書評「地域の姿が見える研究を」
(著者:太田 勇,出版社:古今書院)
「週刊金曜日」 第210号 1998.3.13
サッカーのJリーグに、昨年大変活躍し話題にもなったエムボマという選手がいる。彼は技術、体力、スピード、判断力の全てにおいて日本の選手をはるかに上回る実力をわれわれに見せつけた。彼は日本に来る前はフランスに住み、一時はフランス代表チーム入りの可能性もあった選手である。
テレビや新聞のスポーツニュースも、これまでなじみのあるブラジル選手とは異なるスタイルの彼のプレーに驚嘆した。そこにはほとんどの場合「野性的な・・」とか「アフリカ人独特の・・」といった表現が使われていた。
これは奇妙なことである。ボールの奪い合いにおける彼の力強さは他のチームに所属していたドイツ出身の名バックスと同様であったし、相手をかわす時に見せる意表を突く球さばきもユーゴ出身のストイコビッチが見せるものとさほど違わない。彼がカメルーン出身であるというだけで、なぜ日本のマスコミはヨーロッパから来た名選手にこのような形容詞を付けたがるのだろうか。
この本の章「ステレオタイプ化した国際理解」の中で、著者太田勇は次のように記している。
『スポーツの世界では体力がものをいう場面が多いためか、「外人特有の」と表現する説明をしばしば見受ける。プロ野球界で「外人特有のパワー」といえば、アメリカ世界の非アジア系選手についてのみ使われる。』
『しかしバレーボールになるとアジア勢が強く、「中国人らしい」柔軟な体とか、「韓国人独特の」ねばりという表現が出てくる。けれども、柔軟やバネの強さは、陸上競技やバスケットボールでは「黒人独特」なのである。』
『われわれは限られた情報をもとにして、国、人種、民族、社会に一定のラベルを貼りがちである。一度ある先入観にとらわれてしまうと、情報はそれに合わせて取捨選択され、往々にして先入観を補強する。』
まったくその通りである。しかも太田がこれを書いたのは一二年前の一九八六年、この間日本のマスコミの意識は全く変わらなかったことになる。
この本「地域の姿が見える研究を」は一九九六年二月、六二歳の若さで白血病のため急逝した地理学者太田勇のエッセイ集である。太田の死後、彼の思想、考え方が凝縮された形でわかりやすく書かれているこれらのエッセイを、やはり地理学者である陽子夫人と二人の友人が編集したものである。
先に紹介したとおり、ステレオタイプ化した国際理解に対する太田の筆鋒は鋭い。この章では他にも欧米にあこがれる一方でアジアの人々を蔑視する大学教授の醜さ、アフリカ系アメリカ人に対する日本人の視線の歪み、華僑という言葉の問題などがとりあげられている。さらに、日系人だけに単純労働での就労を認めるのは人種差別ではないのか、なぜ北朝鮮だけが特殊な呼ばれ方をするのか、というわれわれの盲点を突く指摘もある。(この二編は本誌への投稿である)
評者には、これらの指摘・主張の根底に、きめつけること・差別することへの太田の激しい反発や怒りがあるように思われる。このことは「章「エスニシティ・ジェンダー」で一層明確になる。
ここでは民族的抑圧であるエスニシティ、性的抑圧としてのジェンダーをとりあげている。特に面白いのは、自身が所属する日本の地理学界(会)に女性会員が少なく、学会の幹部になると一層男ばかりになる現状について、データをあげて論じていることである。自分の所属する集団を批判するのは日本では勇気の要ることであるが、太田は身近な矛盾には目をつぶって「一般的評論」を書くようなことはしなかったのである。
このことは、学者としての研究のありかたについての次のような記述につながる。
『人種・民族、出生地、性による差別は当の本人に責任がないところでの差別だから、まったく始末が悪い。その原因と現実を明らかにする研究は、社会的不平等、人権抑圧を解消するために有効な手段を見出す可能性から評価されるべきだろう。学者の知的好奇心を満足させる段階にとどまる研究には疑義がある。』
著者太田勇は地理学者である。。章「空間―人―地域」はこの本の中では比較的早い時期に書かれた著作で、若い研究者や中・高校の教員に向けた地理学の啓蒙的なエッセイ集である。ここでも基本となっているのはきめつけ、思い込みの排除で、「観察のすすめ」「地離学、地理欠く」といった題目にも現れている。
一般的な話題をとりあげてはいるが、「とりわけ、われわれ日本人地理学者は、一つのことをていねいに研究し続ける態度を欠き、その時代の流行に追従する傾向があったように思う」といった地理学における学問的に重要な問題に正面から取り組んだ文章も多い。
章から「章を通じて、太田は日本の地理学の研究・教育が同時代の社会的課題をとりあげようとせず、その解決に取り組もうともしないことを繰り返し批判している。それについて直接論じた文章を集めたのが沛ヘの「地理学への提言」である。
これは、地理学界という特殊な世界での議論という面もあり、一般の人々にはわかりにくい部分もある。しかしながら、この章について評者がぜひ読んでいただきたいと思うのは章の最後に収められている「小泉さんへの手紙」である。六十歳を超えてしかも重病で入院しながら、学問への若々しい情熱を燃やし、思索を続け、そして書かれた手紙である。
太田勇はわれわれに多くのことを伝えながら、志半ばにして往ってしまった。この本は、地理学という学問を愛し、学者・教員であることの社会的責任を厳しく見つめつづけた一人の地理学者の残した小さいが重い遺産である。