北上川の舟運と河川改修
■はじめに
北上川は、幹川流路延長249km、流域面積10,150 km2に達する東北地方第一の大河である。岩手県岩手郡岩手町御堂を水源とし、北上高地と奥羽山脈の間を直線的に南に流れ、一関市下流の狭窄部を経て宮城県に流下すると、登米市柳津で旧北上川を分派し、本川は新川開削部を経て東に転じ追波湾に注ぐ。一方柳津で分派した旧北上川は、迫川、江合川を合わせて平野部を南に流れ、石巻湾に注いでいる。
実は、現在旧北上川と呼んでいる石巻市街を流れる流路は、人工的に開削されたものであり、歴史的には現在の追波湾に注ぐ本川の方が古いという不思議な関係にある。その背景には、江戸時代、下流域において伊達藩による大規模な新田開発が行われるとともに、北上川本流が最も重要な物資運搬ルートであったという事情がある。この川の下流部では、農業開発=洪水防止のために "水はけ" をよくする工事と、できるだけ大型の船を運航させるために水深を深く水位を高く保つ工事とが反復して行われたために、このような複雑な歴史を刻むこととなったのである。
ここでは、舟運と治水のために、北上川に対してどのような“人為による環境変化”が加えられ、その影響・効果はどうであったのか,明らかにしたい。