移民・難民・外国人労働者_1
( Quora アーカイブ 2018〜2019)
2019年11月19日:将来的に日本は移民を受け入れますか? |
2019年10月31日:移民を受け入れず日本の人口を増やすには? |
2019年05月06日:日本社会は移民を本格的に受け入れるようになる? |
2019年03月21日:日本はより多くの移民を受け入れる必要がありますか? |
2019年03月14日:なぜ日本は難民認定を出さないのでしょうか? |
2019年02月15日:難民受入れの賛成派は多いが移民受入れ賛成? |
2019年01月20日:日本に移民して欲しい国の人はどの国の人ですか? |
2019年01月18日:外国人労働力で日本の社会はどのように変わる? |
2018年12月07日:日本は中国や韓国の人々の日本移住を奨励する? |
2018年08月05日:移民受入で日本固有の価値観や文化が薄まるおそれ? |
2018年07月24日:日本が移民を受け入れるにあたっての問題点は? |
2018年07月02日:日本は留学生を欲しがっているんですか? |
2018年06月21日:世界中の日系人について、日本人の認識は? |
2018年05月31日:外国人「高度人材ポイント制」の問題点は? |
2018年03月12日:外国人が増え続けると、どのような影響が? |
2018年03月04日:何故、日本人は移民受け入れが嫌い? |
■2019年11月19日:
Q:将来的に日本は移民を受け入れますか?
申し訳ありませんが、質問自体がひどく現実離れしています。
世界の共通基準に従えば、現在の日本には既に約300万人の移民が居ます。
陸上競技のサニブラウンも、野球のダルビッシュも、大相撲の高安や御嶽海も「移民の子」です。ラグビー日本代表では選手の半分が移民です。
長野県で高原キャベツを作っているのも、トヨタの下請け工場で車の部品を作っているのも、コンビニの弁当を工場で作っているのも、そして深夜のコンビニで私たちの相手をしているのも移民の人々なのです。
この現実を他所に、日本政府は移民は居ないとか移民政策はとらないなどという現実離れした主張を繰り広げています。これは、現在の内閣が日本会議というカルト的排外的な極右団体の影響下にあるためと考えられます。
その一方で、日本政府は新たに毎年30万人を受け入れる特定技能という在留資格を設けるなどして、現実的には外国人定住者=移民を増やす政策をとっています。これは、自民党の大スポンサーである経団連の、労働力不足を解消せよという要求に従ったものです。
つまり、「移民」ということに関して日本政府は一貫した政策を打ち出すことができず、成り行き任せで今日の状態に至り、さらに矛盾だらけの政策を続けているのです。
質問に戻ると、移民を「受け入れるか否か」ということであれば、当然「受け入れる」ということになります。と言うか、今後狂気のような独裁政権が誕生して、外国出身者を全て国外追放して鎖国する、といったことにでもならない限り、「移民なし」などあり得ない、ということです。
■2019年10月31日:
Q:これから移民を受け入れず日本の人口を増やすにはどうしたらいいでしょうか?子育て支援も無意味に思います
どうにもできません。実際に「移民なし」などとすれば、考えうる最大限の「政策」を行ったとしても、人口減少の速度を少し緩める程度の効果しか期待できず、人口を「増やす」ことなど不可能です。
「移民」という言葉で勘違いしている人が多いのですが、国際基準で言えば外国から来て「1年間を超えて定住し、社会生活を営む人々」は全て移民です。現在でも「就業」に加えて「研修」や「留学」などで来日・定住する人々は毎年40万人を超えていて、合計の定住者は既に300万人を超えています。それらの人々も全て「移民」なのです。
1年間の「出生数」がついに100万人を割って今後も減り続けるであろうことと合わせて考えると、年間40万人超が来日というこの数字がいかに大きなものか解るはずです。また、近年国内で産まれている子供の中で、両親・または親の一人が外国籍の子どもの比率も非常に高くなっているので、「移民なし」などとすればその分も失われることになります。
それどころか、300万人の人々が一斉に日本から出て行ったら、総人口が一挙に3%近く減少することにもなります。自動車工場も弁当工場も、宅配便の仕分けも夜中のコンビニも、全て機能停止してしまいます。
日本は既に、経済的にも社会的にも「移民に依存する」国になっているのですが、政府が「移民政策はとらない」などという奇怪なメッセージを出し続け、現実に目を閉ざしてそのメッセージを真に受ける人々も少なからず居るという、歪んだ状態にあるのです。
■2019年05月06日:
Q:日本社会は移民を本格的に受け入れるようになると思いますか?帰化した人とその子孫を「日本人」として認識するようになるでしょうか?
