くらしの中で:

(Quora アーカイブ 2018/02〜06)


 

2018年06月30日:人間の精神も進化しているのでしょうか?

2018年06月21日:1973年の生活はどんな感じでしたか?

2018年06月20日:お年寄りでも人工知能について理解できますか?

2018年06月13日:アバウトなメモ。正確なメモ。どちらを信頼?

2018年06月03日:20歳を迎える際に知っておくべき人生の真実は?

2018年05月21日:「職業に貴賤なし」というのは本当?

2018年03月27日:忘れられない先生はどんな先生?

2018年03月08日:内向的な人に、どんなアドバイス?

2018年03月02日:犯罪を繰り返さないようにする薬があったら?

2018年03月01日:「銃ではない、人が殺すのだ」という主張は?

2018年02月23日:負けると分かっている戦いに挑むのは?

2018年02月22日:世間の嫌われ者になった場合は?

  
*Quora という Q&A サイトに投稿した「回答」。一部修正してあります。


 
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■2018年06月30日:

Q:人間の精神も進化しているのでしょうか?
 人間が、知的に急速な進化を遂げ、故に「人間」になったのだということは確かですが、「精神の進化」をその「知的な進化」とは別のものと考えると、少し違って見えてきます。
 歴史や考古遺物・遺跡などから辿れる限り何も変わってないのではないかと思います。古代エジプトの遺跡に「近ごろの若者はけしからん」と書かれていたという話を読んだ記憶もあります。ホモ・サピエンス誕生の頃から・・・と言い出したら何らかの「変化」はあったかも知れませんが、調べる方法がありません。
 それとは別に、精神についてまで「進化」という言葉は使いたくありません。 "価値" や "方向" といった要素を内包する「進化」という言葉を使った瞬間に、そこには「段階」とか「優劣」という概念が入り込んできて、支配や差別の正当化に繋がりかねないからです。


 
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■2018年06月21日:

Q:1973年の生活はどんな感じでしたか?
 少し視点を変えて、当時の「仕事」を振り返ります。
 シンクタンク・ブームと囃され、財閥グループなどが一斉に「の・ようなもの」を創業していました。私が在籍していた企業もその一つで、シンクタンクと称しながら "とりあえず" システム開発と(受託)情報処理で足場を固める、という戦略でした。私は仕方なく FORTRAN を使って地形の解析や測量データの地図化、統計地図の作成などを行っていたのですが、環境は今とはまったく異なっていました。
 まずパーソナル・コンピュータというものは未だ存在しませんでした。プログラムやデータは全て紙のカードに孔を開ける「IBM80欄カード」(1枚1行分で80桁まで記録可能)に記録し、大型コンピュータに読み込ませてバッチ処理していました。例えば4000件のデータであればカード4000枚であり、運ぶのも大ごとでした。
 "大型" コンピュータと言っても、現在の少し高級なパソコンと変わらない程度の性能だったのですが、モノは実際に巨大で、ビルの地下全体を占拠して24時間強烈な冷房が稼働していました。数年後には、別室の端末から自分で「カードを読ませる」ことが可能になりましたが、73年当時は専門のオペレータに託して処理して貰うシステムで、処理が立て込んでくるとオペレータも大変で、気を遣ったものです。処理結果も「ライン・プリンタ」と呼ぶ高速のキャラクター・プリンタ(1行136文字)で打ち出していました。この文字(英数字)だけを上手く組み合わせ、重ね打ちなどさせて「モナリザ」等の絵を描くのが流行っていたのもこの頃です。


 
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■2018年06月20日:

Q:どうすればお年寄りでも人工知能について理解できますか?
 「人工知能について理解できるかどうか」を決定する唯一の要因は、それを理解するのに必要な教育を受けているかどうかです。それを何故「年齢によって決定される」と決め付けるのでしょうか。
 この質問の「お年寄り」を「女性」や「○○人」に置き換えたら、どういうことになるか、考えて見てください。


 
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■2018年06月13日:

Q:ある人のメモは時間が10分単位のアバウトなもの。別の人のメモは1分単位の正確なもの。どちらの人が信頼できますか?同じですか? 議事録ならどうですか?
 「アバウト」と「正確」とは対比になりません。アバウトだが正確な記録、一見詳細だが不正確な記録、というのは珍しくありませんから。
 対比すべきはアバウトー詳細、正確ー不正確です。そして、そのいずれも「時間の区切り方」の細かさとは直接関係ありません。
 また、正確なものと認められた記録や議事録そのものは信頼に値しますが、その作成者については、能力はともかく、人として信頼できるか否かは全く別の問題です。


 
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■2018年06月03日:

Q:20歳を迎える際に知っておくべき人生の真実にはどんなものがありますか?
 これは回答でも解答でもない、私個人からの返信として受け取ってください。
 「20歳を迎える際」に人生の真実など知っておく必要はありません。知ってどうするのですか? 仮にそんなものがあるとしても、知ってしまったら後の人生がつまらなくなるだけ。「真実」なんて解らないから楽しいのだと(私は)思います。
 私はもう高齢者ですが、人生の真実など知りたくもない。死ぬ間際に振り返って「訳の解らん人生だったな」と笑うのが楽しみです。


 
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■2018年05月21日:

