日本の社会を考える1

(Quora アーカイブ 2018/02〜/06)


 

2019年08月11日:出生率が上がらなくても大丈夫な社会にするにはどうすれば?

2018年06月19日:日本をより開放的で柔軟な社会にするには何が必要だと思う?

2018年06月15日:J.C.アベグレン氏の日本の経営・日米関係へのインパクトは?

2018年06月14日:日本の子どもは自己肯定感が低いと言われるがその原因は?

2018年06月13日:日本では児童虐待が近年増えていると思いますか?

2018年06月12日:人を押し退けてエスカレーターを歩くのは、マナー違反ですか?

2018年05月06日:今の日本は創造力がある国だと思いますか?

2018年04月30日:子供達の文化資本の差はどうしたら平等にすることができる?

2018年04月20日:現在「景気が良い」と言われている状態をどう思いますか?

2018年04月09日:直近10年で日本が経験した社会の変容にはどのようなものがある?

2018年04月05日:日本や韓国は欧米に比べるとなぜ自殺率が高いのでしょうか?

2018年04月03日:長時間労働は「天然資源がなくて人材しかない」ため?

2018年03月23日:夫婦別姓制度の導入に賛成又は反対ですか?

2018年02月24日:働き方改革で本当に生産性は上がると思いますか?

  
*Quora という Q&A サイトに投稿した「回答」。一部修正してあります。


 
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■2019年08月11日:

Q:出生率が上がりません。それでも大丈夫な社会にするにはどうすればよいですか?
 
 「どうすればよいか」は、 "大丈夫な社会" の定義次第で異なると思います。
 まず、高度経済成長期のように人口が増え続け、経済も成長し続けるような時代が再びやってくることは絶対に無い、ということを認識するのが前提です。
 実は、出生率が下がるのは全ての先進国で起きている現象です。アジアでは、日本だけでなく中国・韓国・台湾・シンガポールが直面しています。そしてヨーロッパの多くの国ではもっと以前から経験していることなのです。
 まず基本的な選択として、一定の人口規模の維持を目指すのか、それとも国家として継続的な人口減少を受け入れて静かに縮小して行くのか、というどちらにするのかということがあります。
 一定の人口規模の維持を目指すのであれば、ヨーロッパ諸国と同様の政策(移民の計画的な受入)を選択する他ないと考えられます。例えば、ドイツ、イギリスなどは移民を除いて推計した合計特殊出生率は以前から 2.0 を切っていますが、移民1世による社会増と同2世の出生数の増加によって人口を維持しているという現実があります。それらの大部分は、日本でセンセーショナルに報道されるアフリカや中東からの難民や不法移民などではなく、同じヨーロッパの EU 域内からの移民です。
 この EU 型の人口流動を先取りしてきた極端な例がルクセンブルク大公国で人口60万人の内ルクセンブルク人は51%に過ぎず、ポルトガルやドイツなどからの移民が人口の半分を占めているのですが、巧みな経済政策で豊かな平和な国を創っていて、国民一人当たりの GDP は世界トップクラスです。ただし、排外的な思想の強い人々が中心となっている現在の日本政府ではこの選択は困難なようです。
 また、フランスの場合は移民の流入はドイツに比べて少ない(それでも日本とは比較にならない規模ですが)一方で、一旦低下した出生率そのものを引き上げることに成功しています。これは妊娠・出産・育児を支援する政府の公的支出を大幅に増やし、特に婚外子・母子世帯への支援を徹底させたことによると言われています。これについても、日本会議の影響下にあって異様なほど特定の「家族像」にこだわる現在の政権では、ほぼ実現は無理と考えられます。
 一方、人口減少を受け入れて静かに縮小して行くことを選択するのであれば、最大の問題は団塊の世代が死に絶えるまでの一定期間続く「高齢者の人口比率が極端に高い状態」をどう乗り切るかということになります。それを過ぎてしまえば高齢者比率は一定の数値で落ち着くので、国全体が静かに老いていけば良いのだと思います。ただその場合でも若年労働力は一定程度不足すると考えられますので、そこは出稼ぎ型の外国人労働者に頼ることになります。現在の日本政府の方針は、どちらかというとこの方向にあるように見えます。