総人口が世界でも10番目前後と多いため目立っていませんが、現在の日本は既に有数の「移民受け入れ国」となっています。合法的に抜け穴を造るようなことをして、なし崩し的に増やして来た一方で、現実を直視せず、法令や制度をきちんと整えて対応していないため様々な問題が起きています。
90年代から激増した「日系人」、戦前に海外領土としていた台湾や朝鮮半島などから移り住んだ人々も移民に含めれば、「移民の子孫」も既に相当の数に達していると考えられます。
大相撲の高安関、御嶽海関、卓球の張本智和選手、女優の南果歩さんや余貴美子さん、先ごろ亡くなった歌手の西城秀樹さん、みんな「移民の子孫」です。
これらの人々を「日本人」と認識しないのであれば、彼らは一体「何人」だということになるのでしょうか?
■2019年03月21日:
Q:日本はより多くの移民を受け入れる必要がありますか?
将来の日本を「どのような国」にするのか、したいのか、という考え方によって答えは変わります。
1.高齢者人口比率が一時的に高まる期間は外国人労働力に頼ってしのぎ、団塊世代が "絶滅" して人口構成が安定したら、その後は静かに「縮小」を受け入れるという方向。現在政府が進めているような、(原則)短期出稼ぎ労働者の受け入れを中心とし、積極的な移民政策はとらない。それでも、これまで進んできているような一定の速度での多民族かは進みますが、国全体の民族構成が変わるというレベルには達しないはずです。
2.人口減少を食い止め、人口規模1億人を維持する方向。「移民」を積極的に受け入れる以外には、現実的に不可能です。若い人々を男女バランスよく受け入れ、日本国内で産まれた子供には無条件で永住資格を与えるといったことで、人口再生産能力はかなり改善されるはずです。ヨーロッパのいくつかの国が過去に経験していることです。ただ、その産まれた子供たちを上手に社会統合せず、差別的に扱うようなことをすれば、近年フランスが苦しんでいるような社会の分断を招きます。
私個人の考えでは、思い切った地方分権を進めて連邦国家に近い形とした上で、それぞれの地域が個別に戦略を立てるのが実効性が高いと思います。科学技術と産業に徹底的に投資して強い「国」を作り、不足する労働力は出稼ぎ労働者とロボットで賄うことを目指す地域や、思い切った移民受け入れ政策をとって多民族化した新しい「国」を目指す地域、連邦内の他の元気な地域からの「仕送り」や援助を受けながら静かに老い、縮小して行く地域、など様々であっても良いのではないかと思います。
■2019年03月14日:
Q:なぜ日本は難民認定を出さないのでしょうか?
