現代社会を考える_1

(blog アーカイブ 2004〜2008)


 

2008年05月15日:毒ガス製造

2008年01月12日:大森山動物園の犯罪

2007年12月03日:高齢化時代

2007年09月28日:カメラマン射殺

2007年09月27日: "終わりの始まり" か、ビルマ軍事政権

2007年05月17日:ブッシュ暗殺

2007年01月28日:今、大阪で起きている事

2006年08月28日:マンションへの政党ビラまき事件

2006年08月03日:プール<吸い込まれ>事故

2006年07月06日:ミサイル発射

2005年11月29日:無免許で助産行為

2005年06月03日:街頭募金について

2005年03月16日:「振り込め詐欺」の病理

2005年02月19日:報道されないこと

2004年08月24日:沖縄米軍へり墜落事故について


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■2008年05月15日:毒ガス製造

 無届けで "毒ガス" 製造したら、それこそテロリストである。
 これだけ問題を起こし続けていて、それでも会社そのものの存廃はまったく問題にされないのだから、よほど特別な会社なのだろう。
 どこかに特別に強いコネがあるのか、それとも強大な権力をもつある人(達)の弱みでも握っているのか・・・。

猛毒ホスゲン170トンを無届け製造 石原産業

 化学メーカー・石原産業(大阪市)の織田健造社長は14日、三重県庁で記者会見し、四日市工場(同県四日市市)で、毒ガスとして化学兵器に転用可能なホスゲンを国に無届けで製造するなど、新たに7件の不正行為を発表した。同社は有害物質を含む土壌埋め戻し材「フェロシルト」を不法投棄した罪で、同工場の元副工場長が実刑、法人としての同社も罰金5千万円の判決を受けている。

 同社の説明によると、新たな不正は、フェロシルト事件を受けて今年3月、全社員約1600人に文書で不正行為の報告を求めた社内調査で判明した。(1)農薬の原料で化学兵器に転用可能なホスゲンを、化学兵器禁止法で定められた国への届けをせずに製造(2)海中へ投棄する排水内のマンガン測定値の改ざんなどで、いずれも四日市工場での不正だという。

 ホスゲンは年間30トン以上生産する場合、計画量と前年の実績を経済産業省に届け出ることが化学兵器禁止法で義務づけられている。しかし、同社は05年に約98.1トン、06年に約74.5トンの計172.6トンを国に届けずに製造していた。織田社長は「当時の工場責任者が、毒性の高い物質の製造を明らかにすると、住民の理解を得にくいと考えたようだ」と説明し、ホスゲンの漏出や農薬製造目的以外への転用はなかったとした。
 ーー 以下略 ーーー
Asahi.com 2008年05月14日22時06分


 
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■2008年01月12日:大森山動物園の犯罪

 秋田市浜田の大森山動物園で昨年12月、同園のキリン「たいよう」をモデルにしたNHKテレビのドラマに "出演" した子どものアミメキリンとその母親が、撮影終了直後に相次いで死ぬという事件があった。
 12日に、NHKがドラマの一部放映中止を発表したことで全国ニュースになった。

 新聞記事等でも、撮影のストレスが死因だったのではないかという批判が出ており、どうやらNHK叩きに発展しそうな気配である。一部のブログでも "残酷!NHK" などという表現が見られる。
 NHKを特に弁護するつもりはない。大手マスコミの傍若無人さ、自然だ・エコだと言いながら撮影のためと称してあたり一面踏み荒らし(生き物を踏み殺し)、何のことはない盛大に自然破壊する振るまいなど、いつものことだから。
 まだ幼い子キリンを親から引き離し、3日間にわたって連日3−4時間も撮影したのである。それも、ニュースなどではないドラマの撮影である。おそらく、多くの人間が激しく動き回り、強い照明やレフ板も当てただろう。聞き慣れない金属音や怒声も聞こえただろう。子キリンはどんなに恐ろしく、心細かったことか。
 また、子育て中の我が子をいきなり毎日3−4時間もどこかに "拉致された" 母キリンの心痛はどうだったろうか。

 しかしながら、この件で "第一に" NHKを槍玉に挙げるのは間違いである。
 責任の殆どは、そんなことをやらせた動物園の側にあると私は断言する。
 キリンという動物は、とにかく臆病で神経質、精神的弱さが特徴の "取り扱い注意" な動物であることは、大型動物を専門に扱う人々にとってはほとんど常識のはずであり、そのような動物を飼育する専門家の集団こそが動物園だからである。
 現代の動物園の存在意義の第一は種の保存である。絶滅危惧種ではないとしても、言わば自然から預かった貴重な動物を、大切に、そしてできるだけ苦痛やストレスの少ない状態で飼育する重大な責務があるのである。
 キリンのような刺激やストレスに弱い動物を、ドラマの撮影に "貸す" などというのは言語同断であり、動物園などと名乗る資格は無い。ただちに閉園させるべきである。
 この園長の言葉の "軽さ・鈍感さ" からはプロ意識のかけらも感じられない。強烈に伝わってくるのは、官僚独特の堅いガードと無責任体質だけである。

キリン番組、放映中止に NHKなど、母子急死重く受け止め

 秋田市浜田の大森山動物園で昨年12月、アミメキリンの母子が相次ぎ死んだ問題で、死ぬ数日前に行われていたテレビ撮影の映像を使用した番組が、放映中止になったことが11日までに分かった。2頭の相次ぐ死という事態の重さと、制作日程が遅れている状況を受け、撮影を行った都内の制作会社、番組を3月に放映予定だったNHKが協議し、決定した。
 制作会社によると、放映予定だった番組は、青年獣医師が骨折したキリンの命を救うドラマ。義足姿で懸命に生きた同園のキリン「たいよう」をモデルにした内容だった。同園は、番組の趣旨に賛同できるとして、3日間で計11時間に上る撮影に協力していた。
 小松守園長は「撮影と死の因果関係は不明だが、2頭の死という悲しい事実がある以上、仕方のないことで残念だ」と話している。
 秋田魁新報 2008/01/12 10:28 更新