 コメントを受けて加筆。
 回答で触れなかった「もう一つの未来」があります。政府が産業・経済に関する政策の失敗を続け、普通に働いていたのでは生活できないというような事態に至ったとき、逆に若年層や働き盛りの人々が職を求めて、あるいは出稼ぎのために「流出」するようになる=常住人口が加速度的に減少し始める可能性です。現在の「格差拡大」政策が続けば、さほど荒唐無稽な未来ではないと思えます。
 そのような問題は旧東欧地域のいくつかの国で現実化していて、ブルガリアなどでは出産可能年代の女性も含む大量の流出(=社会減)によって成人人口の急減と同時に出生数も激減するという、危機的な状況が起きています。


 
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■2018年06月19日:

Q:日本をより開放的で柔軟な社会にするには何が必要だと思いますか?
 
 とても良い質問だと思います。世界の中で見れば、日本の社会は健康(衛生)面でも社会的治安の面でもとても安全であり、国としても安定しています。その中で、他の先進国と比べて唯一見劣りするのが「開放性と柔軟性」だと思うからです。
 そこをより良い状態にして行くために、「何が必要だと思うか?」という質問ですが、私は「個人を大切にする・尊重する」ことに尽きると考えます。ただし私が言いたいのは、日本でよく言われる、そして日本人の多くが好む「思いやり」とか「優しさ」と言ったような「傲慢と押しつけの裏返し」とは正反対の意味です。
 まず何よりも「個人としての自分」を大切にすること、「他人が何と言おうと、自分の考えを大切にする」ことです。そして、学ぶべきこと、受け入れるべきことがあれば、自分の思考や行動を「自分自身で考えて」修正する能力を身に付けることです。結局、そこが確立していない人間は、あらゆる面で "空気" という同調圧力に流されて行くことになり、結果的に(個人としての)他者のことも全く尊重出来ない、硬直した思考・行動を繰り返すことになると考えるからです。
 肩書きでも名刺でもない "私" 、誰の手下でもどんな組織の部品でもない "私" にこそ、絶対的な存在価値と生きる責任があるということを、全ての子どもたち・若者たちに知って欲しいと強く願っています。何故ならこの国には、それとは正反対の「誰かに支配され、余計なことを考えず、黙って言いなりになる」ことこそ正しい生き方だと思い込ませようとする圧力が、昔も今も存在するからです。


 
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■2018年06月15日:

Q:6月7日にジェームズ・アベグレンさんの追悼イベントにてパネル討議します。アベグレンさんの日本のマネジメントへの貢献と日米関係へのインパクトを議論するとのことですが、詳細がわかる方いますか?
 
 J.C.アベグレン氏の業績については、受け取る側の立場が、文化論・社会論なのか経営論・企業論なのかによって、そのインパクトが異なっているようです。私は経営学とは無縁で、典型的な前者の立場にある者ですが、アベグレン氏の貢献は極めて大きかったと感じています。
 彼が『The Japanese Factory. Aspects of its Social Organization(日本の経営)』(Abegglen, 1958)で「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」の3つの要素を日本企業(の経営)の特徴と指摘したことは重要でした。1960年前後は、日本が第二次世界大戦の壊滅的敗戦からようやく立ち直り、高度経済成長が軌道に乗って、言わば「元気が出てきた時代」でもありました。彼は、 "戦勝国・先進国アメリカ" から来た研究者であったにも関わらず、日本企業を頭ごなしに劣等視・異端視することなく、上記の3つの「特徴」を冷静に分析・評価してくれたのです。このことは、当時の日本人(企業人や研究者)に大きな勇気を与えるものとなりました。ただ、「終身雇用」は、原著の「Lifetime commitment」に対して当時の訳者が意図的に異なる訳語を当てたもので、意味が異なっているのですが、特に経営論・企業論の側でこの訳語が独り歩きしてしまうこととなりました。(2004年の改訳版では「終身の関係」と改められた)
 一方、社会論・文化論から見ると、この「Lifetime commitment」はとても重要な指摘でした。それは、当時の日本においては企業に雇用されることに、本来の「雇用ー労働」契約を超えたあたかも「人生を託する」意識が(労使双方に)存在することを、見事に見抜いていたからです。社会学的に見ると、日本企業の社員が自己紹介に際して常に「職種」ではなく「企業名」を言うこと、大手企業の多くに「元社員たちが随時来訪し交流できる部屋」が儲けられていること、さらには三菱グループには結婚相談所まで存在することなどが、この「一言」で説明されているのです。社会論・文化論の立場から見ると、J.C.アベグレン氏の存在は、英国のR.P.ドーア氏と並んで重要なものです。
 質問にもどりますと、日本における企業経営に関しては、上記のように「勇気づける」効果はあったと思いますが、日米関係(日本側)も含めた直接的な寄与は疑問です。日本企業(の経営者)や日本の政治家の大きな特徴が、研究者(の発言)に対して常に懐疑的であり、軽視する傾向があることがその大きな理由です。