まったく出していないわけではありませんが、他の先進国に比べて異常に少ないことは明らかな事実です。その根本的な理由を証拠を添えて示す、といったことは困難ですが、様々な出来事や言説から推測することは可能です。
1.そもそも「難民」問題に関する認識・理解が乏しく、自分たちとは無縁な問題だと思っていること。例えば第二次世界大戦の終結時に中国大陸東北部(旧満州)やサハリン(旧樺太)に残され、命がけで帰国を目指した人々、東日本大震災とそれに続く原発事故で仕事や住まいを失い、避難生活を続けた(今も続けている)人々も、世界標準ではまさに典型的な「難民」なのです。しかし、日本では前者を「引揚者」後者を「避難者」と呼ぶことで、特別な時代の特別な「できごと」と思い込もうとしています。
2.その結果、「難民」が人類共通の普遍的な課題であり、先進国にはその保護・支援にあたる「義務」が共通にある、という認識も欠けています。難民などと言うのは「特別な国」で "発生" し」「一部の国」に "殺到" しているだけなので、我々には何の義務も義理も無いと思い込んでいます。
3.「出る・逃げる」という選択に対して否定的な感情をもつ傾向が強い。東日本大震災の「自主避難者」に対する「 "帰還" しなければ支援打ち切り」といった行政の冷酷な対応、一部の国民によるバッシングなどにも共通するものだと思います。露骨に言えば、「逃げた奴=ずるい奴=助ける必要など無い」といった、現代の日本で急激に蔓延っている "弱者叩き" と共通の傾向と思います。
4.「政治難民=反政府=危険人物」という偏見がある。日本政府が承認していない国家・政治権力のもとからの逃亡者に対しては、比較的受け入れたり本人が希望する第三国への出国を認め、あるいは支援するケースがあります。それに対して「友好国」から来日し、少数民族として差別を受けた、あるいは人権活動で弾圧を受けたとして難民申請した人々に対しては、まったく受け付けようとしません。要するに「友好国政府に逆らう悪い奴」と見做すようなのです。
以上、4については直接の担当である法務省入国管理局の対応に見られる「歪み」であり、1〜3については政治家・官僚だけでなく国民全体の意識の問題と考えます。
東日本大震災の直後に、いくつかの国が「永住も含めて」避難者を受け入れると表明してくれたのに対して、日本のメディアはほとんどまともに報道しませんでした。しかし、今後は確実に衰退していくと考えられる日本です。再び大きな災害に見舞われた時には、本当に難民となって脱出する立場になることも決してあり得ないことではないので、国民的な認識、政府の政策、もう少し改めていくべきであろうと思います。
■2019年02月15日:
Q:難民受け入れの賛成派は多いと思われるのですが、移民の受け入れはどうなんでしょうか?移民の受け入れに賛成・反対どちらでしょうか?
賛成です。
ただ、現在でも日本は年間40万人を超える外国人が長期滞在資格で入国していて、既に200万人を超える人々が居る「移民大国」なのです。ですから、「移民」と言っても、何か新しい特別な形で "招き入れる" 必要などなく、現行制度の無理や歪みを修正するだけで済む話なのです。
その第一は、現在の入国管理、外国人の保護・管理に関する行政制度や政策、国民の認識を大きく改めることです。具体的には、以下のようなことです。
・入国管理局の業務を「出入国 "時" の管理」に限定し、在留している外国人の保護・管理に関する行政は他省庁に移管する。
・在留資格に「一般労働」を追加する。
・ただし、「一般労働」資格で入国するものについては、基礎的な日本語の試験に合格することを条件とする。
・「技能実習生」制度は廃止、在留資格「技能実習」は「研修」と統合して狭義の研修・実習活動に限定する。
・上記で、若年層の単純労働者も入国可能となるので、留学生のバイト勤務に関する管理を厳格化する。
・留学生に対する奨学金制度を拡充し、優秀な人材の国内就職率を高める。
・各種在留資格で日本に滞在する外国人から国内で生まれた子には「永住者」の資格を与える。
これらの改革を行なった上で、「移民」とは特別なことではなく、外国で生まれ日本に定住しているすべての人のことなのだ、と認識を変えるだけのことです。そして、日本で生まれ育った「移民の子」はもう半分移民より国民に近い存在なのだということも。
第二に考えなければならないことは、外国籍の定住者・永住者が今後さらに増加することから、国連からも再三勧告を受けている「人種差別禁止法」を制定し、関連して必要となる政令・条例等を整備することが絶対に必要です。これらの法令によって、外国籍者および外国にルーツをもつ人に対する不法行為や差別的取り扱いを、罰則をもって明確に禁止することができるようになります。それは一部の心ない人々の行為が国際問題に発展、日本の国家的名誉を毀損することを防ぐためにも必要なのです。
現実にこの国を支えているのは、決して「国籍をもつ者」だけではなく、「健全に定住するすべての人々」だということを、自由で民主的な国の市民として正しく認識するべき時代になっていると思います。
出入国在留管理庁 在留資格一覧表
■2019年01月20日:
Q:日本に移民して欲しい国の人はどの国の人ですか?