Q:「職業に貴賤なし」というのは本当だと思いますか?
 「職業に貴賤なし」というのは、「事実・現実」を述べた言葉ではなく、そう考えなければいけないという「理念」を示した言葉です。
 ですから「本当だと思うか?」というのが「実現しているか?」という意味であれば。そうは思っていません。本来 "貴賎" などということは有ってはならないのですが、現実に労働内容に見合う正当な待遇を受けているかどうか、職業として多くの人々にどう見られているかなどの点で、差別や偏見が存在することは否定できないからです。
 一方、「本当だと思うか?」というのが「正当な理念・考えと思っているか?」という意味であれば、間違いなくそう思っています。そして、前記のような現実を少しでもまともなものに変えて行きたいと考えています。


 
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■2018年03月27日:

Q:忘れられない先生にはどんな先生がいますか?
 私はどこかに欠陥があるのかもしれないのですが、いわゆる「子供らしい絵」を描くことがまったくダメでした。小学校・中学校と美術の教師には嫌われ、授業時間は苦痛なだけ、成績も散々でした。
 ところが、高校の美術の授業で出会ったO先生の一言は、私と「美術」の関係を一変させるものとなりました。私の課題デッサンをじっと眺めていた彼は「君は "絵" より "図" を描く方が好きなのじゃないか?」と言ったのです。さらに、O先生は学期末の自由課題でも「何かの設計図か計画図」を描いてみたらどうだと言ってくれました。私は大喜びで通学途中の駅の駅前広場を題材として、使われていない貨物線部分まで広場を拡張し、景観も使い勝手も良くする(と思う)計画図を頑張って描いて提出しました。先生は私の描いた「絵ではない図面」を評価してくれて、人生初めて「美術で5」という成績を付けてくれました。
 大学・大学院で地理学を専攻した私が、後にコンピュータで地図や海図を描く仕事に就き、さらに教員にまでなった、その大きなきっかけの一つを与えてくれた先生です。


 
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■2018年03月08日:

Q:外交的な人は、自然に人と付き合えない内向的な人に対し、どんなアドバイスを渡せるでしょう?
 それは単なる「苛め」です。
 他人と「付き合うかどうか」「どのように付き合うか」というのは本人の勝手です。
 「付き合えない」と決めつけて "アドバイス" などと上から目線で言うのは単なる傲慢。
 内向的な人間にとっては、「外向的」と自認するような人からのアドバイスなど、迷惑、不快で苦痛なことに過ぎないと思います。


 
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■2018年03月02日:

Q:もし犯罪者が絶対に犯罪を繰り返さないようにする薬があったとしたら、刑務所は不要になりますか?
 刑務所に収監する目的は「再犯防止」だけではありません。
 本人に「自分が犯罪を犯したこと」を実感させ、反省するための時間を与えること、一定期間厳しい環境で働くことで償いとするとともに、生活習慣を改めさせることといった目的があります。さらに、被害者からの報復から保護するという側面もあります。
 質問のようなことが実現すると、誰でも、1回だけなら刑務所に入ることなく犯罪を犯せる、ということになりませんか?
 それより、もっと重大なこと。
 独裁的な権力者が統治する国では、当然「権力に逆らうことは言論も含めて犯罪」とされます。「犯罪を繰り返さないようにする薬」は、その独裁者が国民を支配し続けるための最高の道具になるでしょう。


 
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■2018年03月01日:

Q:「銃が人を殺すのではない。人が人を殺すのだ。」という主張に対して、合意しますか?
 「ことば」だけ見れば筋が通っているように見えますが、「主張する」ことには全く合意しません。
 そもそもこの主張は、「銃」が他人や鳥獣を効率的に確実に「殺傷する」ことを目的とした道具である、ということを無視しています。
 この理屈を援用すれば、毒ガスでも生物兵器でも核爆弾でも、全て「人が殺す」のだから規制する必要など無い、ということになります。
 この種の小さな論理を悪用して、人間として普遍的な倫理を無視するような主張のことを、日本語では「屁理屈」と言います。


 
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■2018年02月23日:

Q:死に至る病での闘病以外で、負けると分かっている戦いに挑むことに意味があるのは、どのような時ですか?
 死に至る病の場合でも、医療的な自死を認めている国もあるのですから、必ず "闘病" と言う訳ではありません。
 「負けると分かっている戦い」であっても、挑むことに本人が "価値" や "やりがい" や "喜び" を感じるのであれば挑めばよいのです。感じないのであれば止めておくだけのことです。人生は一度きりなのですから。
 「意味があるかどうか」など "余計なお世話" というものです。


 
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■2018年02月22日:

Q:世間の嫌われ者になった場合どうやって生きれば良いですか?
 あなたが、本当に「世間の嫌われ者になった」かどうかを、どうやって知る・確認することができるのか、というのが大問題ですね。
 実は一人・二人の“誰か”から「お前は世間の嫌われ者だ」と言われた程度だとしたら、あなたがその“誰か”の言葉など一切信用せず、逆にその人々を嫌いになれば済むだけの話です。自分を好いてくれる、必要としてくれる人の数など、別に多くなくて良い、極く少数でも良いのです。
 私には「だれにも嫌われないで生きる」人生の方が想像もつきません。


 
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