学生による授業評価について
「人間と環境I」におけるアンケート調査の試み−
<中京女子大学 教育紀要'95>
1.はじめに
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1.はじめに
1.1 調査の目的
研究・教育における自己点検、自己評価の手法、システムの検討の一環として、筆者が担当する現代教養科目「人間と環境−氈vにおいて、学生による授業評価を試みた。
今回の試行の目的は、第一には言うまでもなく当該科目についての筆者自身の反省材料と、96年度に向けての課題を得ることである。目的の第二は、現代教養科目のような、基礎的な内容を均一的に講義する型式の授業において、一般的・共通的な評価アンケート調査が成立するかどうかの検討である。
1.2 科目「人間と環境I」の概要
「人間と環境氈ヲn理学の視点から>」は、大学1年前期向けの現代教養科目である。開講前に学生に配付したシラバスでは、「授業のねらい」を以下のように示している。
「『環境』は単なる自然ではない。定住生活を始めて以来、人類は周囲の自然に働きかけ、これを改変することによって社会を築き上げてきたのである。
本講義では「近代化と環境変化」特に平野の開発と治水・利水に焦点を当て、地図、写真、ビデオ等、視覚的な資料を多く用いて人間と環境の相互作用を理解させる。」
また、シラバスでは授業の展開計画として6項目の課題を挙げているが、実際には、学生の反応、ビデオ教材の準備の都合などの理由で、以下のような内容で実施した。
授 業 |
テーマ |
使用ビデオ |
第1回 |
序論 “人間と環境”とは |
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第2回 |
『古代文明と環境』 |
『文明と環境』1995 NHK |
第3回 |
『熱帯雨林』 |
『熱帯雨林 ―地球の声を聴く―』1995 NHK |
第4回 |
『温帯の森/日本の森』」 |
『日本の自然を語る』1995 放送大学 |
第5回 |
『沙漠化』 |
『沙漠の緑化』1995,放送大学 |
第6回 |
休 講 |
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第7回 |
『環境と病気』 |
『エボラ出血熱』1995 NHK |
第8回 |
『環境としての河川』 |
『黄金のベンガル』1991 TBS |
第9回 |
『環境としての河川 ―日本の場合―』 |
『信濃川に愛を込めて』1990 新潟県 |
第10回 |
『環境としての食糧』 |
『地球を救う女たち』1995 NHK |
第11回 |
『環境としての災害』 |
『地球防災への道―シンポジウム―』1991 NHK |
第12回 |
『日本の災害―集中豪雨に備えて―』 |
『災害から命とくらしを守るシンポジウム』1995 NHK |
第13回 |
『講義のまとめ』 |
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2.アンケート調査の枠組み
2.1 調査票の設計
授業そのものの評価を学生に問うアンケート調査は、既に数多く試みられており(1)、中にはマニュアル化されて定常的な実施に移されている例もある。(2)
具体的な質問項目は、当然「授業内容の質、量」「教員の講義の巧拙、熱意」といった点を中心に組み立てられるが、評価自体の記述にあたっては、5段階の数値尺度で選ばせる型式と、「思う/思わない」で答えさせる型式に大別されるようである。こういった体験的、主観的評価の調査に、いずれの型式が適しているかというのは、興味深いテーマであるが、本稿では論じない。ここでは、筆者は数値尺度型式を用いない方針であることを述べるにとどめる。
質問項目の範囲についても、それらの多くが授業内容、教員についての「受講者」からの一方的な評価が中心であり、学生自身については「まじめに受講したかどうか」「出席状況は」といった単純な自己採点的な回答を求めるにとどまっている点には疑問がある。このような調査票を配付・記入させ、さらに集計・分析するのに費やす時間的負担は決して小さくない。また、特に多人数の講義型式科目においては、全ての学生に対して個別に問いかけ、回答を得るほとんど唯一の機会であるとも言える。筆者は調査票の設計にあたって、学生が特に「評価」を意識せずに回答でき、しかもその学生の「受講者」としての行動実態がより具体的に把握できるような質問項目についても検討すべきであると考える。