 
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■2007年12月03日:高齢化時代

 高齢化とか "超高齢化" とか騒がれているが、平均寿命が80歳まで延びているのに、相変わらず65歳で区切っていれば、区分上の "高齢者" が増え続けるのは当然である。
 しかも、ほとんどの議論において高齢者は "弱者" あるいは "要保護者=社会的負担" という扱いである。元気であるとされる団塊世代についても、殊更にメディアがとりあげるのは "帰農" や "蕎麦打ち" であって、何やら問答無用で第二の人生を強要されている気配である。
 そもそも仕事における定年は、能力の衰え以上に "若者に仕事を回す" ことが主眼だったのであり、人口構成が変化したのであれば見直すのが当然である。仕事を続けたい多くの真面目なサラリーマン達が、異常な企業優遇社会の中で <退職ー非正規雇用での再雇用=格安・使い捨て> という歪んだ形で利用されているのが今日の姿である。
 では個人営業や自由業の場合はどうだろうか、というところで愉快なと言っては問題だが、興味深い事件が起きた。
 ちなみに、100件の窃盗で1000万円というと平均10万円、3人で分けたら一人3万円にしかならない。金も欲しかっただろうが、それ以上に "現役" を続けたかったのではなかろうか。


60〜70代老人窃盗団3人逮捕、盗んだ金で温泉巡り

 東北から関西地方の各地で空き巣や事務所荒らしを繰り返していたとして、埼玉県警と警視庁などが、60〜70歳の男3人を盗みなどの疑いで逮捕していたことが2日、わかった。
 3人は今年6月までの3年間に少なくとも100件(被害総額約1000万円)の犯行を繰り返したと自供しており、盗んだ金で温泉巡りをしていたという。3人はいずれも住所不定、無職の永浜利春(60)、榎本孝行(65)、横田稔(70)の各被告で、常習累犯窃盗などの罪で公判中。
 起訴状によると、3人は2005年11月25日、甲府市善光寺の事務所に侵入して現金約12万5000円を盗んだ。今年6月21日には、埼玉県越生町の民家に忍び込んで現金約22万円を盗むなどした。3人は数年前、刑務所で知り合って意気投合し、出所後に連絡を取り合って“窃盗団”を組織。犯行後は盗んだ金で近くの温泉につかっており、甲府市の事件の後に石和温泉(山梨県)を訪れていたという。
(読売新聞 12月3日9時25分)


 
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■2007年09月28日:カメラマン射殺

 APF通信社の映像ジャーナリスト、長井健司さんが殺された。
 ヤンゴン(ラングーン)市内での治安部隊によるデモ隊の排除の様子を撮影していて、治安部隊兵士に射殺されたと見られる。一般に前かがみで行動することの多いカメラマンの心臓を、どうすれば "上空への威嚇射撃" で貫通させることができると言うのだろうか。明らかな狙い撃ちである。
 ビルマ軍事政権によれば、一連の混乱は戦争でも内乱でもなく、単なるデモということである。戦争や明らかな内乱の場合、ジャーナリストの死は "自己責任" と見なされても仕方のない面がある。
 しかし、単なるデモであって国内に大きな問題は無いのだと軍事政権が主張するのであれば、長井さんを射殺した行為は明確に "犯罪" でなければならない。
 カメラマンが投石したり暴力を振るう筈が無いので、言わば "悪いことは何もしていない" 一般人を射殺したことになる。
 ジャーナリスト・取材であることを理由に殺したのなら、さらに悪質な暴力による言論の封殺である。
 通常、民主的な社会を理念とする国であれば、言論の自由は何よりも尊重されなければならないとする。
 イギリスであれアメリカであれ、戦時下でもないのに自国民のジャーナリストが射殺されたら、ただちに強い遺憾の意を表して犯人の追及と処罰を求める筈である。もしも相手国政府が誠実に対応しなければ、それこそ援助の停止といった一定の外交手段をとるであろう。
 さあ、ダントツの対ビルマ援助国である日本政府は、この問題にどのような態度をとるのだろうか。
 かつて、イラクに "安全だから自衛隊を派遣する" が、勝手に行って誘拐されたのだからNGOメンバーの身柄など "自己責任だ" と言い放った政府だからね。どうなることやら・・。