 
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■2018年06月14日:

Q:日本の子どもは、諸外国より自己肯定感が低いと言われています(平成26年版 子ども・若者白書)。これは、何が原因なのでしょうか? 家族・親族や学校・社会の子どもへの関わり方に問題があるのでしょうか?
 
 日本の子どもたちの自己肯定感は実際に低いのかも知れませんが、意識や価値観を問うような質問に対して、子どもたちが「大人たちが望む方向で答える」傾向があることも否定できません。そして、日本の社会全体に「あまり自己肯定的でない方が良い」という "空気" (=同調圧力)があることは明らかです。
 小さい頃から「目立つな、嫌われるな、 "みんな" と仲良く」と刷り込まれ、「出る杭は打たれる、長いものには巻かれろ、控えめが一番」という空気の中で育つ日本の子どもと、「違いを見せろ、自主性が第一」とされ「リーダーシップのとれる強さを身に付けべき」という文化の中で育てられる子どもとでは、本当の心の底はともかく、言語化された回答に違いが出るのは当然です。
 意識や価値観に関する調査には、行動に関する調査と異なって多くの困難が伴います。いわゆる「建前と本音」の問題もありますが、それよりもっと深い部分「ヒトの意識の重層性」という問題があるからです。簡単に言うと、本当に「自己肯定感が低い」場合、意識の底で「あまり自己肯定しない方が良い」という抑制が働いている場合、あるいは行動面で「自己肯定的な発言は控えるべき」と抑制している場合などがあって、それらを単純な「質問ー回答」型の調査で的確に見分けることは殆ど不可能です。しかも、結局のところ全て「自己肯定感が低い」のだ、と評価されてしまうのです。
 そもそも、大会で凄い記録を出したり試合で遥かに格上の相手に勝利した時に、それを素直に誇るスポーツ選手よりも、「いやいや、自分なんかまだまだです!」と言う選手の方を日本人は好み、高く評価するではありませんか。


 
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■2018年06月13日:

Q:児童虐待が心底許せないのですが、日本において過去1,000年で見た場合、子供に対する虐待行為が近年増えていると思いますか?ただの暴力は昔の方が多かったと推測できますが、じわじわと死に追いやるような陰湿な弱い者いじめという意味の虐待です。また今後、減らしたり、無くすための効果的な施策は何か思いつきますか?
 
 かつての虐待の中心だった「児童労働」や子どもの「人身売買」は、近代化にともなって無くなったと考えます。その一方で、家庭内の特に親からの虐待は増えていると思います。親の人格に異変が生じたというのではなく、核家族化、世帯の孤立化が進んだことで、家族や親族が虐待行為を早期発見、抑止することが難しくなっていること、同様に子どもにとっても家の中に「逃げ場」が無くなってしまったことが、主たる原因と思います。
 「効果的な施策」は正直解りませんが、社会の荒廃を嘆いたり、親のモラルを説いたりという、具体性の欠片も無い「評論」に終始するような言説には腹が立ちます。まず何よりも、子どもの人権よりも「親権」を優位に置くような思想、社会制度を緊急に改めるべきだと考えます。自ら児童相談所に「逃げ込んだ」子どもを、親の言うがままに「引き渡し」て、殺させてしまうようなことは言わば「殺人幇助」に当る犯罪です。


 
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■2018年06月12日:

Q:日本はエスカレータで片側が開いています。そちらに立っていたら押されました。後ろから来た人です。その人はエスカレーターを歩いて行きました。これはマナー違反ですか?
 
 エスカレーターで「立っている人を押し退ける」という行為は、マナー違反など以前の「単なる非常識」あるいは「反社会的行為」です。鉄道会社は「歩くな」と放送しているはずです。また、身体的障碍のために右側(左側)にしか立てない人も居るのです。
 いくら警告しても「片側空け」を止めないことに業を煮やしたからか、最近「一人幅」のエスカレーターを設置している駅があります。エネルギー効率は落ちますが仕方ないのかもしれません(苦笑)。


 
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■2018年05月06日:

Q:今の日本は創造力がある国だと思いますか?
 