今回の調査では、以下に集計結果で示すような質問項目を設定した。上で述べたような、「受講行動」との関係で注目したのは、問3−cの「着席位置」(3)であるが、後述のように興味ある結果が得られた。
2.2 調査実施と回答状況
調査は、1995年7月15日当該科目の最終講義において実施した。しかしながら、この実施日の選択が調査結果の有効性に若干の問題を残すこととなった。
この科目では当初より出席をとっておらず、また、出席実績そのものを成績評価の材料とはしないことを、学生に伝えてあった。また、成績評価のための課題レポートの提示と説明は、既に前回の授業で行なっていた。このため、「必ずしも出席しなくても支障の無い」状況で最終講義に出席した学生は、言わばこの講義が好きな少数の学生である、ということになってしまったからである。調査後段の、とくに講義の内容に関する評価がきわめて高く好意的であるのは、この出席者の質的な偏りによるもので、割り引いて見る必要があると言える。
当日出席して回答を提出した学生の数、および受講登録者数に対する比率を下に示す。回答した学生が偏っている可能性については前述のとおりであるが、学科別の出席率については、全体に低くはなっているものの通常の傾向と一致している。(4)
学 部 |
学 科 |
回答者 |
登録者 |
比 率 |
人文学部 |
アジア文化学科 |
17 |
54 |
31.5 |
人文学部 |
児童学科 |
13 |
14 |
92.9 |
健康科学部 |
栄養科学科 |
17 |
32 |
53.1 |
健康科学部 |
健康スポーツ科学科 |
9 |
63 |
14.3 |
その他 |
(2年生以上) |
2 |
5 |
40.0 |
合 計 |
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58 |
168 |
34.5 |
2.3 調査手順
調査は、講義を早めに終了した残り時間に実施した。
あらかじめ調査の目的、記入の方法を説明した。特に、この調査が絶対に学生個人を評価するものではないこと、どのような(批判的な)ことを記しても不利な材料とはならないこと、そのためにも、番号、氏名は言うまでもなく、記入者が特定できるようないかなることも記入してはならないことを強調した。この説明の後で調査票を配付し、一斉に記入させた。また、記入後は近くの座席の学生達で調査票をまとめ、個人が判らないように提出することを指示した。
これらの説明、指示はほぼ正確に理解されたようで、前述のような基本的な偏りはあるものの、個々にはかなり厳しい意見も寄せられた。
3.集計結果
ここでは、質問順に単純集計結果を示す。数値はいずれも実数、比率(%)である。
3.1 質問群1.講義の評価(個別事項)
1-a 教員の講義態度をどう感じたか
きわめて熱心だった 31 53.45
まあ熱心だった 25 43.10
あまり熱心ではなかった 0 0.00
きわめて不熱心だった 0 0.00
わからない・何とも言えない 2 3.45
1-b 講義中の「発声,発音」はどうだったか
明快で良く聞き取れた 49 84.48
あまり良く聞き取れなかった 9 15.52
大変聞き取りにくかった 0 0.00
1-c 講義中の「説明」はどうだったか
論点が明確でわかりやすかった 52 89.66
少しわかりにくかった 6 10.34
大変わかりにくかった 0 0.00
1-d 黒板への「書き出し」はどうだったか
見やすく、わかりやすかった 10 17.24
少しわかりにくかった 45 77.59
大変わかりにくかった 3 5.17
質問a〜cの、講義態度、発声・発音、説明の明確さでは幸い高い評価を得ることができた。ところが、質問dの黒板への板書については、83%が「少し、あるいは大変わかりにくかった」としており、筆者の字の汚さ、板書の乱雑さを厳しく批判している。
1-e スライド・ビデオ等の「教材の使用」はどうだったか
見やすく、わかりやすかった 32 55.17
少しわかりにくかった 23 39.66
大変わかりにくかった 0 0.00
1-f 「教室」の環境はどうだったか
快適に講義を受けられた 50 86.21
あまり快適ではなかった 5 8.62