 【バンコク井田純】外務省は27日、ミャンマーのヤンゴン市内で独立系ニュースプロダクション「APF通信社」(東京都港区)の映像ジャーナリスト、長井健司さん(50)=東京都中野区=が撃たれ、死亡したことを確認した。ミャンマー外務省は「デモに巻き込まれて死亡した」としている。同通信社によると、長井さんは25日からミャンマーで取材していた。
 ミャンマー国営テレビは27日夜、日本人1人を含む9人が死亡したと認め、「デモ隊の頭上に威嚇発砲したが、群衆に紛れていた日本人が犠牲になった」と述べ、危害を加える意図はなかったと主張した。
 町村信孝官房長官は27日夜、東京都内で記者団に対し、長井さんの死因について「心臓を弾丸が貫通したことによるものだ」と述べた。
 ロイター通信によると、長井さんは市内のスーレーパゴダ付近で、治安部隊がデモ隊を排除しようとしたところをカメラで撮影中だったという。関係者によるとその取材中に撃たれた。
 ロイター通信は、目撃者の話として、ヤンゴンで市民ら約1万人による反軍政デモの最中、治安部隊がデモ参加者らと衝突して発砲、日本人1人が撃たれたとしている。
 長井さんの遺体は市内の「ヤンゴン総合病院」に収容されており、関係者は遺体に銃創を確認した。病院入り口前には兵士約50人が立ち厳戒態勢が敷かれている。
 APF通信社によると、長井さんは同社契約のカメラマン兼記者で、今月25日に別の取材で滞在中だったタイからミャンマーに入国、現地のコーディネーターと取材していた。27日にも取材を続けるとの連絡が入ったという。長井さんがミャンマーで取材するのは初めて。
(毎日新聞 9月28日2時0分)


 
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■2007年09月27日: "終わりの始まり" か、ビルマ(ミャンマー)軍事政権

 例によって、日本のメディアの反応は驚異的に鈍い。
 そして、これもまた例によって "日本人の死者" ばかり騒いでいる。
 ジャーナリストの "戦死" は避けられない部分もある。もちろん日本人カメラマンの死について報道することは大切だが、それにしても、ビルマ軍事政権の国民弾圧と現在の混乱について、もう少しまともに報道できないものなのか。下記のロイターの最新ニュースの臨場感と比べて本当に情けない。
 例えば、僧侶を殺す、連行すると言ったことは、ビルマ(人)にとっては殆ど天地がひっくり返るような事態である。このまま終息するとは考えられないし、今現在いったい何人の命が奪われているのかも判らないのである。
 今限在放送中の テレビ朝日系「ニュースステーション」が唯一詳しく掘り下げた報道をしている。期待したい。


ミャンマー兵士、 "家に帰るか、それとも撃たれたいか!"
2007年09月27日 12:49pm(英国時間) アウン・ラ・トゥン

[ヤンゴン(ラングーン)発] 木曜日、軍はヤンゴン中央部の街路で掃討行動を行った
ミャンマー暫定政府の20年間で最大の反乱に対して、2日間にわたる取締りを強化する中で、兵士は抗議デモに向かって "10分だけ待ってやる、家に帰るか、撃たれたいか" と言っている。
200人の兵士が道路をゆっくり行進しながら、抗議の民衆をライフル銃とスピーカーからの巨大な警告で蹴散らしている様子は、全国的なデモの鎮圧で推定3000人の人々が殺された1988年の "始まり" を思い出させる。 ー以下略 (筆者訳)


軍政が武力行使、4人死亡=200人拘束―ミャンマー
2007/09/27 00:07

【ヤンゴン26日AFP=時事】ミャンマー治安当局は26日、軍事政権に対する抗議行動を展開していた僧侶が率いるデモ隊に武力を行使、当局者などによると、少なくとも4人が死亡、100人が負傷した。
 ー中略ー
 警官隊は、警棒や催涙弾を使って鎮圧に当たり、一部では威嚇発砲も行った。これに対し、デモ隊は治安部隊に非難の言葉を浴びせ、投石して応戦した。
 当地の西側外交筋によれば、衝突で約200人が拘束された。このうち半数は僧侶という。ミャンマーでは、僧侶らがはヤンゴンなど各地で9日間にわたり、反軍政デモを繰り広げていた。 〔AFP=時事〕



 ところで、現在、殆どの自由主義に立つ先進国において、この国はビルマ(Burma)と呼ばれている。イギリス政府も(小泉・安倍両首相が大好きだった)アメリカ連邦政府も、公式に Burma と呼んでいるのである。
 有力な野党指導者で軍事政権に軟禁されているアウン・サン・スーチー女史は、日本でも結構有名であるが、「われわれの国の名前はビルマであってミャンマーではない」と明言している。
 それは、Myanmar が極度に独裁的で非民主的な軍事政権によって突然宣言された新国名であり、多くの国が軍事政権そのものの正当性に疑問をもっているからである。
 何でもアメリカ追従の日本政府が、国の呼び方だけは独自にミャンマーを採用し、学校の地理教育などでも強制している理由は何だろうか。
 要約すれば、上記のような経緯で先進国からの国際援助を受け難くなっているビルマにおいて、その軍事政権相手にまさに独占的に "ODA" の大盤振る舞いをやっているからである。
 その "ODA" とは、様々な大規模土木工事を日本のコンサルタントが計画・設計し、それを日本のゼネコンが指名で受注、現場の工事のほとんどは現地企業を下請けに使うものであることは、最近のベトナムの事故でも明らかである。


 
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■2007年05月17日:ブッシュ暗殺

 英国のサスペンス映画 "Death of a President" を日本で公開するにあたって、興行会社が「ブッシュ暗殺」という邦題を付けようとしたところ、映倫管理委員会が拒否してタイトルの変更を求めているというニュース。