 日本国内に居る「人材」にも、潜在的な創造力は当然あります。日本に限らず、国内が安定していて高等教育が一定程度普及している国であれば、違いは無いはずです。
 しかしながら今の日本は、その潜在力を有効に発揮させ、学術研究や技術開発、新たな産業の創出に結びつけるための「制度やシステム」「政策的な理解」が決定的に不足しています。そのために、国家としての総合的な創造力はかなり弱くなっていると思います。例えば、山中教授らの IPS 細胞研究は世界の最先端と言えますが、山中教授本人が研究費集めに忙殺され、研究スタッフの殆どが期限付き契約しか許されないのが現実です。それでも山中氏は日本で研究を続けてくれていますが、青色発光ダイオードの中村修二氏のように日本に愛想を尽かす人が居るのも当然の状況です。
 さらに、国民の教育費への公費投入額の対GDP比では先進国中最低まで低下、高等教育についてはさらに削ろうとしている現状では、今後の人材育成すら不透明です。また「規制緩和」などと言っても、それらを活性化するような本質的な改革ではなく、「少し緩めて、一部の企業やフィクサーに儲けさせる」だけのものになっていることは、日々ニュースで伝えられているとおりです。


 
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 ■2018年04月30日:

Q:田舎と都会との色々な差や、親の所得の違いによって生まれることの多い子供達の文化資本の差はどうしたら平等にすることができるでしょうか?都会に出て文化資本の差を感じた子供ができること、田舎に住むことになった親ができることはありますか?

 「文化資本の差」というのは子どもの属性の違いではなく、子どもにとっての環境の差です。しかも、子どものうちには(例え都会に行っても)その「差」を自覚することはできず、少なくとも大学生くらいになったとき、自分の育った環境が文化資本が豊かな(あるいは貧しい)ものだったと感じる、といったものです。この質問の背景に、最近話題になった北海道出身の若者のネット投稿があるように思いますが、その投稿でも東大に進学して初めて「差」を痛感させられたとあるはずです。
 田舎に住むことになった親が「子どものためにできること」は当然あります。図書館や文化施設の整備など地域環境を変える努力はするべきですが即効性はありませんから、家庭内で頑張るのが主です。
 例えば、子どもの読解力(リテラシー)や語彙力は完全に読書量に比例し、子どもの読書量・読書習慣は親のそれに比例します。家の中に常に本があり、親が本を読む姿を見ていれば子どもは本好きになります。最初は児童書でも、大切なのは古典や入門レベルの専門書など大人の本で、子どもは背伸びして読むものです。音楽についても同じ、子どものころから家の中で耳に聴こえていた音楽が原点となります。さらに、成長の過程で日常生活での家族の「雑談の中身」も関係します。親がどれだけ知的好奇心をもつか、どれだけ社会的視野と批判力をもつか、大人になるまでに子どもの頭脳に「入る」情報の質と量を左右するからです。
 そのような「生活」の実現にあたって、ネットの発達が大きく条件を変えてくれました。Amazon を利用することで「田舎だから買えない本」はなくなりました。Youtube や Spotify で様々な良質な音楽も聴けるようになりました。殆ど金をかけずに世界中の主要な報道機関のニュースを読むことも可能になりました。すなわち、「親の所得や家の経済力」の影響はネット化によってむしろ小さくなったと言えるのです。
 最後に、田舎に住みつつ「豊かな文化資本の中で子育てをする」ことは上記のように可能ですが、最大の障害になりそうなのが「周囲との関係」です。親子ともども "孤立を恐れない" 覚悟が必要です。でも、必ず「仲間」が見つかるはずとも思います。


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■2018年04月20日:

Q:景気回復や、企業利益が過去最高というようなニュースを見ますが、日本企業が10年前に比べてそれだけの新たな価値を生み出したかというと、そんな気がしません。金融緩和の影響で、お金がだぶついているから景気が良いように見えるだけで、これはバブルなのではないかと感じます。現在の日本の「景気が良い」と言われている状態についてどう思いますか?
 
