尼崎列車事故について


 

2005年05月01日:事故発生

 尼崎事故。何の落度もない100人以上の人々の突然の死は何とも痛ましく、言うべき言葉もない。
 そして、直接的な原因を作ったと思われる運転士の死もまた別の意味で痛ましい。大手メディアの報道が、運転士個人を責める方向だけに暴走してはいないことが僅かな救いではあるが。
 被害者とその関係者の怒りは当然のことであるが、だからこそ、このような事故において最も忌むべきことは、第三者による運転士個人やJR西日本への感情的な集中攻撃である。
 幸いにも被害者になることを免れた全ての人々が為すべきことは、原因の究明と有効な再発防止策の確立である。それには、冷静かつ客観的な態度は当然として、高度な専門知識・技術が必要である。
 そのための専門機関としては「航空・鉄道事故調査委員会」という組織があるのだが、その存在感の乏しさは呆れるほどである。例えば報道によると、救出作業が完了したことから、事故列車の後方3両を移動させて「線路の状態」を詳細に調査するというのであるが、それを警察の鑑識が行うと言う。
 警察の鑑識が如何に優秀でも、鉄道車両の転覆のメカニズムについて専門知識をもつとは到底考えられないが、死者が出たこと、「業務上過失致死傷」という不法行為が想定される以上「まず警察」ということなのだろう。
 他の多くの先進国で、事故原因の技術的な解明が最優先されることと比べて、「犯人探し」の色の濃い日本の状況はやや異常である。「異常」は言い過ぎという意見があるかもしれないが、上記の航空・鉄道事故調査委員会の「常勤・専門スタッフ」の質と人数、そして権限を、アメリカの「国家運輸安全委員会(NTSC)」のそれと比較すれば万人が納得するはずである。
 しかも、日本の「委員会」は国土交通省の組織内に置かれているのであり、例えば国が管理する成田などの国際空港で「空港側に起因する事故」が起きたような場合、真に中立の調査ができるかも疑問である。
 事故現場は、最も古くは直線の線路であったところに、東海道線尼崎駅に乗り入れるために右方向への緩やかな分岐線路が設置され、さらに最近になって地下新線乗り入れのためにより右方向への急カーブに変更した個所である。そのために、当初から一貫した「曲線区間」として設計された線路とは異なる奇妙な線形となっている。直前の直線区間では120km/hの高速運転を許し、制限70km/hの急カーブが突然現れるなどという路線の形をそのままにして、ラッシュ時には3分間隔で運行し、遅れについては運転士個人を責めるだけの「再教育」をやっていたというのだから、何とも凄まじい話である。

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2005年05月03日:そのまま出勤した運転士

 JR西日本の男性運転士2人が、JR福知山線事故の電車の4両目、6両目に乗客として乗車していたにもかかわらず、脱線後に救助活動などを全く行わずにそのまま出勤していた。この2人は出勤後に上司に事故の列車に乗っていたことを報告したが、上司はそのまま勤務に就かせていた。
 この問題で最も重要なことは、何故2人がそのような行動をとったのか、上司もどうして2人をそのまま勤務に就かせて黙っているようなことをしたのか、ということの背景を探ることである。
 NHK総合の21時のニュースでは以下のやりとりが放送された。JR側は、事実関係を報告した後、型通り「遺憾である」と繰り返したのだが、「何故そのようなことをしたのか」という質問に対して、一瞬言いよどむ態度が見えた。ところが次の瞬間に、「気が動転したということですか」という質問をした記者が居て、JRは明らかにそれに沿う形で「そういうことです」とし、処分も検討すると締め括った。
 そもそも鉄道という事業では、現場で働く人々が自分たちの職場に強い愛着と誇りをもつことが特徴的である。普通であれば、2人の運転士は全てをなげうって救助活動に入ったはずである。「家に帰った」とでも言うのなら動転したとも考えられようが、「そのまま出勤し、通常通り勤務に就いた」というからには断じて「動転」などしていない。
 彼等は、そこで救助活動に入ることよりも「定時に出勤する」ことを優先したのであり、上司も同様に考えたのであろう。つまり、JR西日本全体の価値観がそのようになっていた、ということではないか。
 硬直的な「達成目標」を掲げ、偏執的な「減点主義」で個々の職員に過剰なプレッシャーをかけるという、非常に歪んだ形の「品質管理」思想が多くの企業に誤った形で導入され、「病んだ」職場を生み出している。遅れを取り戻そうと安全を無視したことと、定時出勤のために被害者を見捨てたことは、実は同じ病根から出たものではないだろうか。
 ところで、上記の発言をした記者であるが、私は彼が日本の記者に多く見られる「記事を先に作ってしまう」アホの典型であると感じる。それならまだましで、JRに頼まれて八百長質問をしたと勘ぐることさえ不可能ではない。
 アホとまで言う理由は、そもそもこの大事故がなぜ起きたのかということである。定時運行、遅れたら処罰、安全など二の次、というJR社内の異常な状況が次々に明るみに出ているところではないか。そのような状況のもとで、この2名の運転士がとった行動について「動転した」などということしか考えないとしたら、ジャーナリストとして最も必要な想像力、洞察力のかけらも無いと言わざるを得ない。
 Yahoo に公開されている時事通信、毎日新聞のニュースでも「気が動転」としている一方で、興味深いのは、NHKの22時のニュースがこの記者の質問の部分をカットし、替わりに「出勤のほうを優先したのではないか」という質問と、「そういう背景もあったかもしれない」というJRの回答を放送したことである。