 こういうの(企業)を「程度が低い」と言うのである。
 ブッシュ大統領をどのように評価しようと、彼は現役のアメリカ合州国の大統領である。その人物を名指して「暗殺」という言葉を冠して興行するとは非常識の度が外れている。
 例えば、「安倍晋三暗殺」というタイトルの映画が韓国で公開されたら日本国民はどう感じるだろうか。彼を支持するかどうかには関係なく不愉快に感じ、そのようなタイトルを付ける人々を軽蔑するのではないか?
 しかも、素直に和訳すれば「ある大統領の死」というなかなかセンスの良い英国版の原題を、なぜそのような悪趣味でセンセーショナルなものに変えなければならないのか、やはり狂っているとしか言い様が無い。
 話をすり替えてはならないのは、現役の他国の大統領が暗殺されたらどんなことになるか、というポリティカル・フィクションの映画を作る、小説を書くといったこと自体が問題だと言うのではない、ということである。これはまさにデモクラシー国家にとって最も大切な言論・創作の自由そのものだからであり、それ故、この映画を制作することができた英国という国の確かさを示しているのである。
 ただ、広く表現するにあたって一定の節度が求められることもまた重要であり、英国版のタイトルはこのことを見事に体現している。それを上記のような馬鹿げた騒動にしてしまう連中には本当にウンザリする。


映画「ブッシュ暗殺」を却下=映倫が邦題変更求める

 米大統領暗殺を描いた英国のサスペンス映画「ブッシュ暗殺」(邦題)について、映倫管理委員会が審査で退け、タイトルを変更するよう配給元のプレシディオに求めていることが、17日分かった。映倫では、「あらゆる国の主権を尊重し、元首、国旗、国歌及び民族的習慣の取り扱いに注意する」という規程に、タイトルなどが抵触しているとしている。
 原題は「Death of a President(大統領の死)」で、ニュース映像を交えてブッシュ大統領の暗殺後を描いている。昨年のトロント映画祭で国際批評家賞を受けたが、米国内では大手映画館チェーンが上映を拒否した。10月公開を予定しているプレシディオは、「過去には国家元首の名前を使った映画もあるので、再検討をお願いしている」としている。
5月17日13時1分配信 時事通信


 
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 ■2007年1月28日:今、大阪で起きている事

 今、大阪で「人権」に関する重大な事態が起きつつある。
 具体的には、世界陸上競技大会の会場となる長居公園において、テントや小屋掛けで生活してきたいわゆるホームレスの人々に対して、強制撤去に向けての手続きが進行していることである。
 この問題は、まさに緊急の事態である。最終的に、実態として公園内に居住している人々が、「法律に基づいて」外に出されることを止めることが出来ないとしても、その過程や具体的手段において、そしてその後のこれらの人々へのケアという面において、重大な人権侵害が発生することだけは避けなければならないからである。
 この問題については、関西を拠点にホームレスや野宿者問題に取り組んできた若手研究者たちが「声明文」を発表し、署名運動を呼びかけている。私からも賛同の署名をお願いしたい。
大阪市・長居公園テント村に対する行政代執行に関する研究者声明

 この問題は昨日今日に始まった事ではないが、ここ数日の動きを見ていると、下記の記事に見られるように、明らかに行政が「かさにかかって」攻勢に出始めていることが感じられる。(記事はいずれも Asahi.Com 元記事はいずれも期限切れで表示できない)

2007年01月23日 西成の大量住民登録、大阪市が抹消へ手続き開始へ
2007年01月23日 野宿の公園テント、住所と認めず 大阪高裁が逆転判決
2007年01月25日 長居公園野宿者に「戒告書」 大阪市、強制撤去へ手続き

 公園などでの住民登録は認めない、一方、便宜置籍的な集団登録も抹消するということは、要するに「消す」ことを意図しているとしか考えられない。給付手当ては受給可能と言うが、住民票無しでは生活保護の申請も就職活動もできないからである。
 このような時、行政側の強硬姿勢の「後ろ盾」は常に「住民・市民の要望」という錦の御旗である。もしもそれが怪しくなれば姿勢は一挙に変化することは、伊勢崎市の観覧車をめぐる騒動が良い例である。
 野宿者も同じ人間であるという訴え、今の時代誰でも明日は我が身だという認識を、どれだけ効果的に広く伝える事ができるか、そして現地大阪の市民・住民の間から行政の暴走を抑止する意見がどれだけ出てくるかが緊急の課題となろう。


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 ■2006年8月28日:マンションへの政党ビラまき事件

 葛飾区の「マンションへの政党ビラまき」事件についての東京地裁の判決が出た。
 公判開始の時にブログ(旧)でとりあげて以来注目していたが、とりあえず妥当な判決が出て良かった。
 この事件については、もちろん言論の自由やマンション管理の問題が中心であるが、もう一つ別の問題が潜んでいる。
 それは、昨年のブログでも指摘したが、特定の(合法的な)政党の活動が気に入らない個人が、警察及び司法制度を利用して私的に“弾圧”しようとした、という側面である。裁判所が、このような企みに“乗ってしまう”のかどうか、という点が注目された。仮にそうなってしまうと、次には全国で特定の政党の広報活動に対する「一般市民?」による“逮捕・告発”が続発することになりかねず、それは言論・政党の自由を大きく制約するどころか、やがては議会制民主主義の実質的な圧殺につながるからである。
 事件・裁判における「告発市民」の異様な行動・態度と、今回の1審判決の市民常識に沿った平静さを比べたとき、もしも検察が上告するようであればそれこそ「日本の危機」であると言わざるを得ない。