きわめて快適ではなかった 2 3.45
質問e・fは、ともに質問文、選択肢が現状と合わない部分があり、学生は回答し辛かったようである。
まず、質問eのビデオの使用では、ほぼ毎回30分から50分程度のビデオを利用していたため、「一概には答えられない」「時によって、わかりやすいものもつまらないものもあった」と注記した学生が相当数あった。
質問fは、本来は文字通りの「室内環境、設備」といったことについての質問であり、その意味では全体的には良い評価であった。ところが、否定的評価の内容のほとんどは「その他」の記入欄の、言わば“人間的な環境”を問題にした回答で、いずれも「私語」を問題にしており、「うるさかった」「不愉快だった」、あるいは「(筆者が)厳しく注意したので良かった」といった回答であった。
3.2 質問群2.講義の評価(全般的に)
2-a 講義の内容はわかりやすかったか
よくわかった 47 81.03
少しわかりにくかった 10 17.24
大変わかりにくかった 0 0.00
2-b この講義を受けて,得るところがあったか
おおいにあった 32 55.17
少しはあった 24 41.38
あまりなかった 1 1.72
まったくなかった 0 0.00
この2問については、きわめて高い評価となっているが、前述のような回答者の偏りを前提として見るべきであろう。
2-c この講義で「良かった」と思う点
2-d この講義で「良くなかった」と思う点
2-e この講義をより良いものにするための「要望,提案」
以上の3項目から「良くなかった点、改善への意見」を整理要約すると、以下のようになる。数字は指摘した人数、()内は記入者の所属学科である。
1) 良くなかった点
黒板の字がきたない、読みにくい、乱雑 10(アジア、栄養、スポーツ)
ビデオの中につまらないものがあった 4(アジア、児童、栄養)
授業の進行が早い 3(スポーツ)
私語がうるさい 3(アジア、児童、栄養)
他に、光の具合でビデオが見にくい、ビデオ機器の不調で授業開始が遅れた、
授業中に紹介された本が入手できなかった、などがあった。
2) 改善への提案
講義の構成について 6(アジア、栄養)
講義テーマを1回完結とすることにこだわらず、2・3回かけてじっくり
取り上げて欲しい。1つの問題について、もう少し深く教えて欲しい。
(テーマ別ではなく)国、地域でまとめてはどうか。
教材・資料などについて 6(全学科)
プリント、資料、メモなどを配付して欲しい。(ビデオだけでなく)写真
やパネルなども併用しては。
その他、(予告して取り上げなかった)海、生物について聞きたかった、
食糧、病気といった分野をもっと取り上げて欲しかった、もっと小さい教室
で実施して欲しい、半期ではなく通年授業にして欲しい、などがあった。
3.3 質問群3.回答者のプロフィール
3-a 所属学科
人文・アジア文化学科 17 29.31
人文・児童学科 13 22.41
健康・栄養科学科 17 29.31
健康・健康スポーツ科学科 9 15.52
その他(2年生以上) 2 3.45
3-b 出席状況
一度も欠席していない 21 36.21
全体の3/4以上は出席した 33 56.90
全体の半分以上は出席した 2 3.45
出席したのは半分未満 2 3.45
3-c 着席位置
大体前の方 21 36.21
大体中央辺り 26 44.83
大体後ろの方 6 10.34
一定しない 3 5.17
まず、3-aの所属学科については、先に述べたような学科別の出席率の違いから、逆に各学科の回答学生数が平均する結果となっている。このため、全体集計結果が、特定学科の学生の意見に偏らない平均的な評価として扱えるものとなっている。
3-bの出席状況の3/4以上出席が93%という結果は、再三述べている回答学生の偏りによるものである。
もっとも興味深い項目となったのは、3-cの着席位置であった。これだけでは何ということもない結果であるが、例えば、質問2-bの「この講義を受けて,得るところがあったか」の回答とクロス集計を行なった結果を図−1に示す。
図に現れたように、授業への参加意識、評価と、学生自身の着席位置との間には明らかな相関が見られる。この「着席位置」というデータについては、もっと様々な角度から分析してみるべきであると考えられる。
なお、質問3-d受講理由は、選択肢の設定が不適切(意味が重複、判りにくいなど)であったため、集計の対象から除いた。
