阿賀野川・歴史と社会
3.只見川の電源開発
3.3 開発の進展
■田子倉ダム
電源開発が担当した只見川上流部ではまず田子倉ダムが着工された。1955年(昭和30年)にダム本体の工事に着手し1959年には貯水を開始。段階的に発電能力を増強しながら工事を進め、1961年11月に全事業を完成させた。出力38万キロワットは近年まで日本最大の一般水力発電所であった。
続いて田子倉ダム下流16キロメートルの地点に滝ダム・滝発電所(出力9万2,000キロワット)を1959年7月に着工、田子倉発電所が放流する水を貯水して下流の水量を一定に保つ逆調整池としての機能を持ち1961年12月完成した。
<出典:電源開発HP>
■奥只見ダム
只見川最大の奥只見ダムは1953年より工事を開始、奥只見シルバーラインなどの輸送用道路建設に続いて本体工事に着手。1962年(昭和37年)6月9日完成した。出力36万キロワットは田子倉発電所に次ぐ日本第二の発電所であった。続いて着手されたのは奥只見ダム直下流に建設された大鳥ダム・大鳥発電所(出力9万5,000キロワット)で、当初の計画にあった前沢ダムの規模を大幅に縮小した形で建設され、1964年(昭和39年)12月に完成した。
<出典:電源開発HP>
■最終段階
最後に着手されたのが大津岐(おおつまた)発電所(出力3万8,000キロワット)で、1965年(昭和40年)より工事を開始し1967年(昭和43年)12月に運転を開始した。当初重力式であった大津岐ダムは建設変更地点の岩盤が堅固でなかったことや資材運搬コストが高いことなどからロックフィルダムへ型式を変更。コスト縮減の合理化を目的にアスファルトをダム上流部に敷いて水を遮る、「アスファルトフェイシングフィルダム」と呼ばれる型式を日本で初めて採用した。