マンションへの政党ビラまき、被告に無罪判決 東京地裁
 東京都葛飾区のマンションに04年12月、政党ビラをまくために立ち入ったことで住居侵入罪で起訴された被告の住職荒川庸生(ようせい)さん(58)に対し、東京地裁は28日、無罪(求刑・罰金10万円)を言い渡した。大島隆明裁判長は近年の住民のプライバシー、防犯意識の高まりに触れつつ「ドアポストまで短時間立ち入っての配布が、明らかに許されないという合意が社会的に成立しているとはいえない」と判断。荒川さんの立ち入りには「正当な理由がある」として住居侵入罪の構成要件を満たしていないとした。
 判決はまず、「どんな時に立ち入りが許されるかは、社会通念を基準に、立ち入りの目的・態様に照らし、法秩序全体の見地からみて社会通念上、許される行為といえるか否かで判断するほかない」との判断枠組みを示した。
 そのうえで「立ち入りの滞在時間はせいぜい7、8分」と短時間だったことを重視。さらに、▽このマンションではピザのチラシも投函(とうかん)されているが、投函業者が逮捕されたという報道もない▽40年以上政治ビラを投函している荒川さんも立ち入りをとがめられたことはない――と指摘。「現時点で、ドアポストに配布する目的で昼間に短時間マンションに立ち入ることが、明らかに許されない行為だとする社会的な合意がまだ確立しているとはいえない」と述べた。
 判決は、明確な「立ち入り禁止」の警告に従わずに立ち入れば住居侵入罪にあたるとしたが、このマンション玄関の張り紙では、「明確な立ち入り禁止の意思表示がされていない」と指摘し、立ち入りに正当な理由があると結論づけた。
 ーーー中略ーーー
 無罪判決を受け、岩村修二・東京地検次席検事は「検察の主張が理解されず遺憾だ。判決内容を検討し、上級庁とも協議の上、控訴の要否を判断したい」とのコメントを発表した。
 (Asahii.com 2006年08月28日12時33分)



2005年11月20日のブログ(旧チェシャ猫の微笑み)の記事

住居侵入
 なかなか凄い社会になってきた。
 この“住民”は、これまで、「マンションの廊下で各戸にビラ(例えばピザ屋のメニューとか、便利屋のチラシ、新聞の購読勧誘ビラなど)を入れる人間」を、見つけ次第全て“逮捕”して警察に突き出していたのだろうか?
 この事件当時の報道から考えても、そんなことはないようである。
 おそらく、この人物(住民)は、特定の政党のビラを配布すること自体が許せず、その人間を“逮捕”し、「法律を適用して罰してほしい」と訴え、その理由として「治安が悪く・・」と言っているのである。それも、「治安が悪化したので何が起きるか予知できない」から氏名・職業も明らかにせずに、である。
 私はこの事件のビラの発信元である政党については全く支持していないが、こういう“住民”が増えることは、「思想信条の自由」や「言論の自由」が大っ嫌いで、「独裁的国家支配」こそがあるべき姿だと考えている権力者にとって、夢のように素晴らしいことだろうね。


「住居侵入で罰すべき」 通報住民が証言 政党ビラ配布

 政党ビラを配るためにマンションに立ち入ったとして住居侵入罪に問われた男性(58)に対する公判が14日、東京地裁であった。男性をとりおさえて警察に引き渡したマンション住民が出廷し、「無許可でマンションに立ち入るのは住居侵入罪。法律を適用して罰してほしい」と訴えた。

 住民の証言によると、マンションの廊下で各戸に政党ビラを入れていた男性に「速やかに出て行きなさい」と注意したが、「正当な政治活動です」と言って出ていかないので、私人として現行犯逮捕し、警察に通報したという。

 その理由として住民は「治安が悪くなり、ピッキングなどの不安もある。敷地や建物に住民の許可なく入ってはいけない」と述べた。

 尋問は住民と傍聴席をついたてで遮って行われ、住民の氏名、職業も明らかにされなかった。弁護側は「公開の原則に反する」と抗議したが、住民は「私を知ってほしいという気持ちはないし、治安が悪化したので何が起きるか予知できない」とし、裁判所はついたての使用を認めた。
 (Asahi.Com 2005年11月14日21時25分)


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 ■2006年8月3日:プール<吸い込まれ>事故

 仲間のブログが、この事件について論じている。
 “姫”は「これは殺人だ」と怒る。ある意味ではそのとおりだ。
 “もやし”は<下請けー孫請けーパートーバイト>といった雇用構造から必然的に形成される無責任構造と、急激に進む階級社会化(“格差社会”などという呼び方はまやかしだ)を指摘し、この事件は「現代の縮図」であるとしている。
 しかし、僅かな時給で雇われ、必要な指導も受けていない高校生バイトに“子どもの死”の責任を問えるのか?
 まともな社員を常駐させることもできないような低い委託費で仕事を受け、バイトまかせにした孫請け企業には、確かに相当の責任があろう。
 同様に、自社の社員では担当できないような価格、あるいは処理しきれない量の仕事を敢えて受託し、発注元に無断で孫請けに丸投げした下請け企業の責任も決して小さくない。
 そして、委託先企業の実態を正しく把握せず、再委託の事実にも気付かなかった(本当だろうか)市にも責任があることは言うまでもない。
 警察の仕事としては、現場責任者を業務上過失致死で送検し、孫請け企業の経営者にも管理責任を問うことで終わりである。民事訴訟も起こされ、この孫請け企業はおそらく廃業に追い込まれるだろう。
 しかし、公務員の数(日本は他国より多いというのは真っ赤な嘘である)をやみくもに減らし、何でも民間委託するべきだ、と主張する政党・政治家を選挙で選んだ多くの人びとに、果たしてなんの責任も無いのだろうか。
 かつては、市民(町民)プールは“公営”であり、そこで働く職員は“公務員”であった。そこでは“効率”や“費用対効果”は無視されがちで、無駄遣いとして攻撃されることも多かったが、使命感や誇りをもって働く職員も少なくなかった。
 しかし、官営は悪・企業は善というキャンペーンが執拗に繰り返される中で、「民でできることは民に!」と絶叫し「役人の数を減らすことが日本の為だ」と断定する総理大臣は圧倒的支持を集め、一方で地方交付税の削減というかたちで市町村の財政は圧迫され、その結果としてほとんどあらゆる公共施設が今では“民営化”あるいは“民間委託”されている。
 本来の民間企業のプールではこの種の事故はほとんど起きていないが、そこには高額な利用料金による十分な管理、という言わばプラスの循環がある。
 一方、今回の事件のような施設では“公共サービス”という原則から高額な料金は設定できず、設置者(市)は財政難もあって予算を削り、結果的に能力・体制に問題の有る零細企業が受託するというマイナスの循環が起きている。
 このような事件が続けば(残念ながら続くだろう)、やがて安全を確保できないことを理由に低価格の公営プールは全て閉鎖され、高額な料金をとる民営プールだけになるだろう。それが今進んでいる“改革”の将来像なのだから。
 「悲しいできごとではあるが、これも“官から民へ”という改革の痛みの一つだ」と言い切るのだったら、(賛否は別として)いっそ潔いと言えるが、その種の“改革”は支持しておいてこの事件では“犯人”を探して憤激するというメディア(全てではないが)の無責任さも相当なものである。