移民して欲しい国の人」というのは「来て欲しくない国の人」と同じレベルの発言です。こういう発言を、世界共通に「人種差別」と呼んでいます。( "欲しい" だから良いだろう、などということではありません)
国家間の政治的関係が、経済取引や交流、ビザの発給などに影響することは当然ではないか、という反論があるかもしれませんが、それを「来日する個人」に対する「個人の好悪」とした瞬間からやはり人種差別なのです。
遠い将来には、多くの日本人が移民せざるを得なくなるような事態も決してあり得なくはないのです。そのときに、こんなことを言われたいですか?
■2019年01月18日:
Q:入管法が改正され、新しいビザが交付されることになりました。これから先外国人の労働力が活躍することで、日本の社会はどのように変わっていくのか?
このまま新しい入管政策を強行すれば、外国人を多く受け入れる産業分野では賃金の「低位固定」が起こり、ますます日本人の従業者を減らすことになるでしょう。そして、これまでも問題になっている外国人労働者への不当な扱いも比例して増加し、国際的な「人権問題」に発展するケースも出て来ることでしょう。やがては「誰も来てくれない国」になる可能性も決して低くないと考えます。
統計上の人口減少と人手不足は別の問題です。現実に、有名企業は社員採用に苦しんではいないではありませんか(応募者の質はともかく)。人手が足りないのは、仕事の過酷さの割に低賃金の職種に、日本人が就こうとしないからに過ぎません。要するに、「待遇を改善」すれば人は集まるのです。「それでは採算が」と言うのでしょうが、それは仕事全体の合理化・システム化を怠っているからであり、医療や福祉の分野については、近代民主国家では不可欠な公費負担が激しく縮小され、必要なレベルで為されていないからです。
技能実習生に対する人権侵害の最も酷い例は、長野県の農家で起きましたが、経営の規模拡大や法人化などの合理化もせず、昔ながらの小作人・農奴の感覚で実習生を扱っていたのです。自ら何の改革も経営努力もせず、低い待遇のまま使える人材を求めて、日本人は来てくれないから「外国人」だというのは、根本的に間違っていますし、そんな企業や経営者を助けることも間違いなので、今回の「新入管法」には全面的に反対です。
私は「日本に外国出身者が増える」ことにはまったく反対しません。正しく健全な移民法制を創って積極的に受け入れるべきだと思っていますが、今回の新入管法のような、働きに来る(来てくれる)人々の人権・人格を無視した法律やそれに基づく政策は「百害あって一利無し」だと思います。
■2018年12月07日:
Q:日本は、現在の人口減少を逆転させるために、中国や韓国の人々が日本に移住するよう奨励することを検討するだろうか?
それはあり得ません。理由は以下のようなことです。
1.韓国は既に日本を上回る「少子高齢化」の状態にあります。日本より少し遅く到達したために未だ人口減少は始まっていませんが、現在では日本と外国人労働者を奪い合う関係にあります。財閥支配や過酷な競争社会を嫌って海外を目指す人々も居ますが、そもそも移民の送り出し国となるほどの数ではありません。
2.中国も同様に少子高齢化が始まっており、少し鈍化したとは言え依然として経済成長の途上にあるため沿岸部の都市では人手不足が続いています。一時期は、内陸農村部等から来日する人々が「技能実習生」の中心となっていましたが既に急速に減少し、現在の実習生の主力はベトナム・ミャンマー・ネパール等の出身者に変っています。現在中国出身で日本に定住する人々の主力は、大学卒業後日本で就職あるいは起業する留学生や、「結婚」によって日本に定住する人々、中国系企業の社員等が中心で、在日外国人の中では依然として最多ですが日本の人口の動向に影響を及ぼす規模ではありません。またほとんど報道されませんが、仕事を求めてあるいは転勤等で中国に渡る日本人の数も急激に増えており、差し引きでは?、という状況になっています。
3.現在の日本政府の中心的な人々は、歴史修正主義的な団体の影響を強く受けており、中国を仮想敵国と見做したり(陸自の与那国島配備など)、韓国に対しても傲慢な態度をとる傾向があります。また、政権支持者の中には中国・韓国政府や両国の出身者に対して敵意や侮蔑意識をもつ人々が少なくないことからも、現在の政権が両国の人々を日本に積極的に招き入れるという政策をとることは考えられません。
■2018年08月05日:
Q:移民を受け入れるなら、日本固有の価値観や文化は外来文化によって薄まるおそれがありますか?
