民間における地理学研究と地理学出身者の活動
日本地理学会75年史
「地理学評論」Vo173,No.4,日本地理学会,2000年4月
ここでの「民間」とは、具体的には株式会社等の営利法人、財団法人等の公益法人、任意団体などを指すが、以下の記述ではこういった法人格による区分よりもより実感に近い「外郭団体」「コンサルタント」「民間シンクタンク」という区分を用いることとする。
■外郭団体
「外郭団体」とは、財団法人、社団法人等の公益法人の形をとりながら、事実上特定の省庁と密着して活動する機関である。1)
戦後の地理学を考える上で、極めて重要な外郭団体が「財団法人資源科学研究所」である。
(財)資源科学研究所(以下資源研と略す)は、戦前の1941年、文部省の直轄研究所として設立され、終戦とともに独立の財団法人として再出発し、1970年の閉所まで文部省の助成金によって運営された研究機関である。
地理部門のスタッフの中心は多田文男(東京大学教授と兼任)であり、国立時代から最後まで陣頭指揮をとった。戦後には、浅井辰郎を中心に大矢雅彦、阪口豊、市瀬由自、三井嘉都夫らが加わり、助手として戸谷康義、井上奉生らが参加していた。
資源研の業績の一つに「資源科学研究所彙報」があり、多田文男:内陸砂丘の生成(10号,1946)をはじめとする地理学研究成果が、1971年の終刊号まで数多く掲載された。また、地域総合調査の試行として実施された「下北半島総合調査」(1955〜58)は、地域開発の基礎資料という明確な目的のもとに、地元の理解、学問と社会の結びつき、といった面で大きな成果となるものであった。続いて「大隈半島の自然環境に関する研究」(1959〜62)、「北九州を中心とする地史と生物分布に関する総合研究」(1963〜66)、「関東地方の自然環境の研究」(1967〜69)、「渡島半島の研究」(1970)が実施され、いずれも地理学研究の重要な成果であった。
■コンサルタント
ここでとりあげる「コンサルタント」とは、正しくは「土木・建設コンサルタント」および「測量」を業務とする企業のことである。
前者の分野ではもともと土木工学出身者が主流であり、地理学出身者が進出したのはこれらの企業が地域計画、土地利用計画、環境アセスメントなどの分野に業務を拡大するに際して、地理学的な技術、感覚が求められたことによると考えられる。また、これらの企業における土木工学等の出身者が、同様の目的で地理学系の学会に参加してきていることも「地理学の社会貢献」の極めて重要な一側面である。
測量については、特に航空測量の分野で空中写真判読のスペシャリストとして地理学出身者の存在が認められ、後のリモートセンシング、GIS分野の開拓へとつながっていった。具体的には、全国的に展開された地形分類図、土地条件図の作成や、災害の被害状況図の作成事業であった。
これらの各企業には地理学出身者が分散的に所属している。その中でも淵本正隆(アジア航測(株))は1970年代以来日本地理学会、日本国際地図学会等を中心に、常に先端の分野で活躍してきている。
また、前述の資源研出身で早稲田大学の大矢雅彦教授のゼミからは、特にコンサルタント企業に多くの人材が進出した。阪神・淡路大震災の調査にあたったアジア航測(株)の杉浦正美、(株)地球科学総合研究所の丸山裕一、日本工営(株)を拠点に海外で活躍する坂田篤稔等である。
■民間シンクタンク
民間シンクタンクとは、特定の省庁の外郭団体以外で社会科学系の調査研究を主たる業務とする法人のことである。
この部門における地理学の歴史的成果として注目すべきは、(財)日本地域開発センターが1967年に刊行した「日本列島の地域構造・図集」である。ナショナルアトラスの先駆けとも言えるこの図集には、地形区分からゴルフ場の分布まで 114葉の図版が収録されており、その作成には、木内信蔵、式正英、森滝健一郎、前島郁雄、濱英彦、河辺宏、西川治、山本正三、山口岳志、といった地理学者が加わっていたのである。
1970年は後に「シンクタンク元年」と呼ばれる年となった。1964年に設立されていた(財)日本地域開発センター、1965年設立の(株)野村総合研究所に加え、(株)三菱総合研究所、(財)日本総合研究所、(株)芙蓉情報センターといった調査研究を事業の柱とする企業が、競って設立されたからである。
これらの企業の業務の中では、地域開発計画や自治体の長期計画の策定、次いで環境アセスメント、さらには地域情報化計画が重要な分野となっており、いずれも地理学を専門とする人材が活躍すべき分野であった。しかしながら実態は工学系、経済学系出身者の独壇場であり、1981年に東京大学新聞研究所が行った調査によれば、主要シンクタンクの研究員の出身学科では「地学・地理学」出身者は「史学・哲学」「観光学」出身者を加えても全体の4%に過ぎず、また大学院出身者の中でも「地理学」専攻者に隣接分野の「地質学」「文化人類学」専攻者を加えてもわずか4.6%であった。2)
このような中で、(株)芙蓉情報センター総合研究所は、地理学出身の寄藤昂を中心として総合研究開発機構3)の研究助成による「わが国における情報資源の地域格差に関する研究」(1978)「情報資源格差と地方都市」(1981)といった成果を発表している。同社には一時多くの地理学出身者が在籍し、大学に転じた寄藤の他にも、(株)三菱総合研究所に移って余暇、観光開発分野の中核を担っている大八木智一、(株)富士総合研究所と名前を変えた現在も残って環境分野で活躍している山辺功二らがいる。
1)地理学関係者が周知の例としては、(財)日本地図センター(建設省国土地理院)、(財)水路協会(海上保安庁水路部)、(財)日本統計協会(総務庁統計局)などがある。いずれも親機関と人事面でも密接に交流しており、単独の機関として扱うのは現実的ではないのでここでは割愛した。
2)シンクタンク研究員の生活と意識調査:「日本のシンクタンク」,pp334-335,東京大学新聞研究所,1985
3)「総合研究開発機構」は1973年に設立された経済企画庁所管の特殊法人である。政府、地方公共団体、産業界からの出資金、寄付金を基金として運営され、自主研究、民間シンクタンクへの研究委託、同じく研究助成を行っている。