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 ■2006年7月6日:ミサイル発射

 北朝鮮(これは始めから敵対的な呼称である)・朝鮮民主主義人民共和国(正式だが長い!以下ではDPRKの略称を使う))が各国の制止を無視して弾道ミサイルを発射した。
 この7発のミサイル発射については、DPRK政府独特の国際的非常識の一部として、および6カ国協議における申し合わせ事項の公然たる無視という意味で、きわめて異常な行動として非難されなければならない。
 しかし、こういう時にこそ、事実を冷静に見ることも大切である。
 ミサイルはどう見ても「ロシア沿岸」に向けて発射されている。特にスカッドかノドンと見られる中距離ミサイルは、ロシアの領海にきわめて近い海域に着弾しており、被害が出るとすればロシア沿海州の漁民である。
 また、失敗したと見られている3発目(テポドン2号?)が正常に2段目に着火したとしても、着弾地はアリューシャン列島付近になったと想定される。
 このような状況にも関わらず、今のところロシア政府が激怒する様子はない。ロシア側の落ち着きぶりからは、事前にDPRK側から何らかの通告があったのではないかとも考えられる。
 いずれにせよ、日本にとって現実に危険を感じさせる行為ではないにも関わらず、日本の一部の政治家はまるで非常事態であるかのような気色ばんだ態度を見せ、マスコミは政府発表をそのまま垂れ流して、日本近海に「向けて」ミサイルが「撃ち込まれた」かのような表現を繰り返している。街頭インタビューに「怖いです!」などと答える市民が少なくない(ように報道され続ける)ことに、私はむしろ恐怖を感じる。
 こちらに向いてなくても、ミサイル発射という行為自体が「許せない」、「恐怖」を感じるのは当然だ、と言うのだろうか。それでは、毎年行われる「米韓軍事演習」でいったい何発のミサイルが発射されているか、と問いたい。さらに、今現在、パレスチナの市街地に好き放題にミサイルを撃ち込み、多数の死者を出しているイスラエルという政府は許されるのかと。
 このようなDPRKの行動に対して「日本に軍事大国化の口実を与える」ものだから許されない、という意見が、韓国を中心としてアジアに広く存在することも忘れてはならないだろう。


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 ■2005年11月29日:無免許で助産行為
 

 不法滞在の外国人にとって「医療」は深刻な問題であると言われてきたが、遂に暗く痛ましい事件が起きた。
 40歳の韓国人女性(不法滞在者)が、分娩状態になったが病院に行くことができず、無資格の韓国人女性を頼った挙句に異常出産で母子ともに死亡したという事件。
 警察発表によるため各社のニュース記事の本文には大きな違いはない。異なるのはその「見出し」である。

   朝日新聞 無免許で助産行為、容疑の女逮捕 出産の女性と胎児死亡
   毎日新聞 <無資格助産行為>母子とも死なす 77歳容疑者逮捕
   時事通信 無資格で助産、母子死亡=韓国人の77歳女逮捕−警視庁
   共同通信 無資格助産で女を逮捕 韓国人女性と胎児が死亡


 興味深いのは、朝日・毎日の両新聞の「見出し」が関係者の「国籍」に全く触れてないのに対して、時事通信の「見出し」では容疑者の、そして共同通信では死亡した女性の国籍だけが記されていることである。
 すなわち、時事の見出しだけを見る限り“韓国人の女が日本人の母子を死なせた”ように見え、共同の見出しでは逆に“日本人の女が韓国人の母子を死なせた”ように見えるのである。
 この事件の特異性は、「不法滞在」という弱みがきっかけとなって、韓国人同士というエスニック・コミュニティの内部で起きた事件、という点にあるのだが、そこを正しく伝える「見出し」は残念ながら見られない。
 実は、不法滞在の同国人に対して(疑似)医療行為を行っている者は、意外に多いと言われており、中には出身国の医師免許をもつ人物も含まれているとされる。この77歳の女性がどのような経歴なのか報道されていないので判らないが、もしかしたら韓国の助産婦資格はもっていたのかもしれない。
 いずれにせよ、医師や看護師の免許が国単位で決められている以上、重大な法律違反であることは明らかであるが、単純に「ヤミ○○」とか「ニセ××」と決めつけて済む問題ではないこともまた明らかである。