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2005年05月05日:「遅れずに来て下さい」

 やはりそうだった。しかしこんな推測が的中してもさらに不愉快になるだけだ。

 JR西日本が再び訂正会見。
 読売新聞が伝える同社の発表によると、森ノ宮電車区の運転士は4両目で事故に遭い、約2〜10分後に計3回、当直の係長(47)に電話、事故の発生と負傷者が多数いること、さらに出勤時間に間に合わないことを伝えた。しかし、係長は返事をするだけで救助などを指示しなかった。係長は「大事故になっているとは思わなかった」と釈明しているという。
 尼崎電車区の運転士は事故で約20分間、気を失い、意識が戻った後、6両目の車内から当直係長(46)に電話。係長は「遅れずに来て下さい」と指示したという。(読売新聞5月5日0時54分 Yahoo)

 しかも、読売によれば、会見で村上恒美・安全推進部長は「(4人とも)鉄道マンとして失格。危機管理の意識が徹底されていなかった。教育を徹底したい」と述べた、という。
 冗談ではない、彼等による「教育」が徹底した結果、「遅れずに来て下さい」と言うような人間が係長になっているのではないか。その「指示」を無視して、出勤せずに救助活動などしていたらどのような「再教育」をされるか判らないからこそ、2人の運転士は出勤したのではないのか。さらに、鉄道員が事故の現場で人命救助に当たることについて、「危機管理の意識」とは一体どういう「思想」なのだろう。
 「公共交通機関として、誤った経営、社員教育、労務管理を行ってきたことを反省し、謝罪する」と言うのが当然の状況であるのに、未だ個々の社員を責める発言しかしない、この村上という部長そのものが、鉄道員としての基本的な自覚をまったく欠いた異様な人物であることが良く解る発言である。

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2005年05月06日:事故現場の線路

 ようやく、事故現場の線路(カーブ)の形についての議論が出てきたが、多くが言葉だけの説明で大変解りにくい。
 実は、この区間はJRが再三にわたって「線路移設」を繰り返した場所で、本来は直線であった個所の途中に突然右カーブを「取り付けた」ような奇妙な形になっている。これは、当初「尼崎港」に向けて直進する形で建設され、次に、東海道線尼崎駅に乗り入れるための緩くカーブする分岐線が取り付けられ、最後に、東海道線を跨ぐ急カーブの線路が設置された、という経緯をもつからである。
 地図のXが事故現場、緑色の線がかつての線路を示している。
 しかも近年、ローカルな「福知山線」から大都市郊外線の「宝塚線」へと急激に運転本数を増やし、運転速度を上げてきた区間でもあるのである。
 国土交通省は、半径300mの曲線は特に「急カーブ」ではない、とするが、これは正確ではない。例えば、曲線が連続する中での半径300mと、長い直線区間からいきなり半径300mに入る場合とでは危険性は全く異なるからである。ここでは、制限 120km/hの長い直線区間からいきなり制限70km/hの半径300mの曲線に接続しており、直線から曲線にスムーズに接続するための緩和曲線区間もわずかしか設けられていない。
 このような線形は元々極めて危険であり、大都市の幹線交通路として高速運転を行うのであれば、曲線半径の拡大を中心とする大幅な改築がなされるべきであったと言えよう。



 国土地理院発行 2万5千分の1地形図「大阪西北部」の一部に筆者が追記。


 
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