 企業利益が増大しているのは、円安が(辛うじて)続いていて、輸出や海外事業からの収益に有利に働く一方で原油価格が安定していること、(非正規雇用の増大で)実質賃金が伸びていないことなどによります。政府は雇用が伸びたと騒いでいますが、その多くは高齢者と女性の非正規雇用です。ご指摘のとおり、新たな価値を生み出している企業など僅かで、将来に大きな不安を抱えているので、多くの企業が「内部留保」や海外での投資に走っているのです。
 また、株価が高値を続けていることで景気が良いと言ってますが、それは日銀が異常なペースで株を買い続けているからです。つまり、国費で株価を釣り上げている訳でとても健全な状態とは言えません。このまま行くと、日銀が株や国債を放出しなければならなくなったとき(出口戦略)、米国などの動きによって急激な円高に転じたときなどをきっかけに崩壊に向かう怖れがあります。この状況を、現在の政策に批判的な経済学者は「冷たいバブル」などと評していて、危機は次第に迫っていると指摘しています。
 つまり「嵐の前の、仮の宴」という状態と思います。


 
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 ■2018年054月09日:

Q:直近10年で日本が経験した社会の変容にはどのようなものがあると感じますか?政治・経済・文化・社会構造など分野は問いません。

 多くの変容が生じていると思いますが、私が特に注目している「社会の変容」は急激な「世帯構造の変化」です。
 核家族化と高齢化で1世帯の構成人数が減り続けた結果、大都市では「1人世帯」がもっとも多く、「2人世帯」を合わせると半数を超える状態になっています。しかも、その2人世帯の多くは1人世帯の前段階なのです。その影響は「スーパーの衰退とコンビニの隆盛」「宅配業界の疲弊」など、多くの分野に波及しています。
 スーパーの生鮮食品売り場では依然として「4人世帯」を想定したようなパッキングが行われているのに対して、コンビニの棚には「お一人様向け商品」が溢れています。宅配業界の疲弊には、まず貨物量の増大がありますが、家に「買い物担当者」が居なくなったこともその原因の一つです。もう一つは「配達時不在」の影響ですが、これも「家には必ず誰かいる」という前提で創られたシステムが適合しなくなっているのです。この「不在」に比較的早期に対策をとっていたのは電力・ガス企業で、無線メーターの設置を進めていました。
 さすがに最近は「標準世帯(夫婦+子2人)」というのは死語となったようですが、まだまだこの急激な「世帯の縮小」には社会システムや政策が追いついていないと感じます。テレビCMに登場する現実離れした「家族」などにもそのことが見て取れます。


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 ■2018年04月05日:

Q:日本や韓国は欧米に比べるとなぜ自殺率が高いのでしょうか?

 厚労省が2017年に発表した「平成29年版自殺対策白書」によると、WHOがまとめた世界主要国の自殺死亡率(人口10万人あたり自殺者数)の比較で、韓国がリトアニアに次いで2位、スリナム、スロベニア、ハンガリーを挟んで日本は6位となっています。この白書では主要12ヶ国についての時系列の比較も行っていて、韓国と日本は2000年以降一貫して高い数値を示し続け、2013年には世界主要国の1位2位を占めています。その他、ロシアおよびリトアニア、ハンガリーなど東欧諸国も高い数値を示していますが、近年では日韓両国が相対的に自殺死亡率の高い国であることは事実と言えます。
 ただ、1992年から2007年まではロシアが圧倒的に高い数値を示していました。また1997年以前ではフィンランドやフランスが日本・韓国よりも高い数値を示すなど、日韓両国ともヨーロッパ諸国と同等の数値を示していたのです。すなわち、日本・韓国の自殺死亡率は、かつては “高くなかった” のです。
 ではなぜ "今は高い" のか、ということになりますが、ロシア以外のヨーロッパの諸国が一貫して自殺死亡率を少しづつ引き下げてきているのに対して、日韓両国は1997年から98年にかけて急上昇したままあまり下がってないからなのです。
 すなわち、近年の韓国・日本における自殺率の高さを「文化的」あるいは「宗教的」な固有の特性によるものと考えることはできません。むしろ、92年から2007年までのロシアの異常な高さと同様、経済の低迷と社会不安、格差の拡大などに大きく関係していると見るべきです。

自殺対策白書(本体)第2章第3節 厚生労働省


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■2018年04月03日:

Q:本で労働時間が減らせない理由を、「天然資源がなくて人材しかないこと」と説明されました。経済的観点で正しいですか?
 