<無資格助産行為>母子とも死なす 77歳容疑者逮捕 東京
 無資格で助産行為をしたとして警視庁組織犯罪対策2課と荒川署は27日、東京都荒川区荒川3、無職、崔春月(チェチュンウォル)容疑者(77)=韓国籍=を保健師助産師看護師法違反容疑で逮捕した。崔容疑者は26日夜、自宅アパートで助産行為をし、母子とも死亡したため発覚した。
 調べでは、崔容疑者は26日夜から27日未明にかけて、住所不定、無職の女性(40)=韓国籍=に対し、助産師免許がないにもかかわらず出産を助ける行為をした疑い。
 女性は26日午後10時半ごろ、出産の気配を感じ崔容疑者宅に駆けつけた。しかし死産だったうえ、女性も27日午前5時ごろ容体が急変。崔容疑者の夫が119番し病院に搬送されたが、出血多量で死亡した。
 女性は崔容疑者と面識がなかったが、崔容疑者が助産行為をしていることを知っていたらしい。女性は不法滞在で、摘発を恐れて正規の病院を避けた可能性もあるという。【川上晃弘】
(毎日新聞/Yahoo 11月27日)


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 ■2005年6月3日:街頭募金について

募金苦境、逮捕事件の余波 金額減り、「偽もの」非難も 「信頼失墜怖い」
 
 虚偽の求人広告で集めたアルバイトに街頭募金をさせていた職業安定法違反容疑でNPO(民間非営利団体)を名乗る団体の主宰者、横井清一容疑者(34)らが逮捕された事件の余波で、正当な活動を行っているほかの団体の募金額が減るなど、事件の影響とみられる現象が起きていることが二日、分かった。「偽の募金やろ」などと不当な非難を浴びるケースもあるという。
  ・・・・中略・・・・
 災害や病気で親を亡くした子供を支援する「あしなが育英会」(本部・東京)でも今春、関西地区の募金がここ数年で最少額に落ち込んだ。通りがかりの人から「(警察の)道路使用許可証を見せろ」「偽の募金やで」など、ひどい言葉を浴びせられたという報告もあがっている。
  ・・・・中略・・・・
 「赤い羽根」で知られる社会福祉法人「大阪府共同募金会」の古谷泰景事務局長は「募金団体がまともかどうかを区別するのは難しいが、規制するよりも募金の受け皿はたくさんある方がよく、どうすればいいのか」と戸惑っている。
(産経新聞/Yahoo 6月2日)


 職業安定法違反という妙なところから出てきた問題であるが、いんちき街頭募金がどんなに多いか、マスコミの方々は本当に知らないのだろうか。
 東京・横浜など大都会の駅頭では毎日無数の人々が「募金活動のようなこと」を行っている。それらの中には、昨日は「飢餓に苦しむアフリカの子ども救援」という箱を持っていたのに、今日は「XX大地震の被害者支援」の箱に変わっている、などという人物も決して珍しくないのである。

 私は、あしなが育英会も赤い羽根も含めて「街頭募金」というものには一切応じない。
 誤解されると困るので書いておく。現在の私は比較的豊かであり、そのような人間は(税金とは別に)社会に一定の貢献をする「義務」があると考えているので、毎年ある程度の(それほど少なくない)金額を、特定の災害地域への支援や飢餓に苦しむ国々への支援などの義援金として、日本赤十字社などの確実と思われる経路で銀行や郵便局から振り込んでいる。
 善意で街頭募金に応じている人々に、それを「止めろ」などと言うつもりは無いが、家族や親しい人々には私と同様にすることを勧めている。その理由は次のようなことである。

1.なぜ「振り込み」なのか。  そもそも「何のために募金に応じるのか」を考えてみたことがあるだろうか。上に書いたような「動機」ではなく「金を出すことの意味」である。私たちが出した金が、救援や支援といった本来の目的に、確実にそして何よりも「効率的に」活かされることが大切なはずである。
 毎年全国で繰り広げられる「赤い羽根共同募金」の騒ぎについて知らない人は居ないと思うが、あそこで消費される「羽根」、使われる「募金箱」、様々なイベントなどの費用などは、おそらく相当の額になるはずである。私たちが出した金について、「経費分」だの「歩留まり」だの本来あってはならない、仮に不可避であるとしても、それは最小限に止めるように努力するべきであると私は考えるからである。
 一部の募金については、「関係者全員がボランティアであり、集めた金から経費など支出していない」という反論もあるだろう。私はそういうことだけを言っているのではない、トータルな費用のことも言っているのである。募金だけのためにボランティアが10人集まるとしたら、その10人は自分の交通費や昼食の費用を各人で支出しているはずである。本当に有効な募金や支援を目指すのであれば、それらの費用も節約して募金に加えるべきだ、と言っているのである。
 つまり、しかるべきメディアで、募金の趣旨、活動主体、振込先などを伝えてもらい、そこに金融機関のシステムを利用して振り込む、というのが最も無駄な費用を使わない方法なのである。
 もっとも、「単なる金集めではない、国民(啓蒙)運動なのだ」と言うのなら話は別である。このことについては次に述べる。

2.街頭募金の暴力性
 私が街頭募金に一切応じないもう一つの理由は、言わば「正しい募金活動」を行っている人々への嫌悪感である。
 「赤い羽根共同募金」の時期に、動員された中学生の集団などの前を通るとき、その嫌悪感はピークに達する。通行人の胸元の羽根の有無を見ては「アカイハネキョードーボキンニゴキョーリョクオネガイシマース」と怒声に近い声で喚き立てる子供たちを見ていると背筋が寒くなる。そこでは、「正しい活動」に参加しているという強烈な酔いと集団意識、そしてその「正しい活動」を無視して通りすぎる大人たちへの反感とが、見事に集団狂気化されているからである。
 そのうち、無視して通りすぎようとする大人は皆でとり囲んで「なぜ募金に協力しないのか」糾弾し、「非協力」と書いた三角帽子をかぶせて引き回すようになるかもしれない。今はまだ冗談だが・・・。
 また、歳末助け合いや赤い羽根の重要基盤である町内会・自治会ルートの募金では、募金が「踏み絵」のような性質を帯びてくることも否定しがたい。氏名や拠出額が担当者には全て判ってしまうこの種の「募金」は、街頭募金よりさらに始末の悪いものと言えるのである。

