北上川の舟運と河川改修

■2.北上川の舟運:概要

 北上川を利用した舟の交流は平泉文化にも見られるが、本格的な開発は江戸時代から始まった。
 江戸時代に入ると、北上川流域は上流・中流を盛岡藩・南部氏、下流を仙台藩・伊達氏が統治することとなり、それぞれの藩の努力によって輸送体制の確立や、難所の改修などが進められた。舟運が最も栄えたのは慶安年間(1648〜1652)以降といわれている。
 舟運の発達は、廻米によるところが大きい。江戸幕府の参勤交代令により地方の大名たちは、隔年で江戸で暮らすこととなったが、この間の食糧をすべて自ら調達しなければならず、これが廻米輸送を発達させたとされている。
 北上川を経て江戸や大阪へ輸送される貨物は、川下荷(かわくだしに)と呼ばれ、米、雑穀、タバコ、紙、漆器、紅花、鉄、銅などがあった。また、江戸や大阪からの貨物は、下り物(くだりもの)と呼ばれ、塩、古衣、木綿、綿、塩魚・干魚類の海産物、さつまいも、蜜柑などがあった。


 
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