4.調査結果の総括と96年度への課題
4.1 板書
黒板への板書については、80%を超える学生が「わかりにくかった」としており、筆者の字の汚さ、板書の乱雑さを厳しく批判している。これについては、さらに後段の「良くなかった点」という自由記述欄でも、少なからぬ学生が指摘しており、筆者が緊急に改めなければならない重要課題となった。
4.2 ビデオの利用
前述のように、学生に好評の「番組」と不評の「番組」とはかなり明確に分類されることがわかった。
多くの学生が「良くわかった」「印象に残った」「面白かった」としたのは、世界各地の“現地の状況”がリアルに映し出される「報道系」「企画取材系」の番組であった。例を挙げれば「地球の声を聞く−熱帯雨林−(NHKBS)」「新世界紀行−黄金のベンガル−(TBS)」「クローズアップ現代ー謎の伝染病エボラー(NHK総合)」などであった。
一方「よくわからない」「つまらない」「冗長」などと不評であったのは、災害と環境をとりあげた2本のシンポジウムの中継、画面に向かって座った講師が話し続けるだけの放送大学の講義、などであった。基本的に、筆者が既に“講義”をしているのであるから、テレビ画面の中でさらに講義は要らない、ということであろう。
また、授業中の観察によって、放映時間が40分を超えると学生の集中力が目立って低下することが認められた。質的量的に世界最高の実績をもつ英国の放送大学{オープンユニバーシティ)のビデオ講義が1講義25分であることも考えると、最も望ましいのは30分程度と考えられるのである。
すなわち、ビデオの利用は、あくまでも具体的で情報密度の高い“教材・資料”の提示に限定し、時間も30分程度にとどめるべきであるという結論が得られた。
4.3 私語について
私語については、後段の自由回答にも記入があり、「出席をとらないので、私語が少なくて良かった」という意見もあった。さらに、この問題について、この講義に常に前方の席で熱心に聴講していた学生数人に尋ねたところ、この授業はきわめて静かな方である、中には、肝腎の講義が聞こえないほど騒がしい授業がある、とのことであった。そして、「出席(カード)だけを目当てにやってきて、大声で雑談する学生を教室から排除して欲しい」という強い要求をほぼ全員が主張した。
講義にまじめに取り組もうとしている学生にとって、私語(を続ける学生の存在)が迷惑なのは当然であるが、これほど怒りを感じており、教員に対して適切な対策をとることを求めているというのは、認識を改めるべきことであった。実験、実習、ゼミなどは別として、完全に個人の学習意欲と集中力だけに依存する一般講義科目においては、機械的な出席テェックがかえって教室の環境を悪化させ、意欲ある学生の学習を妨げ、不満を蓄積させる元凶となっているのである。「高等教育機関」であるという自覚の上で、「出席」について改めて検討してみるべきではなかろうか。
4.4 調査手法について
今回の結果から、個々の授業ごとに問うべきことと、総括的に問うべきことの整理が必要であることがわかった。前者の典型はビデオの内容に関する質問であるが、今回の調査票は、これについても総括的な意見しか求めない形となっていたからである。
また、「私語」についての学生の意見、認識をより詳しく把握することは緊急の課題と考えられ、質問項目の追加が必要と思われる。
さらに、異なるタイプの講義でも調査を行ない、手法としての有効性を高めてゆくことも重要であろう。
以上のような課題があるものの、今回の調査を通じて得られた情報は、筆者自身にとっても今後の講義の進め方に貴重な示唆となるものであった。
注
(1)例えば、『中京女子大学教育紀要第1号』において、三好は広島大学の吉森護の調査票を用いて評価アンケートを試みた成果を報告している。三好(1994)
(2)多摩大学では、「VOICE(学生の声調査)」の名のもとに、1990年から評価アンケートの実施を制度化している。森田・大槻(1995)
(3)太田 勇教授(東洋大学、人文地理学)の教示による。
(4)学期中に随時実施した学科別の出席者数の調査結果でも、常に同様の“順位”であった。
文献
三好 喬(1994):講義についての私の反省―講義に対する学生の評価より―,
中京女子大学教育紀要第1号,23-27
森田保男・大槻 博(1995):『実践的大学教授法』,PHP研究所,193p