3.信用の問題
 上の記事にもあるように、目の前で行われている街頭募金が本物か偽物かを確実に見分けることなど不可能である。だから、自分の大切な金(と善意を)詐欺師に奪われたくないのなら、街頭募金には応じないのが一番である。
 まともな機関・組織であれば当然銀行口座くらい持っているし、口座番号を公開することでその団体の活動は衆人環視の中に置かれるからである。
 逆に言えば、街頭募金しか募金手段が無い、ということ自体、一つの重要な否定的要素であると考えるべきである。


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 ■2005年3月16日:「振り込め詐欺」の病理

夫が「痴漢行為」をした、と言われて示談金を騙し取られた主婦のニュース。

 何と言うかやりきれない話だ。夫73歳・妻66歳というからには、おそらく40年くらいの結婚生活があったはずである。もちろん「結婚したばかり」という可能性も無いことはないが、それなら逆に騙されなかったという気がする。
 知らない他人から、夫が「痴漢をやった」と言われて信じてしまう、ということがたまらない。半信半疑だったと言うのだろうが、相手が「警官」を装ったからと言って、自分の夫を「100%は信じなかった」のは事実である。私が夫の立場だったら、600万円取られたことよりも一瞬でも自分の「痴漢」を信じた妻が許せないと思う。
 なぜなら、「信じる」というのはそもそも最も「能動的な」行為であって、「信じたい」「信じよう」と本気で思って初めて信じられるものだからである。この妻は、夫を信じて「警官」と戦おうとはせずに、「警官」の言うことを信じて金を振り込んだのである。
 決して犯罪を肯定する訳ではないが、「振り込め詐欺」というのは、自分の家族の人格や自分自身の「直感」よりも「警官」や「医師」といった見せかけの権威を信じてしまう人々がこれほど多いという、日本社会の病理を見事にえぐり出す行為でもあると言える。
 
 形は似ていても、やくざを装って「家族を助けたければ金を振り込め」と要求するのは、本当は家族は捕まっていないとしても明らかな「恐喝」であって「振り込め詐欺」などではないので、念のため。

「73歳夫が痴漢」とだます 振り込め詐欺で6百万円
 16日午後5時ごろ、横浜市磯子区の主婦(66)が「夫(73)の痴漢の示談金名目で現金600万円をだまし取られた」と磯子署に届け出た。同署は振り込め詐欺事件として捜査している。
 調べでは、警官を装った男が同日午前、女性宅に電話し「ご主人が痴漢行為をした」として示談金300万円を振り込むよう要求。女性が口座に300万円を振り込んだ後、さらに300万円を要求され送金した。
 主婦は「うちの夫が捕まっていますか」と磯子署に問い合わせ、被害が分かった。夫は外出中で連絡が取れなかったという。
(共同通信) - 3月16日


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 ■2005年2月19日:報道されないこと

消えたホームレス

 2月17日、中部国際空港が開港した。当地・名古屋のメディアは、高揚した調子で連日その人気ぶりや人出を報じ続けている。その驚異的な客集めについては、一種の違和感があるのだが、それについてはもう少し様子が見えてきてからとりあげたい。
 白川公園における青テントの強制撤去以来、地下鉄金山駅通路には常時15・16名のホームレスが居た。「白川」以前は多くても一桁であったと記憶しているので、流れてきた人が含まれていたのは確実だろう。
 開港前日の16日朝、8時頃に地下通路を通ると彼等は完全に消えていた。腰掛けていた仕切り壁の低い段の前には、行列整理などに使う移動ポールが1.5メートルくらいの間隔で置かれ、その先端が幅広の青いリボンで繋ぎ合わされていた。また「駅構内での居座りを禁止する」といったプリントが柱ごとに貼られていた。
 さて、おじさん達(一部おばさんも含む)はどこに行ったのか。
 ここで書きたいのはその行方ではない。この事実(金山駅がホームレスを追い出した)が、およそどこのメディアにも掲載・報道された形跡がない、ということである。
 名古屋市側が政治的圧力で報道を抑えたのか、それともメディア側が「時局を考えて」自主的に無視したのか、はたまた単にメディアの怠慢なのか。
 いずれにせよ、この寒い季節に「家のない」比較的高年齢の人々が、少しはましな地下空間から冷えの厳しい外に出ていずれかに消えた、それも10数人。ということはどこにも報道されていない。(私の知るかぎり)


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 ■2004年8月24日:沖縄米軍へり墜落事故について

 米軍がへり墜落を「予測していた」ことは、無線がある以上当然だろう。むしろ、飛行困難の連絡に対して、(市街地の中では)大学敷地への「不時着」を指示した可能性が高い。
 それよりも、この事件は米軍が沖縄の一般市民どころか警察や消防にまで「命令」し、「行動を制約」できること、一方、沖縄県警は米軍(人)に対して指一本触れることもできないこと、を改めて明らかにした。
 世界の常識では、こういう状態を「占領」とか「軍事支配」と呼ぶのではないかね。


 
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