そもそも「日本固有の価値観や文化」とは一体何を指しているのでしょうか。例えば、江戸時代と明治時代と現代で比べても、価値観や文化は大きく変化していますし、今後も変化して行くはずです。何故ならば、日本民族・日本社会が生きて活動しているからです。
近年「移民」という言葉が過剰に政治的に取り扱われているように感じます。明確な形の制度・政策が定められていないだけで、日本は昔から多くの移民を実質的に受け入れています。日本の誇る陶磁器産業の基を築いたのは朝鮮半島から来た陶工たちですし、今では世界80ヶ国以上で売られ、日本を代表する加工食品の一つである「カップ・ヌードル」も、台湾からの移民であった安藤百福さんが発明したものです。和風の「麻婆豆腐」も中国から来た陳建民さんが日本で創作した料理であり、いわゆる「朝鮮焼肉」は在日コリアンの人達がやはり日本で発明した料理です。
食べ物以外でも、日本の「卓球」を再建し、世界レベルに引き上げてくれたのは中国から来た選手やコーチたちであり、現在最強の張本選手の両親も中国からの移民です。さらに、女子ソフトボールの監督も元中国人、野球のダルビッシュも、陸上競技のケンブリッジやサニブラウンも移民の子です。そして、日本を代表する情報産業として世界的に知られるソフトバンクグループの孫正義氏も移民の子なのです。
「移民を受け入れる----文化が薄まる」とは、はっきり言って極端な排外主義者やレイシストの主張に流されているのではないかと感じます。 "鎖国" していた国がいきなり "開国" するわけではないのです。
■2018年07月24日:
Q:少子高齢化の日本が移民を受け入れ、安定した労働力を確保するにあたっての問題点はなんだと思いますか?
最大の問題点は「安定した労働力」という視点しか無いことです。日本に「働きに」来る人々も人間であり、それぞれの人生があるという当然の事実を、これまで(日系ブラジル人等への扱い)と同様に無視し続けていたら、いずれは(望ましい人達は)呼んでも誰も来なくなるでしょう。
具体的な問題点としては、日本語教育、在留資格、在留期限、永住化、といったことがありますが、それ以前に「意識」の問題が大きいと思います
日本では「移民」を国籍取得と絡めて妙に限定的に捉える傾向が強いのですが、例えば、1990年以降「日系人」に適用されている「定住者」という在留資格は、在留期限や就労の制限が全くない永住資格に準じたもので、実際は「移民」なのです。また、近年多くなっている「日本人の配偶者」としての来日も、国際的にはブライダル・ミグレーションと呼ばれる移民と捉えるべきです。大相撲名古屋場所で優勝した御嶽海関の母親などのように。
きちんと仕事( "高度専門職" でなくても)に就いて市民生活を送り、在留資格を更新し続け、永住する意志を持っている人々は、世界的に見れば「移民」です。また、そういった人々から日本で生まれ、日本で育った子どもは、欧米の多くの国の基準では移民ですらありません。国籍の有無にばかりこだわらず、定住・永住ということに軸足を置いた社会に変えて行かないと、根本的には解決できないと思います。
■2018年07月02日:
Q:インターネットでの書き込みをしている日本人の意見をよく読んだりしますが、留学生に対してポジティブな事もありますが、ネガティブな事も少なくない。日本の社会は本当に留学生を欲しがっているんですか?。
日本の「社会」と言うか一般の人々の殆どは、特別に留学生を欲してはいませんし、また嫌ってもいません。日本で、留学生に来て欲しいと考えているのは、主として学校と企業です。
学校は、
(1)世界の大学間競走で負けないために世界中から優秀な学生を確保、学生や教員の多国籍化を勧めることが必要である大学、
(2)日本という同質性の高い国の中に引きこもった状態の日本人学生に "外国出身者" と接する機会を増やしたい大学、
(3)日本人の子どもの数が激減しているために入学者が集められず "経営上の理由” から留学生を増やしたい大学や専門学校、などです。
企業は、
(1)優秀な留学生に来てもらって卒業後に雇いたい企業、(2)留学生のアルバイトを若年労働力として計算している企業、などです。
ネットに書き込む個人の場合、「ポジティブな意見」は上記の学校や企業の考えに近い人や、自身が留学を経験していたりこれまでに留学生の世話をした経験をもつ人などに多いと思います。一方「ネガティブな意見」というのは、留学生一般ではなく、特定の国籍・民族の人達に対するヘイトクライムの一環である場合が多いように思います。そのような人々は、過激な意見を相互にリツイートし合うなど大量の発信を行う傾向があるために、実際の数よりも多く居るように見えてしまうのです。どうか気にしないでください。
■2018年06月21日:
Q:今年は明治維新&海外移民としてハワイに153名の日本人が送られてから150年目です。日系アメリカ人をはじめ、中南米など世界中に日系人という存在がいることについて、日本人はどのくらい認識があると思いますか?また日系人と聞いて、どんな印象をもちますか?
