が全国で起きている言わば一般的な課題であること、それに対して「停止」という対策をとった例(自治体)はこれまで無い、ということである。別に「踏み倒し」を許しているということではなく、福岡市や高崎市などでは法的手段をとって親に支払いを命じている。それでも、生徒に対して給食は提供しており、停止するという事態になればそれは全国初なのである。

 ここで取り上げるのは、事件そのもではなく、このニュースに対する「人々の反応」である。
 個々には引用しないが、ネット上では(予想通り)「給食停止は当然」という意見が溢れた。また、一部のワイドショーなどが「市民の声(と称するもの)」を拾っているが、そこでも「当然」とする意見の方が多数となっていた。
 これは、どう考えても異常な反応である。

 上記のいくつかの市のように、「払えるのに払わない親」を追いかけて(場合によっては締め上げて!)、徴収するのは当然である。
 しかしながら、親の不始末を「子どもに責任とらせる」「見せしめにする」ことに賛成、というのは本当に気味の悪い発想であり、子どもの「人格・人権」というものに何の価値も意味も感じない人々なのだ、ということを痛感する。
 福岡市の担当者は(朝日新聞の記事で)「給食は公教育の一環として行っているものだから、未納を理由に止めることはない」と言っている。また、北本市の関係者も「いじめにつながる危険」を指摘しているのである。

 日本人は、いつからこのような「嫉妬」「憎悪」「差別意識」に凝り固まった、「いじめ大好き」な不気味な集団に成り下がったのだろうか。


 
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