 完全に「嘘」です。しかもその「説明」は、かつて悪徳経営者が若く低学歴の若者に長時間労働を強要し、従わせるために使った「説明」にとても良く似ています。
 私は、日本で長時間労働が減らないのは、大きく3つの理由があると考えています。
 第一は、労務管理・勤務評定に大きな歪みがあって、なかなか改善されないこと。具体的には、仕事の成果や生産性ではなく「労働投入量」そのものを評価したがることです。「時間外労働を減らせ」と言い出したのも最近のことで、元々「必ず定時に退社する」ことは社員としての評価を下げるものでしかなかったのです。
 第二は、人員配置と賃金体系の問題です。近年緩和されてきたとは言え「年功序列型賃金」は今も強固に根付いていて、相対的に生産性が低い割に高賃金の中高年層の分を、一部の有能で真面目な社員の過重労働で賄う構造になっているのです。
 第三は、産業別・職能別の労働組合が発達せず、企業別組合中心になっていることです。そのため経営側と労働側が短期的利害では一致(会社が潰れては困るから無理しても働こうなど)してしまって、労働条件の改善や労務面での企業の淘汰に向かわなかったことです。


 
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■2018年03月23日:

Q:夫婦別姓制度の導入に賛成又は反対ですか? それはなぜですか?
 
 「選択的」という条件を加えて賛成です。
 気になるのは、この質問のように「重要な要素である "選択" を削除した形で賛否を問う」ことが、導入反対の立場の人々によって意図的に、執拗に繰り返されていることです。QUORA の健全性のためにも、この質問がそのような意図をもったものでないことを祈ります。
 「夫婦別姓」という言葉で、あたかも「婚姻」後の個人の社会的IDの問題のように扱われますが、実はこれはイエ制度の残存である「戸籍制度」の問題です。そのことは、現在でも夫婦のどちらかが外国籍の場合は「夫婦別姓」が公式に認められている、というか、そもそも結婚しただけでは "同性になれない" ことで明らかです。歴史的に見ても、明治以降に戸籍制度が作られる前は、古くは妻問婚(当然別姓)、江戸時代でも武士階級・貴族階級を除いては「姓」が無かったのですから、 "同" も "別" もありません。
 極右の人々に多い別姓反対論者は「日本の伝統」などと主張しますが、彼等の言う「伝統」はほとんど全て1870年〜1945年の大日本帝国時代に創作された偽物です。


 
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■2018年02月24日:

Q:働き方改革で本当に生産性は上がると思いますか?
 
 まったく思いません。
 世界をリードする先進国で、今「生産性」向上の核心となっているのは「創造性」なのですが、日本ではそのことが広く理解されているとは言えません。
 日本の官僚や政治家の頭の中の「生産性」とは、未だにフォード方式ートヨタ・カンバン方式の延長上にある「効率化」「省力化」によって向上できるレベルのものに止まっています。ただ、これまでと同じ仕事では効率化・省力化にも限界があるのは当然なので、企業は非正規雇用や派遣社員、外国人労働者を増やすなどして「人件費の圧縮」に走った訳で、その手法を最初に "合法化" したのが小泉政権時代です。そして、今国会で審議中の「働き方改革」もこの延長上にあり、「人件費を削るための裏技」に過ぎないものとなっているのです。
 正社員の非正規化、残業代打ち切りなどによって人件費を削れば、その企業の「見かけ上の生産性」「利益率」は向上したように見えます。ところが、多くの企業で同じことを行えば、結果的に低賃金労働者ばかりが増加して貧困化が消費不況を招き、GDPの成長が止まり、国全体としての生産性は下がってしまう。現在の日本はそういう状態にあります。
 アメリカ経済の高い生産性を牽引しているのは、アップル、アマゾン、グーグルなどの企業群ですが、そのすそ野には無数の創造的な起業家たちが群がっています。そして、さらにその基盤を形成しているのは、高い能力と意欲をもって世界中から集まる「人材」なのです。
 日本でも、これから本気で生産性を高めたいのであれば、まず、旧来の大企業が求めるような規格型の労働力ではない、創造的な人材を育成することです。そのためには、教育システム、特に高等教育機関に対して、思いきった公的資金の投入を進めることが必須なのですが、現実は真逆の政策がおこなわれていることは周知の通りです。


 
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