日本国内で生まれ、人生を送っている多くの日本人は、「日系人」という存在を意外なくらい "認識していない" と感じます。
日本人の中で保守的あるいは民族主義的であると自認する人々は、屡々この国を「単一民族国家」と表現(アイヌ民族や在日コリアンの存在を故意に無視)します。すなわち、その人々にとって日本人というのは日本民族でありかつ日本国籍を有する人々という二重の基準で定義されています。ところが、その一方で国境を越える存在としての「日本民族」という認識は極めて薄く、この言葉は結局「国家」の方に収斂しています。また、特別に保守的ではない多くの日本人にとっても、「日本人」とは日本国籍をもつ「 "在日" 日本人」に限られているようなのです。
一方、「日系人」という呼称には逆説的に「(完全な)日本人ではない」という、一定の距離を置く意味が含まれていると感じます。それは「日本で働く日系ブラジル人の中には日本国籍を持つ人(それは普通に日本人だ!)も居て・・・」という意味不明のニュース報道や、日本出身でアメリカ市民権をもつノーベル賞受賞者に対しては逆に妙に注意深く「日系人」と表現しなかったことなどから感じられます。そもそも、日本語には韓国語の「在外僑胞」や中国語の「華僑」のような、「国外にいる “同胞” 」を一語で直接的に示す呼称が存在しないのです。
ただ、海外に多くの移民を送った沖縄では里帰り交流イベントを行っていて、そのイベントを「世界の "ウチナーンチュ" の大会」と呼んでいることはとても重要と思います。すなわち、世界各地から来た同胞を「ウチナーンチュ(沖縄衆)」という、現在沖縄にいる人々と同じ呼称で呼んでいるからです。
本年6月6日にハワイ・ホノルルで開かれた海外日系人大会で、6月20日を「国際日系デー」とすることが決まりました。それを主導したのは沖縄系日系人で、詳しく報道したのも沖縄のメディア(だけ)でした。
ルーツに誇り、6月20日は「日系デー」 海外日系人大会で制定 沖縄在住2人が提唱 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
■2018年05月31日:
Q:外国人「高度人材ポイント制」にはどんな問題点が考えられますか?
他の方も書かれているように、制度そのものに大きな問題点はないと思います。むしろ、「現在の日本がこの程度の制度で本当に優秀な人材をあつめられるのか?」というのが最大の問題点であろうと思います。
日本政府は、「来たい人間には "審査の上" 特別の待遇を与える」といった根拠の無い優越感、日本に入国・就労することが何か「恩恵」であるかのような奇怪な思い込みを、未だにもっているようです。しかし、今では給与水準も高くはなく、年齢や性別による差別が未だに色濃く残り、宗教や生活文化の違いについても無理解で狭量、人種差別を禁止する法律すら制定しようとしないこの国に、世界レベルの評価を得られる人材が来てくれるのか、極めて疑問です。
■2018年03月12日:
Q:新聞によると、日本の市と町の75%で外国人が増えているようです。このまま増え続ければ、日本にどのような影響を与えますか?
「増えている」というのは、単なる時間的変化です。
人口10万人の都市で、定住外国人の数が100人から200人になったとします。この場合「増えている」のは事実ですが、その都市の人口全体に「占める比率」で見れば、極めて僅かな数で、なんの影響も無いでしょう。
つまり、「影響」について考えるのであれば、それぞれの市や町の人口全体に占める外国人の比率が「一定以上(少なくとも10%以上)」である場合に限られると思います。
2015年の国勢調査で外国人比率が10%を超えていたのは、長野県の川上村16%と南牧村13%、群馬県の大泉町15%、大阪市生野区13%の僅かに4つです。生野区の場合はいわゆる在日コリアンの集住地区であって、ここで言う「外国人」とは異なり、しかも(高齢化と日本国籍取得で)減少傾向にあります。2015年の全国の市区町村数は約1900ですから、外国人比率が10%を超えるような状況の市や町が極めて少ないことは明らかです。
日本の総人口に占める外国人の比率は1.38%、都道府県で最も比率が高い東京都で2.80%であり、「このまま増え続ければ」という仮定を(例えば100年後とか)極端に延長するのならともかく、当面「外国人が増える」ことによって、上記のような一部の町村ではなく "日本に" というような全国規模での「影響」があると考えるのは現実的ではありません。
1人増えるだけでも「増加」です。「市や町の75%で増加」という文章には、「増加」を過剰に印象付けようとする意図が感じられ、ヘイト・クライムにつながりかねない危険性を感じます。
■2018年03月04日:
Q:何故、日本人は移民受け入れが嫌いなのですか?
「移民受け入れ」ということについては、「反対」ということはあっても「嫌い」と言うのは不適切です。また、日本人の中でも多様である「移民」に関する考え方・意見について「日本人は」と一括して決めつけている点も不適切です。
何とか、回答可能な質問に "翻訳" すれば、「何故、日本では移民受け入れに反対する人々が多いのですか?」となるでしょう。その前提で回答します。
日本国民の中に「移民受け入れ」について消極的な人々が多いのは事実です。ただ、「絶対反対」という人が最大と言う訳ではなく、最も多いのは「大量の外国人が、短期間に入国・移住して来ることには反対」というものでしょう。
その主要な背景は次のように要約できると思います。
1.日本は、19世紀後半から20世紀末に至るまで、国家的に「狭い国土に多くの人口を抱える」ことが問題だという認識をもち、学校教育などでもそのように教えてきました。実際、1970年代後半まで日本は「移民送り出し国」だったのです。そのため、既に急激な人口減少が始まっていることが正しく実感できず、未だに「この狭い国に移民を入れるなどとんでもない」と思い込んでいる人々が意外に多く存在します。
2.17〜19世紀の日本は、限られた国の外交使節や商人が来訪するだけで、一般市民として定住する外国出身者は殆ど皆無でした。また19世紀から第二次世界大戦までは、欧米人を教員や技術者などとして招聘する一方で、植民地化した台湾や朝鮮半島の人々を労働者として招き入れるといった上下構造を形成してしまい、"隣人としての外国出身者" というあり方をあまり経験できていません。このことが、「外国人」を "異物" として避けたがる傾向に繋がっています。
3.日本では19世紀末以降、欧米の諸国と人々に強い劣等感と憧れをもつ一方で、近隣アジアの諸国と人々を見下す、という歪んだ意識が形成されました。1960〜70年代の高度経済成長の結果、欧米に対する劣等感はかなり消えたのですが、「第二次世界大戦の敗北」という事実から目を背けたいという歴史修正主義的な傾向が、近隣諸国に対する反感・嫌悪・蔑視となって潜在(一部の人々では顕在化)することとなりました。現実的に「移民」の多くはアジア諸国からの人々と考えられることが、上記のような意識が残る人々の反発を招いています。
今の日本社会は、現実には100万人を超える「隠れ移民」の人々の労働力によって維持されており、産業界からは一層の外国人受け入れを求める声が上がっています。しかし、未だに上記の2や3の傾向をもつ人々が日本政府の中枢に居るため、適切な移民政策を定めることができず、大量の(実質的には)若年労働者を「技能実習生(国連人権理事会から強い批判を受けています)」や「留学生」という偽りの身分で入国させ、働かせる一方で、「移民は受け入れない」と宣言するような事態となっています。